今日は、私の人生にとって大きな節目になりそうな日になったように思います。
高杉ピアノ教室主催の公開レッスンでしたが、高杉さんご夫婦とは知り合いゆえ、お誘いを受けて聴講することができました。実は、上原先生は、東京での学生時代の私のピアノの師匠でもあり、約20年ぶりの再会でもありました。
先生は、稀に見る美しい容姿の方なのですが、20年経っても美しさは変わりありませんでした。先生は、私に会うなり「ぜんぜん変わってないわね」とすぐに溶け込んだ話ができました。
20年前は、ピアノの公開レッスンを聴講したことはありましたが、イタリアのサンタ・チェチリア音楽院の学長や教授のレッスンだったので、受講者は先生方という高度なレッスンゆえ、ほとんど学び取ることができませんでした。今日の公開レッスンは、自分にとても近い生徒さんゆえに、手に取るほど学び取ることができました。上原先生のレッスンのユニークな練習法についても、今日気づいたことも少なくありませんでした。20年前に戻りたいような心境になりました。こういった形の公開レッスンの方が学生にとっては有益になるように思えてなりません。
次に、公開レッスンでメモしたことを記しておきます。
小学5年生の女子児童のショパンの演奏(「子犬のワルツ」 OP64.No1)では、楽譜的に左手が右手に音量的に勝ってしまうので、右手がしっかり響く音を出さなくてはいけない。響くピアノタッチについての指導をされました。ワルツなので、3泊めのペダルを取ることで響きをクリアにする。左手はバスケットボールでドリブルする感覚で左手を放る感じで鍵盤を打つ。片手練習の重要性。左手でも楽しく弾けるような練習をする。手が前後に動く動作は禁止。指のこぶをつぶさないように、手のバネを利用して弾く(これは、私も随分やらされた練習法でした)。続いてバッハの演奏(「プレリュード」 BWV933-938 No1)では、左手のくいつきを良くすることで、早いテンポで弾く練習。左手の手首を固定し丸太んぼになったようにして、フルートではなくファゴットのようなニュアンスで弾くこと。右手は流れるように美しく。
中学2年生の女子生徒のハイドンの演奏(アレグロ コン ブリオ」HO6XY35)では、テンポを速くする練習法。リズムパターンを変えての練習法(私も随分やらされたことを思い出されました)。同型反復は表現次第では腕の見せ所。クラシックは再現芸術ゆえに、その当時のスタイルを大切にすること。古典派の音楽は、感情表現よりも形式美(ソナタ形式/ABA)を大切に。第一テーマと第二テーマは、片方が男性的で片方が女性的に違いを持たせる。音を切るのもリズムの一つ。左手の外側に重心を置く。
中学2年生の女子生徒のブルグミュラーの演奏(「森での目覚め」OP109)では、この曲の時代背景は、ショパンより前のロマン派ゆえ、感情表現を大切にする。テンポも速くなったり遅くなったりしても良い。フレーズを感じ取る(「不安」とか「さわやか」とか)。手のバネを利用して豊かな音を出す。手だけだとグランドピアノの弦を鳴らし切れない。背中から体重を乗せて弾くこと。お腹の腹筋も利用する。左手は、アーチを保ちながら時計の針回りに手のこぶを移動させる。
小学校2年生の女子児童のツェルニーの演奏(「チクタク 時計」では、楽譜から、「同じところ探し」をする。「質問」と「答え」のようなフレーズの演奏法。秒針の音は正確に、ボーンという時報の音はしっかり鳴らす。「違うところ探し」をする。その違いで、クレシェンドやデクレシェンドの度合いが決まる。いつもの練習曲の他に、簡単な曲で初見の練習をすること。そのことで、指が何度離れているかといった感覚を養うことができる。
小学5年生の女子児童のクーラウの演奏(「アレグロ」 OP55-1 第一楽章)では、ソナチネ(小さなソナタ)の形式美について。リズムを崩さずに、決まりごとの中で性格の違いを表現していく。アップライトピアノの練習であっても、グランドピアノをイメージした練習をする。続いてバッハの演奏(「ガボット」BWV816)では、バッハの楽譜に本来スラーはない。原典版の楽譜の方が望ましい。バッハの時代には、クレシェンドやディミヌエンドを使える楽器は存在しなかった。アーフタクトの弾き方。「同じところ探し」。左腕は丸太んぼのように、押さえるように弾く。ポリフォニーの音楽について。
