しろねこは、3Kとも5K(汚いのK)ともいえるようなハードな肉体労働者時代に、労働組合の委員長を2年間やったことがありました。その前の2年間は書記長をやっていました。
会社から突きつけられたホワイトカラーとブルーカラーの格差(差別)ある、新給料制度に対し、組合独自の新給料制度案を出すなどして実行を食い止めました。
昇給においても、粘りに粘って双方の妥協案へこぎつけたりもしました。
要求する限り、労働者の意識を高めようと、無断欠勤を極力失くすように務めました。中には、銀行振込みができない人がいて、1日休んでやっている人がいました。そこで、昼休みにしろねこが銀行に行って代行してあげたりもしました。上部団体への会議には、欠かさず出席し、悪法がまかり通らないよう政府への署名集めをして歩いたりもしました。
その会社は、しろねこが退職して約2年後に倒産し、現在はありません。
そればかりか、その上部団体も消滅してしまいました。
原因は、有権者である労働者の意識のなさにあったと思います。「誰が当選しても変わりやしない」 と選挙にすら行かない有様。上部団体の大会においても、単組の代表者たちは、前夜の飲み会(懇親会)には出席して大騒ぎしたにもかかわらず、翌日には朝食を食べると帰ってしまい、いつものメンバーでの淋しい大会という有様。しろねこは、難しい用語をわかりやすく直して、組合員に説明をしましたが、「お前にすべて任せるから、頑張れよ」と、誰もが逃げてしまう有様。今回は全く昇給がないことを報告すると、「お前は、委員長なんだから責任を果たせよ」と厳しい口調で、責め立てる有様。
上部団体の書記長の発言に何度も耳を疑いました、それぞれの中小企業の体力も考慮せず、「これは労働者の権利」だと言って全国平均の昇給額を要求するよう指導する有様。「権利を主張する前に、 いかに義務を果たすかが重要ではないか」と反論したら、「労働者は人間らしい生活をする権利を有しているのだから、君の言うように努力目標を果たすということは別の次元なので考えるべきでない」と注意されてしまいました。しろねこは、その言葉に納得ができず、努力目標による成果を上げようと、 現場では走り回って皆への注意を促しました。
労働者のやる気のなさは、わが職場の単組だけではなく、全国的なものだったように思います。全国的に投票率の低さが目立ち、わが国民の恥とも感じられました。
そして時代は、終身雇用制度は完全に崩壊し、リストラが当たり前の社会へと変わっていきました。
しろねこは、健康的問題で退職したのですが、健康を害した理由は組合活動にあったといっても過言ではありませんでした。
健康も省みずに闘ったことは、いったい何だったのだろう?
社会の制度を変えることは大変なことです。人生を賭けて、命を賭けて取り組まなくてはならないものかもしれません。
結局、政治に関心のある者の側、つまりは権力を持つ側や経営者側に有利なように制度は作り変えられていく傾向があるようです。そういった力に打ち勝つには、相当な団結心を得ないと動かせないことでしょう。人間の本質と言うのか、戦争のような破滅的な方向性には、簡単に団結しやすいのですが… 「弱者のために」という方向性では、なかなか動いてくれないようです。生物の「8対2の法則」(働き蜂も本当に働いているのは全体の2割)もありますし、自分のお尻に火がついてからでないと動けないのが普通なのかもしれません。団結しない個人がいかに無力であるかに気が付いてからでは遅いのに …
某福祉施設の職員をしていた時、施設の労組が団結して、ワンマン園長?の一存で採用されたと思い込んで、しろねこを組合には入れてくれませんでした。肉体労働者をしていた時代の職場実習で、園生を全員就職に導いた実績を買われて声を掛けられ、大変な競争率の採用試験を経て入ってきたのに… しろねこが福祉関連の資格がないからと、他の職員たちから、よそ者のような接し方をされたんです。そのとき、もう二度と組合活動には戻るまいと思いましたね。
その後、逆風をはねのけて頑張った結果、過労と睡眠不足がたたり、救急車で運ばれるほど身体が衰弱してしまいました。
あまりに裏切られ続けてきたせいか、しろねこはそういったことに命を賭ける気持ちがなくなってしまいました。
「制度が変わらなくては幸せになれない」という考え方ではなくて、「個人の思いの指向性を変えることで幸せになる」という考え方に変わっていったのだと思います。つまり、世の中が どう変わろうと幸せを見つけられる者でありたいと考えるようになりました。
また、時代がどう変わろうとも対応していける頭の柔らかさも築いていきたいです。
もちろん、一人でではなくて、心のキャッチボールのできる皆さんと一緒に…
幸せとは、人間同士の係わり合い方にあるように思います。そして、私たち一人ひとりの心の中に「幸せの種」がすでに存在しているように思えてなりません。
まず、変わらなくてはならないのは、私たち自身の自覚ではないでしょうか?
昨日、自民党総裁が安倍晋三氏(52)に決まりましたね。小泉さんのように、親しみの持てる政治を展開してほしいものと願います。また、野党も簡単に悪法を通さないように頑張って欲しいと思います 。来年の参院選では、じっくり見守りながら、バランスを考えながら、どの政党を支持しようか考えようかな。
今日は、まとまりのない記事となってしまいました m(__)m
・・・やっぱり、この記事は複雑な内容でしたね。
労働者(有権者)の意識はいい加減とはいえ、福祉施設の利用者は必死ですから。そういった「切実な声」が、世の中の自己中心的で無関心な風潮から動労者(有権者)の協力を得らずに政府に届かない。そして、どうして悪法がまかり通ってしまうのか…
利用者の個人負担を増やしたり、認定基準に達しない利用者を切り捨てるようなことをせず、施設の側を厳しくすることでバランスを取れば良いのに。施設は、生き残るためにお金を寄付してくれる支援団体を強化すれば良いのだから…
サービスの質(意欲)と営業力(情熱)が問われるのかも…
しろねこが思うには、組合活動のような意味の薄い政治的対決を展開することよりも、その前に、有権者に向けた私たちの地道な啓蒙活動(組合内での啓蒙活動も良いのかも)の方が重要なのかもしれないと考えているんです。
この記事は、しろねこにとってトラウマ的内容でもあり、考えると考えるほどわからなくなっていくようです。悪い記憶は忘れてしまおうと思います。(9月22日記)
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 17:26|
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