2008年01月31日

それでも進歩したこと

こことのところ、頂いたコメントに的外れなことしか書けない感じで申し訳ありません m(__)m

最近、体調がいまいちで、外に出るのがおっくうになっている感じが続いています。

ここ数週間の手帳に書いた予定は、そのほとんどが2月に持ち越しに…

こんなんで、だいじょうぶかな…

とはいえ進歩したことは、

どんなに落ち込んでも、ほぼその日のうちに取り戻せていること。

この冬、まったく風邪をひいていないこと。

数日前から、血圧が正常値に近い数値が出はじめてきたこと。

と、バックしたわけでもないようにも感じられます。

しろねこは、数年前から高血圧で悩んでいて、昨年の11月頃から、ほぼ毎食カボチャをレンジで煮たものを食べておりました。

残念ながら血圧は下がる効果は見られません。ところが、家族全員、この冬、誰も風邪をひいていないことに気づきました。こんなことは、これまであり得ないことでした。お腹を出して寝ようとも風邪をひかないんです。

どうやら、カボチャは、風邪予防になるらしいです。しろねこは昨年より、声楽の活動を再開しているので風邪は大敵なんです。思わぬ風邪の予防法を見つけてしまいました。

数日前から急に血圧が下がってきたのだけど、1ヶ月ほど前から、日本サプリメントの「ペプチドエース」というサプリメントを飲んでいるからかなあ。血圧が上がるようなことを避けてきたのも良かったのかも…

うつ病に効く食品なるものも、見つけられるといいのだけどね。

最近のしろねこは、聞いているふりが上手になってきたかも。まともに聞くと血圧が上がっちゃうので、聞き流してしまうんです。都合の悪い話はタッキングしてしまう(話題を変えてしまう)のも上手になったのかも。これって自分を守るためなんです。

でも、逃げないで聞くようにしています。

しろねこは、なじみの喫茶店で喋りまくることがあります。マスターは、ただうなずいて聞いてくれるので、話しながら自分を取り戻す感じが得られるんですね。これが「語り合う」になると、お互いの考えの相違が生じ口論になってしまうんですね。

口論になっても、お互を理解し合っている関係ならば、すぐ取り戻せるのですが、そこまでの人間関係が築けていないと、お互いに嫌な思いをすることに… 

最近、そういうことでの失敗が数件ありましたが…

だから、暗い気持ちになるくらいなら話さない(無理して励まさない)方がいいのかなって考えるようになりました。

でも、聞き流してくれる人ってありがたいです。あと触りないし…

だから、聞き上手の人って数人押さえておきたいし、しろねこも、そういう人間でありたいって思います。

明日から2月、仕事の方は、ぼちぼち行こうと考えています。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 18:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月27日

許しのメソッド

自分の経験ももちろんですが、いろいろな人と接してきて思うことなのだけど、「許す」ことをしなければ前に進んでいかないように思います。

ですから、

良い一日を送るために、寝起きに、こう唱えます。


「今日は失敗のない新しい朝、恨み事を一切持たない状態で一日をはじめよう。

朝目覚めた自分は、すべてを許し切った自分です。

今、すべてを許しきったことを確認しています。

まだまだ、辛いことは感じられます。心に痛みも感じます。

でも今、勇気を持って思い切って許してしまおうと思います。

昨日までの自分は死んで、これから、新しい自分が始まります。

「許す」ことにより、真っ白な自分となるのです。

小さなことにも幸せを感じることのできる自分となるのです。

どんな辛いことでも感謝と受け止めて、素晴らしい未来へと繋いでいける自分となるのです。

今、世界に一人しかいない素晴らしい自分を感じています。

神様(仏様)から授けられた尊い命を感じています。

そんな私ですから、神様(仏様)は、今日、私に素晴らしい恵みを注いでくださると信じます。

今日一日を大切に生きていこうと思います。」

(自分なりにしっくりくる言葉に変えて結構です)


普段は顕在意識と潜在意識(無意識)の間は、重い扉で固く閉じられいます。なかなか潜在意識にアファメーションの言葉をインプットすることができません。でも、その重い扉が、半開きになる状態になるときが一日に何度かあるのだそうです。

その中の一つが、朝に目覚めたときの覚醒状態です。半分寝ているけど、半分起きている。そんな時の脳波は、シーター波とアルファー波の中間ほどなのだそうです。

このときこそがチャンスなのです。氷山の水に沈んでいる部分のように、顕在意識より潜在意識(無意識)の方が、10倍も大きいゆえ、何かと悪さをする潜在意識なのですが、その潜在意識をクリーニングする願ってもないチャンスなのです。

他に、潜在意識に語りかけるにふさわしいチャンスは、寝る直前、入浴時、トイレタイム、瞑想時と言われています。

自分にしっくりくるアファメーションの言葉を見つけて唱えることは、もちろんお勧めなのですが、その前に、この「許しのメソッド」を唱えることをお勧めします。

「許しのメソッド」というわけですから、実はもっと奥の深いものがあります。いつか、詳しく紹介したいと思います。私が心の師と仰ぐミッチェル・ゲイナー医師の本(『音はなぜ癒すのか』)によると、「許しのメソッド」により、末期癌の患者さんが次々、癒されているんです癌は消え、腫瘍は干からびていくのだそうです。私にアファメーションという言葉を教えてくれたルイーズ・L・ヘイ先生の本(『すべてがうまくいく「やすらぎ」の言葉』)によると、ルイーズ先生も「許す」ことにより癌を克服されたのだそうです。

癒しとは、「許す」ことから始まるのだと感じています。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | アファメーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月26日