最後に先生の演奏(アルベニス「セビリャ」)では、男の人と女の人が楽しく踊っている様子を表現しているので楽しく弾くこと。ペダルを最小限にすること。これはプロのひとだけの技法だけど、フィニッシュの決め方(パフォーマンス)。背中から、お尻を上げるようにして音を出す。続いての演奏(バッハ「プレリュード」 BWV855平均率ピアノ曲集より e moll)では、フレーズがぶつぶつ切らずに長く唄う方法。もっと内面的に表現するためにテンポを気持ち速くする。
聴く側のお客様は、総合的に捉えるので、小さなミスにとらわれて緊張した演奏になるよりも、パフォーマンスも含めて、心を表現して弾くこと。そのことにより、聴く者の悩みをもぶっ飛ばす効果だってあるのだから。
さて、中休みで、先生から「あなたのブログを読んでますよ。まるで教祖様にでもなったようね。ちゃんと先生について学んでいますか。」と切り出されました。
そのときは、キツイこと言われたと思ったのですが、先生の公開レッスンを通して、意味を理解することができました。
例えば、バッハを弾く場合、現在の思考回路で弾いてはバッハの音楽の良さを引き出すことができません。バッハの時代を研究し、バッハの時代の思考回路で弾いてこそ、音楽は輝き出すのです。
同じように、例えば、古典的ともいえる心理学者のフロイトの著作を読む場合、フロイトの時代背景について研究せずに、現在の思考回路で読んだとしても、フロイトの学説の良さを学ぶことはできません。同じように聖書を読むにしても、現在の思考回路で読んでは、大きな誤解をしてしまう可能性があるのです。約2000年前の時代背景をしっかり研究した上で読んでこそ、より生きた学びができるわけです。
先生は、自己流や我流を好まれない方でした。徹底的に楽譜を分析し、時代背景についても調べることを怠りません。先生は、あらゆるジャンルの音楽を表現できる方ですが、それは、それぞれの音楽の良さを引き出すためのコツを知っているからなんです。そのコツとは、作品の時代背景や当時の流行について詳しく調べ、かつ楽譜をを徹底的に分析をすることです。
先生は、何度かお手本の演奏を弾かれましたが、鳥肌が立つほどに全身の細胞が喜ぶ感じが分かりました。生徒さんの演奏も、先生の指導により、見違えるように命が吹き込まれていきました。
作品に命を吹き込む。それは、自己流や我流では上手くいきません。個性はもちろん大切ですが、聴き手に感動を与えるものでなくては意味がありません。
私は、今日の先生の公開レッスンを聴講することで、全てのことに通じる基本を学ぶことができました。
これからは、自己流や我流に走らずに、良い師について学ぶことを大切にしよう。
これからは、書物を読む場合は、作者の育った背景についても詳しく調べることを大切にしよう。
20年前、先生は自分よりも遥かかなたを歩いている方と感じておりましたが、今日お会いして、残念ながら、その距離がさらに開いていると感じられました。先生の人間としての大きさに、感動とともに憧れの気持ちを強く持ちました。
せっかく先生の生きる姿勢に触れたのだから、そしてそのコツについて詳しく学ぶことができたのだから、今日からは、先生に近づいていく歩みをしようと決意しました。
自己流・我流とは、今日で別れを告げ、本格的な学びをしていきたいと思います。
先生は、特にスペイン音楽に造詣が深い方なのですが、モンポウ作曲「夢のたたかい」という曲を紹介していただきました。モンポウの音楽は倍音効果がある癒しの曲とのことです。早速、ネットで調べCDを注文しました。また、三大テノールの一人のホセ・カレーラスがモンポウ作曲「きみは花のもとに」を歌っているCDも見つけたのでそのCDも注文しました。できるかどうかはわかりませんが、これをきっかけにスペイン歌曲にチャレンジしてみようかと考えています。東京の輸入楽譜のお店に問い合わせて楽譜も入手しなくては…