しろねこがこれまでに受けた悩みや相談を振り返って見て、
「死にたい」と口にした人の共通のキーワードって何かと考えてみました。
どうやら、「私だって」という思いなのではないかと感じています。
「死にたい」という言葉。
しろねこがこれまでに受けた悩みや相談を振り返って見て、
「死にたい」と口にした人の共通のキーワードって何かと考えてみました。
どうやら、「私だって」という思いなのではないかと感じています。
「死にたい」という言葉。
これまでの人生で、全く恋人に恵まれず、独りで頑張って生きてきたという人から、この言葉を聞いたことは、ほとんどありません。
幼い頃から、重い病気や、重い障害と闘って生きてきた人から、この言葉を聞いたことは、ほとんどありません。
幼い頃から、貧乏生活を送ってきた人から、この言葉を聞いたことは、ほとんどありません。
むしろ、過去に、恋人と楽しい思いを味わったことのある人の方が、「死にたい」と言ってリストカットする傾向があるようです。
過去に、「依存的な意味で」の良い思いを体験してきた人の方が、「死にたい」と言って自殺に走る傾向があるようです。
つまり、「私だって」恋人がいたのに…
「私だって」輝いていたことあったのよ。
こういう人の方が、危ないように思います。
自尊心が強く、同時に依存心も強いタイプとでもいうのでしょうか。
「私だって」という思い。
その「私だって」という思いが、自立的な人の思いなのか、依存的な人の思いなのかで、方向性が全く違って来るようです。問題なのは、依存的な人の「私だって」という思いなんです。
「私だって」という思いは、猛烈な努力により現実に叶えることは十分可能になってくるものだと思います。成功者と呼ばれる人の証に触れる時、悔しさをばねにすることで猛烈な努力ができることを教えられるんですね。
でも、過去に得た幸せが依存的に得られたものならば、それは、努力して得たものではないため、自分で幸せを得る方法がわからないと思うのです。そうなると、絶望するしかないんですね。
幸せを得ている人が妬ましく思い、自分を惨めに感じられてしまう…
他の人から、見ると恵まれていたとしても、本人にとっては最悪の事態なんですね。
でも、自分が依存型だとしても、嘆くことはありません。
とにかくチャレンジすることに強く意識を持っていくようにするのです。どんなことでもいいです。
何かにチャレンジする。むしろ才能の無いようなことにチャレンジするのが良いのだと思います。猛練習をして、良い結果が出るまでやり続けるのです。その方が、良い結果を得るためのプロセスを身を持って学習することができるからです。
うつ状態が長く続くと、脳内のホルモンバランスが崩れて、元気が失われます。それを薬で補おうとすると、薬なしでは自分を維持できなくなってしまいます。つまり薬に依存してしまうことになるのです。
草花を育てる。天気の良い日の休日は、公園で読書をする。そして、草花や小動物に、「可愛いね」と声をかける。出会う人に積極的に励ましの言葉を掛ける。そういった掛けた言葉が、心の奥の潜在意識にインプットされていくと、自分の心が自分を励ますようになっていきます。
ピンチの時に頼もしい「天使の心」が育っていくのです。
しろねこは、このことを妻から学ぶことができました。妻は、結婚した当初は、「死にたい」言って異常行動に走っては、しろねこを苦しめました。
しかし、最近では、「積極的な心構え」が身についてきて、しろねこが付いていけないほどに元気の良い女性へと変身していきました。
実は、こういった発想は、ブログでの交流から得たことなんです。もし、ブログをすることがなかったなら、しろねこは、妻のうつを理解できずに離婚をしていたと思います。途切れることのない沿道の声援を受けて走る駅伝のランナーのように、励ましの言葉を受けながら生きることって素敵だと思います。
このところ、仕事のことで記事も書けず、皆さんとの交流もできないでおりますが、素晴らしきブログ仲間の方々と交流できる日を夢見て頑張っています。
ところで皆さんは、18日の「東京マラソン」見ましたか?
127万人もの沿道の声援を受けて走れるなんて、素晴らしいですね。切れない沿道の声援の受けられる1月2日−3日に行なわれる「箱根駅伝」以外で、こんな素晴らしいレースあるかなと思いました。しかも東京の名所巡りのできる、世界に誇れるコースだと思いました。
元陸上競技部のしろねこも、箱根駅伝への夢は儚くも消え去りました。でも、「東京マラソン」なら…
ダイエットでは、なかなか達成感が味わえないでいるけど、「東京マラソン」で完走ができるなら達成感を味わえるかもしれない…
そんなことをふと考えているしろねこでした。