子どもの視点 大人の視点

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる

とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる

不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもはみじめな気持ちになる

子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる

親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる

叱り付けてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる

広い心で接すれば、キレる子にはならない

誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ

認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる

見つめてあげれば、子どもは頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ

親が正直であれば、子どもは正直であることの大切さを知る

子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ

守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ

和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる


  ドロシー・ロー・ノルト 『親は子の鏡』より




上の文章を読んで、自分は良い親になれるだろうかと考えてみました。

そう考えると、欠けていることが多いことに気が付きました。

それって、自分の親にも欠けていることなんだと気が付きました。

間違いなく、良いことも悪いことも、親から子に引き継がれているのかもしれない…

子どもって「与えられる側」の視点で生きています。


「ああして欲しい」「こうして欲しい」

「ああして欲しかった」「こうして欲しかった」


そう考えているうちは、どんなに年齢を重ねようと、子どもの視点で生きていることになります。

大人になるとは、「与えられる側」ではなく、「与える側」の視点を持つことなのだと思います。

ここでは、良い親というテーマで書かれているけど、他人様の子どもに接する際においても、同じ気持ちで接したいと思います。つまり、良い大人でありたいと思うのです。

自分が親から良いものを受けられなかったからと、子どもたちに悪いものを伝えるのでは、悪いしがらみ(不幸の連鎖)を生むだけです。

子どもたちに良いものを伝えていくことこそが大人の使命と考えて生きることこそが、この世に幸せをもたらす尊い考え方に思えてなりません。

ですから、

ダメな自分が出てきて自分を見失いそうになった時、ドロシー・ロー・ノルトの 『親は子の鏡』の言葉を思い浮かべるようにしています。


どうか私が、

理解されることよりも理解することを求められますように。

愛されることよりも愛すること求められますように。


あなたは、子どもの視点をどの程度卒業していますか?
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 10:05| Comment(6) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月24日

この冬一番の積雪

08.01.24.jpg

今日の雪は、凄かったです。

朝に雪かきしても、数時間後には元の状態です。

しかも、午後からは凄い吹雪となりました。

雪かきは、朝食前と夕食前の2回しました。

救われたことは、とても軽い雪だったことです。

以前、肉体労働をしていた頃には、かなり広い面積の雪かきをしました。精神薄弱者更正施設の職員をしていた頃には、助けを求めてきた老人宅の雪かきのボランティアもしているので、雪かきについてはノウハウを持っています。

ということで、雪かきは得意なんで、楽しんでやることができました。屋根の雪下ろしは、一度、滑って落ちて痛い思いをしているのでやりたくありませんが…


しろねこは起床時に、100円ショップで売っている霧吹きボトルに水を入れ、同じく100円ショップで売っている「グレープフルーツのアロマミスト」を数滴垂らして、アロマミストを浴びていま

す。その際、心地よい音楽の音のシャワーも浴びています。また、毎朝ウォーキングをして、「太陽の光」を浴びるようにしています。しろねこのパソコンは、「青い色のデスクトップ画面」にしています。

これらのことは、すべて脳内伝達物質のセロトニンを増やす効果があるとのことです。

脳内伝達物質の中のセロトニンやノルアドレナリンが不足がうつ病の原因といわれており、抗うつ薬は、それらの伝達物質を補う成分でできているとのことです。

イチロー選手の打席でのお決まりのポーズなど、優れた結果を出せる一流の人は、その人なりのルーティーンを持っているようです。しろねこも、目覚めのルーティーン、就寝時のルーティーンを確立したいです。

うつに効きそうなことは、何でもやってみようと思います。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 18:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

補足

これは、反省を込めた補足である。

どうしても、波長の合わない人っているのだと思う。

そういう人と関わっていると「無力感」に苛まれ、激しく落ち込むことになる。

でも、そういう人にも波長の合う人って必ずいるのだと思う。

自分がその人に対して何とかしようとは考えず、その人のことは、その人と波長の合う人に任せてしまえばいいだけの話なのだ。

自分は「自分の分」をまっとうすることが最善のことなのだと思う。

できないことは、無理しない。深く関わらない。

「イイ顔」して無理して付き合っても、結局は悲しい現実にぶち当たるだけ。

自分の限界は、しっかり自覚しておいた方が良さそうである。

仏陀にしてもキリストにしても、どんなに優れた教えを説いても、それを認めない人々がいたのだから。まして、自分のような未完成な人間が、すべての人に認められる筈がないのだ。

あくまで、自然体でいこう。自然体で付きえある人間関係を大切にしていこう。

そこさえしっかりしていれば、お互いに見捨てたり見捨てられることなく、「安心感」のある交流ができるのだと思う。どんなに喧嘩をしても、絶交を繰り返そうとも、また友情を復活させることができると思うのだ。

こういう不安定な時代にあって、「安心感」の持てる人間関係、「信頼感」の持てる人間関係を築くことは、どんなにお金があったとしても得ることのできない価値のあるものなのだと思う。

残念ながら、波長の合わない人との喧嘩になると、「覆水盆に返らず」の故事のように、お互いに傷つき友情を復活させることは難しいのだと思う。それどころか恨みを買い、不幸な結末に発展してしまうかもしれない。

もう「イイ顔」するのはやめて、自分の心に素直に生きていこうと思う。その方が、交流する人への良き隣人、つまりは良い影響を与えることができると思うのだ。

昨日は、うつの発作で苦しんだ。ストレスが限界に達していたのだと思う。

でも、かなり心の整理ができたので、「おだやかな朝」「おだやかな夜」を過ごすことを基本として、世間の誤解と戦って生きていこうと思う。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 12:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月23日

誤解

自分は、いろいろ克服してきた証がある。

でも、それは自分だけの方法であって、他の人ができる方法ではない。

ある人は、私の励ましによって、良い方向性を得た。

しかし、ある人は私の励ましを悪く受け止めてしまい、悲しい誤解が生じてしまった。

良い方向を得た人は、きっと自分で自分を救ったのだ。元々、自分を救う方向性を持っていたのだ。

残念ながら、自分を救う方向性を持たない人に何も伝えられない。

自分を救う方向性のある人だけに伝えれれることなのだと思う。

キリスト教も仏教もイスラム教もヒンズー教も関係ない。

それぞれのやり方で、救いを見出すことができるのだと思う。

私は、人と触れ合うなかで、キリスト教徒にも仏教徒にもなれる。

マンツーマンで信仰について語り合うと、とても楽しいものがある。

その人に生きる力を与えれいるものに触れることができるからだ。

きっと、世界中のあらゆる国と民族の人と楽しく交流することは可能なのだと思う。

しかし、ネットの中で宗教の中の一つのキリストを書いてしまうと、仏教徒には嫌われて当然なのかもしれない。

誤解。

そのことを考えると、人を励ますことにたじろいでしまう。

何もしない方が平和とさえ感じてしまう。

人を励ますということは、ある意味で誤解と戦う勇気を持たなくてはならないのかもしれない。

私がその勇気をどこから得ているかについては、ここには書けない。

個人的信仰といえるものであり、すべての人とは共有できないのだから。

やはり、誤解と戦って生きていこう。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 06:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月22日

素敵な一日

今日は素敵な一日でした。

4日前のことです。元グリーの友人で、大変なピンチにあった人から、祈りで支えてくださいとのメールが入りました。

そこでしろねこは、教会に行ってお祈りをしました。かなり寒い思いをしましたが、歩いて30分以上かかる修道院の朝ミサにも、連日出席してお祈りを捧げました。

今日のお昼近く、その方からメールが届きました。思いもしないほどの良い導きが得られた(新しい仕事先が決まった)とのことでした。それは素晴らしい内容のメールでした。

本人の承諾を得ていないので、いま詳しいことは書けませんが、しろねこにとって忘れることのない感動の一日となりました。

もう一つ、うつ病で入院していたブログの友人から、記事へのコメントがありました。電気治療でほぼ全快に近い状態になったとのことでした。それから、しろねこは、「電気けいれん療法」についてネットで調べました。怖い療法と思いきや、そうでもないようです。自殺に走りやすい傾向で苦しんでいる人に明るい希望を与える情報だと思いました(どんなことにも例外はあると思うので、よく調べる必要はあります)。

しろねこは、最近うつ病のほうは、上手く付き合えるようになってきているものの、いざとなったらこの方法があるかと思ったら、救われたような気持ちになりました。


※ちなみにしろねこは、曹洞宗の檀家を守り、母方は神道の家系の氏子でもあります。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 20:13| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月21日

不安に心を奪われない

自分がうつ病になった原因は何かと考えてみると、「不安」ではないかと思えてきました。

昨年は、7月に原因不明の自動車事故を起こし、1ヶ月以上に渡っての精密検査。車も1ヶ月以上直ら ない。さらに、2台のパソコンが続けて致命的なトラブルを起こしたりしました。パソコンを分解しての修理をしたのでスキルはかなり上がりましたが、失敗する度に神経衰弱となり再トライは命をす り減らすような思いでやりました。また、そうしているうちに、仕事面での不安がどんどん募っていき、さらには 、11月の岩手芸術祭での歌のステージの責任を果たせるかといった不安も重なっていきました。深刻な高血圧、血管年齢70歳の動脈硬化と、健康への不安要因が、思いつくいろいろな方法にトライしても、一向に良くならなず、苛立ちを感じる毎日でした。

うつ病の薬にはすぐになじめず、返って体調を崩したことで、一時、自分はダメ人間になるのではな いかという不安に陥りました。さらに不眠症も重なり、狂った精神状態に何度も襲われ、のたうち回 って苦しみました。

自分は、宗教を研究し、カウンセリングを研究して心の世界について知っているものだから、自分は絶対にうつ病にはならないと信じていただけに、かなり自信を失いました。でも、うつ病って、「心の病」ではなく、脳内伝達物質の分泌のバランスが狂う「脳の病」なんですね。ストレスが多く重なると、誰もがなりうる病気なのだと感じております。過信してはいけないのです。

このことをきっかけに、うつ病に関する本をかなり読んだことになります。いろいろなヒーリングについても試みてみました。それまでの「幸せは努力 して得るもの」という考え方から、日常の生活の中にある、すでに神から与えられている幸せを見つ けようという考え方に変わりました。

そのことで、パソコンに振り回されていた生活から、人間的な生活を取り戻すことができたように思 います。残念ながら、ブログの仲間たちとの交流はお休みしています。会員制サイトのミクシーとグリーでは 、書いた記事にコメントを残してくださる方がいるので、それにはお返事を書いています。

そういった仲間たちの中に、毎朝、朝の挨拶の言葉を掛けてくださる方がいます。お互い、いろいろ問題を抱えていて… 毎日、「笑顔とマイペースで行こうね」元気な挨拶を交わしています。「相手に多くを求めない」「相手に無理をさせない」って感じです。だから、毎日、同じ言葉の繰り返しではあります。でも、しろねこは、この方からの言葉に、毎日パワーをもらっているように思います。

それまでは、自分が書いた記事(日記)に対する感想を詳しくコメントに書いてもらうことをどこかで求めていたように思います。長いコメントほど、嬉しい気持ちになるというか… しかし、最近では、短くても「明るい挨拶のことば」がとても心に心地よく感じられるようになりました 。

「明るい挨拶のことば」素敵です。

さて、「不安」についてなのですが、不安に押し潰されてしまうというのは、不信仰となるのではな いかと考えるようになりました。

神にすべてを委ねているなら、どんなことがあろうとも不安に心を奪われる必要がないからです。

「なるようになるさ」

「すべては、最善のためにあると考えよう」


『新約聖書』  マタイによる福音書 6章25節〜34節より

「だから、言っておく。自分の命のことでないを食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで 何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物より大切であり、体は衣服より大切ではないか。空の鳥をよ く見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなた方のの天の父は鳥を養 ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値のあるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い 悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ衣服のことで思い悩むのか。 野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく 。栄華を極めたソロモンさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明 日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなお さらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を 着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の 父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存知である。何よりもまず、神の国と神の義 を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩 むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。


野良猫たちを見ていて時々思います。彼らのように飄々と自然体で生きられたら、幸せをたくさん感 じられるのにってね。

今日で、『仏教聖典』(仏教伝道協会版)のすべてをWordにタイピングする作業が終わりました。さらにPDF化したので、あらゆるパソコンでの閲覧が可能です。さすがに『聖書』のすべてをタイピングするのは、あまりに量が膨大すぎてチャレンジする気になりません。でも、いつか『新約聖書』のタイピングにはチャレンジしてみたいです。

今日から、「元気になれる朝の儀式」についてのテストを始めました。良い感じを得られたなら、記事(日記)に書きたいと思います。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 18:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月19日

9.自分を売り込む

今日のテーマは、うつ病になる前なら興味深い内容だったのですが、今はそれほど重要視していない内容ではあります。

自分を売り込むというのは、「積極的心構え」が必要となります。売り込む才能も必要となります。そうなると、ごく限られた人の内容になってしまうと思うのです。

それでも、ここで学び取りたいのは、「自分を助けられるのは自分」ということ。売り込むという積極的な行動ではなくとも、良くなるために、周りに変化を求めるのではなく、自分で自分を助ける心構えを築くことを中心にしていくことは、自立のために大切なことだと思うのです。

カウンセラーは、残念ながら相談者(クライアント)の悩みを代わってあげることはできません。あくまで聞き役に徹し、心の鏡になってあげて、相談者がそらして考えがちな自分自身と向かい合えるように導いてあげることが重要なのです。

自分の力で解決すること。自己解決できるように導くことがカウンセリングの究極の目的なのだと思います。

自分の問題から目をそらし、別の問題にすり替えたり、他者のせい、周りのせいにしては、何も解決しません。

カウンセリングを続けながら、自分で自分を助けられる精神(心の筋肉)が付いてくると、猛烈な努力をしなくとも、自分を売り込むことができるようになるのだと思います。また、自分らしさが輝いてきて、「自分は何をやりたいか」が浮き彫りになってきます。

でも、焦らないこと。いきなりハードルを高くしないこと。

小さなことから、少しずつ始めることが大切です。

今日のテーマは、健康な人へのテーマであって、病んでいる人のテーマではないと思いましたが、カウンセリングの本質について考えることができました。


自分の問題から目をそらさずに、自分の力で解決する心の方向性を築いていこう。
ハードルを高くしないで、小さなことから、少しずつ始めよう。
いつの間にか、アピールしたい自分が築かれていくことでしょう。


※このフレーズを10回声に出して唱えると、アファメーション(ポジティブな言葉を繰り返し唱えて潜在意識をクリーニングすること)の効果がありますよ。
氷山の水に沈んでいる部分のように、意識より無意識(潜在意識)の方が、10倍も大きいのです。
意識を良いものに変えようと努力しても勝ち目がありません。
黒いコーヒーの入ったカップに水道の水を注いでいくと、やがて透明になっていくように、アファメーションによって潜在意識をクリーニングしていきましょう。

※努力しなくては得られないような幸福ばかり追い求めていては、やがて疲れ果ててしまいます。
四季の美しさを味わうことでも、100円ショップで売っている霧吹きボトルに水を入れ、同じく100円ショップで手に入る好みのアロマオイルを数滴たらしてアロマミストを浴びるようなことでもいいのです。日常の中で見つけられる、簡単に手に入る、「小さな幸せ」を毎日感じる練習をしていきましょう。
そうすると、好不調の波が、激しく大きな波から小さな波となっていき、やがて穏やかな波へとなっていくことでしょう。幸福体質を築いていきましょうね。

※薬は、脳内の伝達物質等のバランスを改善できる効果があるのだと思います。そういう意味で重要なのだと考えています。しかし、薬を飲んだからといって、生活習慣までは改善してはくれません。
 生活習慣を改善する部分においては、本人の自覚と努力が必要になってくるのだと思います。アファメーションとは、頑張る方法ではなく、無理せずに、自然に心の持ち方を改善していく心のエクササイズなのです。

※アファメーションは、ダイエットに似ています。月に1回だけやったからといって痩せることがないように、毎日取り組まなくては効果が出ません。毎日、取り組まれることをお勧めします。

参考文献:『自信の法則』 ジェリー・ミンチントン=著 弓場 隆=訳 (ディスカバー)
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 14:22| Comment(3) | TrackBack(0) | アファメーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

7.なりたい自分になる

今日のテーマには、随分、考えさせられました。自分の歩む道を考えることができました。

私は、以前、大学入試の教材の営業の仕事をしたことがありました。

そこで学んだことは、志望校を決め、志望校の過去問題を入手し、志望校の出題傾向を把握することが現役合格の王道だと知ったことです。

私はその後、画像情報 技能検定CG部門3級、ホームページ・ビルダー検定2級、パソコン整備士協会 3級パソコン診断士などの資格をすべて一発で合格を決めました。それは、過去問題を入手し、出題傾向を把握できたからです。大切なことは、やみくもに勉強することではなく、入手する情報の質なのです。

これって、最小限の勉強をすることでもあるんです。志望校を決めないと、教科書で学習することになりますが、それは膨大な知識を詰め込むことでもあります。しかも、出題者である大学の教授は、教科書から出題することはほとんどありません。つまり、的外れの勉強を大変な思いをしてやっているわけです。これでは志望校の現役合格は、難しいと考えるしかありません。

これでけやれば大丈夫といった情報があれば、迷うことなく、それだけ覚えることに集中できます。

このことを高校時代に知っていたなら、ガリ勉することなく一流大学に入れたと悔やまれてなりません。

どうしてこんなことを書いたかというと、人生においても同じことが言えると思うのです。

「目標とする人物」がいれば、迷うことなく、人生を歩めるのではないでしょうか。

「○○さんだったら、どう考えるだろうか」「○○さんだったら、どう切り抜けるのだろうか」

迷うことなく的を絞った生き方は、良い結果が伴っていくのだと思います。

しかし自分は、人生を遠回りして生きてきました。科学者になりたいと思ったり、陸上競技の選手になろうと思ったり、声楽家になろうと思ったり、優れた溶接工になろうと思ったり、カウンセラーになろうと思ったり…

歩む道が定まっていなかったゆえに、茨の道を歩んできたように思います。

だから、今日のテーマには、随分、考えさせられました。

一つの道を歩み続けることは、それはそれで大変なことです。大失敗をすると、逃げたくなります。やめたくなります。他の道の方が自分に合っているのではないかと考えてしまいます。

でも、別の道を歩むとなると、迷いを深めるだけで、良い結果は遠のいていくように思えてなりません。

辛いけど、苦しいけど、現実から逃げず、嫌な自分を直視し、自分を高めていく勇気を持たなくては…

生きる目的を持たずに、やみくもに人生を歩むのではなく、「なりたい自分になる」努力をしよう。

あれもこれも身に付けようと欲張らずに、心に自分が規範とする人を思い浮かべて、その人の資質を身に付けることを最優先して考えていこう。

迷っても、茨の道を歩もうと、前向きに考えることができるのなら、すべて最善の体験に変わります。すべてを最善と思えるセンスを身に付けたいです。


毎日、自分が規範とする人を思い浮かべよう。
そのイメージが、なりたい自分になるための一番の近道なのだから。


※このフレーズを10回声に出して唱えると、アファメーション(ポジティブな言葉を繰り返し唱えて潜在意識をクリーニングすること)の効果がありますよ。
氷山の水に沈んでいる部分のように、意識より無意識(潜在意識)の方が、10倍も大きいのです。
意識を良いものに変えようと努力しても勝ち目がありません。
黒いコーヒーの入ったカップに水道の水を注いでいくと、やがて透明になっていくように、アファメーションによって潜在意識をクリーニングしていきましょう。

※努力しなくては得られないような幸福ばかり追い求めていては、やがて疲れ果ててしまいます。
四季の美しさを味わうことでも、100円ショップで売っている霧吹きボトルに水を入れ、同じく100円ショップで手に入る好みのアロマオイルを数滴たらしてアロマミストを浴びるようなことでもいいのです。日常の中で見つけられる、簡単に手に入る、「小さな幸せ」を毎日感じる練習をしていきましょう。
そうすると、好不調の波が、激しく大きな波から小さな波となっていき、やがて穏やかな波へとなっていくことでしょう。幸福体質を築いていきましょうね。

※薬は、脳内の伝達物質等のバランスを改善できる効果があるのだと思います。そういう意味で重要なのだと考えています。しかし、薬を飲んだからといって、生活習慣までは改善してはくれません。
 生活習慣を改善する部分においては、本人の自覚と努力が必要になってくるのだと思います。アファメーションとは、頑張る方法ではなく、無理せずに、自然に心の持ち方を改善していく心のエクササイズなのです。

※アファメーションは、ダイエットに似ています。月に1回だけやったからといって痩せることがないように、毎日取り組まなくては効果が出ません。毎日、取り組まれることをお勧めします。

参考文献:『自信の法則』 ジェリー・ミンチントン=著 弓場 隆=訳 (ディスカバー)
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | アファメーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月17日

ブオトコによる奇跡の感動!

ブログペットで交流している友人を介して知った情報なのだけど、今日は、素晴らしい感動を紹介したいと思います 。


これはアメリカでの出来事です。ポールという名の男なのですが、背が低く、ずんぐりむっくりした体型、みっともないすきっ歯、おやじ刈りの頭、センスの悪い古びた安物のスーツを着ている。いいとこが見つからない、ダサい感じのする、まさにブオトコの典型のような男です。

そんな彼がタレント発掘ショーの舞台に立ちました。風采の上がらない男の登場に2000人を超す聴衆は 冷たい視線を浴びせるしかありませんでした。

特に、審査員の女性など、論外といった馬鹿にした態度で彼を見つめていました。

彼が歌った曲は、オペラ「トゥーランドット」のアリア“Nessun Dorma”(邦題:「誰も寝てはならぬ」、プッチーニ作曲)でした。これは、男性パートのすべてのオペラアリアの中でも最もカッコイイ曲といえると思います。ただし、超難曲でもあります。彼は、まったくのど素人らしいのですが…

しかし、彼が歌い始めると会場の空気が一変しました。涙ぐんでいるお客さんもいます。そして、彼が歌い終わると、2000人を超す聴衆は、スタンディングオベーションで彼の健闘を称えました。そして、冷たい視線を向けていた、女性審査員の目にも涙が輝いていました。

ポールという名の男は、その歌唱により、人は見かけで判断してはいけないことを私たちに身を持って教えてくれたのだと思います。そして、人生、捨てたものでないということ。いつか輝けるチャンスが訪れるかもしれないことを教えてくれたように思います。

パソコンを持っている方は、下記のリンクから、その感動を共有しましょう。パソコンを持っていない方(携帯からアクセスしている方)は、ネットカフェ等で、ぜひ見て欲しいです。

http://jp.youtube.com/watch?v=DelJrP3P7tA




聖書には、こういう一節があります。

わたしは、自分がこの体を仮の宿としている間、あなたがたにこれらのことを思い出させて、奮起させるべきだと考えています。わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿をまもなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。(ペトロの手紙 第二 1:13〜14)

私たちの生まれ持った容姿とは、「仮の宿」。つまりは、たまたま授かった仮の姿にすぎません。どんなに美しい容姿を授かったとしても、老いて朽ちていくものなのです。永遠の姿ではありません。永遠の姿とは、この世で愛を身に付け、天国で神と共に生きるにふさわしい者となったものが、天で得られるものなのです。そこには、究極の美しさがあります。喜びに満ち溢れています。

音楽は、目に見えないものゆえ、魂の輝きを表現することができるものだと思います。

私は、今年も声楽のスキルを向上させられるよう、大いに励みたいと思います。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 10:23| Comment(8) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月14日

生きている証?

盛岡の昨日の朝の気温は、マイナス6.2度だったとのこと。今日の朝は、さらに寒い感じがします(テレビニュースによると−10度だって)。外に出ると、肌に痛みを感じるような厳しい寒さ…

でも、今朝、ブログペットで交流している友人から素敵なメールが来て、そんな暗い気分を吹き飛ばさせてくれました(感謝!)。YouTubeの超感動の動画を紹介してくれたんです。その内容については、後日記事にしたいと思います。




「日本史」や「世界史」のことを考えていて、ふと思いました。これって権力者たちの歴史ではないのだろうかってね。

本当に大切なものって、目に見えないもので、形にして残すこともできないと思うのです。

確かに、故人の優れた芸術作品などに影響を受けることもありますが、それでも、そこには生きている人間同士の交流があってこそだと思うのです。

むしろ、優れた芸術作品よりも、生きている人間同士の交流こそに、本当に大切なものが隠されているように思います。

その大切なものとは「愛」です。

自分の生きた記録を残そうと、やっきになっている人もいると思います。それはそれで尊いことではありますが… しかし、この地球だって永遠の存在ではありません。全て形あるものは、消えてしまう運命にあるのです。

そうであるなら、神が私たちに望んでいるものって何かと考えてみました。それは、次の世代に「愛」を伝えることではないかと思うのです。

また、「愛」がある限り、私たちは死んでも永遠に生き続けることができます。神は愛の存在だからです(『新約聖書』 ヨハネの手紙 4章8節)。

物質に溢れた社会にあって、私たちは大切なものを見失っているかもしれません。

生きている証って、写真でも、データでも、誇れるような記録でもなく、目に見えない、形の無いものではないかって。

ただ、ひたすら愛に生きるだけでいいのではないかって。

これまで形の残るものにいっぱい時間を掛けてしまったけど、これからは、形の残らないもの(愛)に、もっともっと向き合って、大切にしていきたいと思うようになりました。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 08:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月13日

8.人格を磨く

おかげさまで、思ったより早く立ち直ることができました。ただ、血圧の方は相変わらず高いですが…



賞賛に値する人格とは、いったいどのようなものか? それは主に次の六つの資質から成り立っている。

「勇気」 恐れずに自分が正しいと思うことをする
「公平」 地位や身分に関係なく、すべての人を平等に扱う
「謙虚」 決しておごらず、つねに控えめな態度をとる
「正直」 うそやごまかしのない素直な心を持って生きる
「礼儀」 誰に対しても敬意を表して丁寧に接する
「誠実」 いったん約束したことはきちんと守る

自分に課題を与えて、それをひとつずつクリアしよう。立派な資質を身に付けて、今より偉大な人間になる努力をすべきだ…

これは、尊敬するミンチントン先生の文章ながら、残念な文章だと感じられてなりません。

偉大な人間になるという動機はどうかと思うのです。

人格を磨くのは、周りを幸せにするためではないのでしょうか。家族を幸せにし、出会う隣人を幸せにする…

そして、周りを幸せにすると、自分にも幸せが返ってくる。幸せとは、心と心のキャッチボールをすることだと思うのです。

そう考えると、次の二つを加えた方が良いと思うのです。

「寛容」 相手の向上心を引き出すために、相手の過ちを許す
「感謝」 不平不満、妬みひがみの心を持たないために、すべてのことを感謝と受け止める

どんなに優れた人格的資質を身に付けて偉業を成し遂げたとしても、「寛容」すなわち、許す心がなくては、周りが幸せにはならないと思うのです。国同士においても、許す心がなくては平和はあり得ないと思うのです。また、自分の愚かさにおいても、許す心がないと、どんどん自分を失ってしまいます。

もう一つ、「感謝」は、不平不満や妬みひがみの心を持たないため(心に平安を持つため)に重要な資質といえますが、そればかりではりません。幸福感を得るために重要なのだと思います。当たり前の日常の恵みに感謝を感じられない人は、どんなに大きな偉業を成し遂げたとしても、幸福感の乏しい人生となるように思えるからです。また、(大病、大怪我など)予測できない苦しい状態に陥ったとき、日頃から何事も感謝と受け止められるセンスを養っていないと、そこから希望を見出すことができないと思うのです。


「勇気」「公平」「謙虚」「正直」「礼儀」「誠実」といった、社会人として基本となる資質を身に付けよう。
そして、それらの資質をさらに輝かせるために、「寛容」「感謝」という愛の資質を身に付けよう。


※このフレーズを10回声に出して唱えると、アファメーション(ポジティブな言葉を繰り返し唱えて潜在意識をクリーニングすること)の効果がありますよ。
氷山の水に沈んでいる部分のように、意識より無意識(潜在意識)の方が、10倍も大きいのです。
意識を良いものに変えようと努力しても勝ち目がありません。
黒いコーヒーの入ったカップに水道の水を注いでいくと、やがて透明になっていくように、アファメーションによって潜在意識をクリーニングしていきましょう。

※努力しなくては得られないような幸福ばかり追い求めていては、やがて疲れ果ててしまいます。
四季の美しさを味わうことでも、100円ショップで売っている霧吹きボトルに水を入れ、同じく100円ショップで手に入る好みのアロマオイルを数滴たらしてアロマミストを浴びるようなことでもいいのです。日常の中で見つけられる、簡単に手に入る、「小さな幸せ」を毎日感じる練習をしていきましょう。
そうすると、好不調の波が、激しく大きな波から小さな波となっていき、やがて穏やかな波へとなっていくことでしょう。幸福体質を築いていきましょうね。

※薬は、脳内の伝達物質等のバランスを改善できる効果があるのだと思います。そういう意味で重要なのだと考えています。しかし、薬を飲んだからといって、生活習慣までは改善してはくれません。
 生活習慣を改善する部分においては、本人の自覚と努力が必要になってくるのだと思います。アファメーションとは、頑張る方法ではなく、無理せずに、自然に心の持ち方を改善していく心のエクササイズなのです。

※アファメーションは、ダイエットに似ています。月に1回だけやったからといって痩せることがないように、毎日取り組まなくては効果が出ません。毎日、取り組まれることをお勧めします。

参考文献:『自信の法則』 ジェリー・ミンチントン=著 弓場 隆=訳 (ディスカバー)
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 18:21| Comment(4) | TrackBack(0) | アファメーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月09日

お知らせ

ここ数週間、酷い頭痛に悩まされ続けております。

思考力が激しく狂っていて、記事の中に不適切な表現がいくつか見つけられました。

また、精神的に集中力が得られない状態が続いており、文章を書くのにかなり苦しんでいる感じがします。

血圧がワースト記録を更新していることもありますが、うつ病も原因になっているのかもしれません。

残念なことですが、健康状態が落ち着くまで仕事を休むべきと考えました。

また、会員制のGREEとmixiの方は、調子が良い時には日記を書こうと思いますが、ブログの方は、仕事を再開するまでの間、お休みしようと思います。

無理していないつもりでも、かなり疲れているようです。

まことに勝手ながら、ご理解の程、よろしくお願いいたします。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 20:05| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月07日

6.自信をつける

自信をつけるつける方法は、二つあるのだといいます。一つは、実際に経験を積んでできるようになることです。

しかし、このやり方では、上手くいけば自信に繋がるのですが、場合によっては、大きく自信を失うことにもなりかねません。

自信をつけるもう一つの方法は、日頃からイメージトレーニング(アファメーション「ポジティブな言葉を繰り返し唱えて潜在意識をクリーニングすること」を含みます)をすることです。

野球を始めて間もない子どもが、はじめての練習試合で、大事な場面で三振をしてしまい、友人達から酷い罵声を浴びせられたとしましょう。

その子の脳裏には、三振のイメージが強く焼きついてしまうことでしょう。そのイメージが頭から離れず、その後、何度打席に立っても、三振を繰り返してしまうことになるでしょう。

では、この子どもを三振地獄から救ってあげる方法について考えてみたいと思います。


・まずは、野球の練習をいったん休ませるなりして三振のイメージを忘れるようにさせます。

・その間に、良いプレーのビデオを繰り返し、繰り返し見せて、イメージトレーニングをしていきます。

・さらには、罵声を浴びせられた友人達から褒められているイメージを思い描かせ、過去の嫌な思い出を払拭させていくのです。


その上で、グラウンドに出て基本練習を再開させていきます。今度は、思うようなプレーができて、仲間たちの輪に溶け込んでいくことができるでしょう。

このことは子どもの世界のみならず、一流のアスリートたちにおいても、イメージトレーニングによりスランプを脱出したという例を多く耳にしています。


ちょっと古い話ですが、7年連続日本一になった新日鉄釜石ラグビーチームは、グラウンドでの練習の前に、世界のトップチームのプレーをビデオで見て、イメージを焼き付けることをしたのだそうです。そして、お互いに語り合って、良いイメージを育て合うことをしたのだそうです。

すると、不思議に、それまでできなかったことが、あっさりできたりするのだそうです。

ひたすら練習に打ち込んでいた時には、頭と体がバラバラに作用して上手くいかなかったことも、無意識(潜在意識)に落としたイメージは、反射神経的にプラスに作用するようです。


根性でもって、ひたすら練習するって、もう古い概念なのかもしれませんね。


同じように、営業の現場に出る前に、無意識(潜在意識)に良いイメージを叩き込むことをするとか、恋人とのデートの前に、相手を感動させられる台詞を語っているイメージを叩き込むなどに大いに生かすことができると思うのです。

これって、身体を酷使する苦しい作業とは違い、頭の中でイメージを描くことなので、楽しんでできる作業でもあります。

自信を持っている人と持っていない人との大きな違いは、同じように未経験のことにおいて、自信の持っている人は、それでも「できるイメージ」を持ち、自信を持っていない人は、「できないイメージ」を持つことなのではないでしょうか。しかも、自信を持っている人は、新しい経験を楽しんでいる。

このトレーニング法に、あなたは違和感を覚えるかもしれません。身体を酷使し、心に痛みの伴うことばかりが練習なのではありません。このトレーニングによって、自分が理想とする振る舞いが自然にできるようになることでしょう。

自信とは、なにも厳しい現場で身に付けるものではないのだと思います。引きこもっている人ならば、家の中で良いのです。大いにイメージトレーニング(アファメーションを含みます)に励みましょう。


イメージトレーニングは、成功をおさめるための大切なリハーサルなのだ。
人は、心に描いた自分にしかなれない。
それなら、良いイメージを描いて、自分を成功へと引っ張っていこう。


※このフレーズを10回声に出して唱えると、アファメーション(ポジティブな言葉を繰り返し唱えて潜在意識をクリーニングすること)の効果がありますよ。
氷山の水に沈んでいる部分のように、意識より無意識(潜在意識)の方が、10倍も大きいのです。
意識を良いものに変えようと努力しても勝ち目がありません。
黒いコーヒーの入ったカップに水道の水を注いでいくと、やがて透明になっていくように、アファメーションによって潜在意識をクリーニングしていきましょう。

※努力しなくては得られないような幸福ばかり追い求めていては、やがて疲れ果ててしまいます。
四季の美しさを味わうことでも、100円ショップで売っている霧吹きボトルに水を入れ、同じく100円ショップで手に入る好みのアロマオイルを数滴たらしてアロマミストを浴びるようなことでもいいのです。日常の中で見つけられる、簡単に手に入る、「小さな幸せ」を毎日感じる練習をしていきましょう。
そうすると、好不調の波が、激しく大きな波から小さな波となっていき、やがて穏やかな波へとなっていくことでしょう。幸福体質を築いていきましょうね。

※薬は、脳内の伝達物質等のバランスを改善できる効果があるのだと思います。そういう意味で重要なのだと考えています。しかし、薬を飲んだからといって、生活習慣までは改善してはくれません。
 生活習慣を改善する部分においては、本人の自覚と努力が必要になってくるのだと思います。アファメーションとは、頑張る方法ではなく、無理せずに、自然に心の持ち方を改善していく心のエクササイズなのです。

※アファメーションは、ダイエットに似ています。月に1回だけやったからといって痩せることがないように、毎日取り組まなくては効果が出ません。毎日、取り組まれることをお勧めします。

参考文献:『自信の法則』 ジェリー・ミンチントン=著 弓場 隆=訳 (ディスカバー)
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 05:31| Comment(7) | TrackBack(0) | アファメーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月06日

のだめカンタービレ

おとといの夜と昨日の夜と2夜に渡って放送されたテレビドラマ「のだめカンタービレ 新春スペシャル IN ヨーロッパ」、皆さんはご覧になりましたか。しろねこは、見ましたよ。素晴らしい感動でした。ビデオに撮ることができたので、きっと何度も引っ張り出して見ることでしょう。

今日も、日記を書く時間を見つけられない状態なので、その感動を詳しく書けないことが残念です。

以前に放送されたものの再放送が決定したとの事です。もし、見逃していた人は、ぜひビデオに録画するなどして見て欲しいです。素晴らしい感動に出会えますよ♪
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 06:24| Comment(4) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月01日

大晦日、そして元旦のこと

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昨日は、紅白歌合戦を録画し、盛岡八幡宮に夫婦で元朝参りに行きました。

ものすごい雪で、22時頃には、人がまばらでした。そこで、境内にある喫茶店で甘酒を飲んで雪をしのぎました。23時15分頃、列に加わりましたが、先頭の方で並ぶことができました。23時半を回ると凄い行列となりました。周りを見渡すと、若い人ばかりで、きっと受験や恋愛の成就を祈願にやってきているのでしょう。

神殿の前に生まれ年ごとの今年の運勢が掲示されていました。しろねこの今年の運勢は、下記の通りです。

今年は好調で心身ともに快進、諸事思いどおりに進展する年回りとなります。人間関係は豊かに発展しますが、誘い、甘言に乗らないように注意すべきです。なお、親しい人との間に軽率な言動による背反、対立が生じやすいので調子に乗りすぎないことです。金運良好で家計が豊かになりますが出費も多いので無駄を省く心掛けも大切です。事業や商売上では業績良く金融面も順調ですが、他事への挑戦は避け本道を逸脱しない事です。好実績を確実に維持する事を専らに跳躍を図るな。
○建築一切に吉 ○口腔、消化器、泌尿器木に注意 吉方:北東−南東


今日は、10時からカトリック四ツ家教会の元日ミサに出席しました。関谷義樹神父様のご説教は、とても感動的だったので次に紹介したいと思います。



今日は、「神の母聖マリア」の祝日です。

今日のテーマの主役とは誰なのでしょう。それは、イエス・キリストです。マリア様は、主役ではなくて、名脇役と言えるのだと思います。

「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる。」

これは、イエスが生まれる前。受胎告知の名場面で、大天使ガブリエルが、おとめマリアに語っ有名な言葉です。

でも、本当にマリアの人生は人間的に考えて幸せだったのでしょうか。恵まれていたのでしょうか。

イエスを150キロも離れた身寄りのいないベツレヘムで、しかも汚い家畜小屋で子を生まなくてはならなかったこと。そのあと、ヘロデ王の追手を逃れて数百キロも離れたエジプトに逃げなくてはならなかったこと。夫を早くなくし、女手一人で神から託された子を育てられたこと。イエスが神の子としての生活をされてからは、母と子の関係を絶ち、ひたすら見守る日々を過ごされたこと。しかも、イエスは公生活後、わずか3年で十字架上で処刑されてしまったこと。それからは、激しい迫害の中、弟子たち兄弟たち(信者たち)の心を支える人生を送られたこと…

どうも、幸せとか、恵みというには、あまりに厳しい生涯だったと思えてなりません。

「それでも、マリアは神を信じ切った」

「それでも」というところが重要です。

どんなに苦しくても、悲しくても、それでも、マリアは神を信じ切ったのです。

その信仰こそが、「おめでとう」と祝される恵みであったのだと思います。


話は変わります。

今年の12月7日に修道院に近所の人が飼っている猫が逃げてきました。

その家の人は、修道院にやってきて夜どうし愛する猫を探し続けました。

翌日の8日、その家族の人は、高級な羊羹を持って来ました。

何と、猫ちゃんは、聖母マリア様のご像の後ろで寝ていたのだそうです。



ミサ後、久しぶりにやってきた求道中の女性と、私の妻とで、喫茶店で語り合いました。楽しく語り合うことができ、うつ病について知識を深めることができました。また、優しい言葉も大切だけど、障害者年金を得ることなど、生活するお金を得ることの大切さについても学ぶこともできました。

帰宅してからは、昨日録画した紅白歌合戦を見ました。素晴らしい感動の連続で、これまで見た紅白歌合戦の中で、一番素晴らしい内容ではなかったかと思いました。

紅組・中居正弘さんと、白組・笑福亭鶴瓶さんの司会も素晴らしかったです。鶴瓶さんの司会は、慣れるまでちょっぴり時間が掛かったけど、とても暖かい気持ちになれたように思います。今回の紅白は、単なる歌の祭典ではなくて、全国で生きている人と共に分かち合えることがテーマにあったように思います。録画ビデオは、宝物になりそうです。

雪かきも大変でした。どっと疲れがきたので、正月休みの残る時間は、ゆっくり、のんびり過ごそうと思います。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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