確か夏休みだったと思います。私は、帰省するために新幹線の自由席に乗りました。
車掌さんが切符を切りに笑顔で回ってきました。私の番が来て、切符を渡そうとポケットの中を探すと、ポケットに切符がありません。
「すみません、ポケットに入っている筈の切符が見つからないので」
と言うと車掌さんは、
「では、探しといてください。また、来ますからね。」
その時は、優しい笑顔を残し先に進んで行かれました。
ところが、探せども探せども切符が出て来ませんでした。何かの拍子にポケットから抜け出て無くしたようでした。
車掌さんが、またやって来ました。
「切符は見つかりましたか?」
「それが見つからないもので…」
「それは困りますね。まず料金をここで支払ってください。もし、あとで切符が見つかりましたら精算するようにしてください。」
私は、財布の中身を確認したのですが、数百円しか残っていませんでした。
お金が無いことを話すと、車掌さんは以前の笑顔とは急変してしまい、それは信じられないような厳しい口調で、
「お客さん、これは犯罪ですね。盛岡駅に着いたら警察に行ってもらいますからね。」
私は、犯罪者と呼ばれたことでかなりショックを受けてしまいました。きっと青ざめた表情をしていたことでしょう。
車掌さんの荒立った声を聞いていたのでしょう。通路を挟んで隣の側の席に座っていた30歳前後のやさしいお顔の美しい女性が、その車掌さんに、
「その方の料金は私が支払います。」
そういって、お財布からお金を取り出し全額支払ってくださいました。
私は、「後日、お金をお支払いします」と言ったのですが、その方は、名前も住所も明かしてはくださいませんでした。ただ、
「私は、伊豆の大島の者です。大島はとても綺麗なところなんですよ。いつか遊びに来てくださいね。」
と素敵な笑顔で話してくださいました。そして、私に「どんな勉強をしているの」と尋ねてくださっては、いろいろ励ましの言葉までくださいました。地獄のような状態から、楽しい旅へと変わりました。
私は、残念ながら、まだ伊豆の大島には行ってはいません。でも、私にとって、日本で一番素敵なところなのだと考えています。彼女の善意の気持ちを決して忘れまいと思います。
そして、自分と同じように困っている人に出会った時、その方が私にしてくださったように対応することで、彼女へ感謝の気持ちをお返しできるのではないかと考えるようになっていきました。
もしかすると、その女性も、困った時に助けられた人なのかもしれません。人を助けることとは、積極的な愛です。普通にできることではないのだと思います。
積極的な愛を実践できる人は、きっと過去に助けられたことのある人なのだと思うのです。私が困っている誰かを助けたなら、きっと助けられたその人も、困っている誰かを勇気を持って助けることができることでしょう。そういった、「善意の連鎖」に生きるって素晴らしいことだと思います。
多くの人が、こういった「善意の連鎖」に生きるなら、きっと住みよい社会になっていくように思います。
私の「魂の自立(善意への目覚め)」の始まりは、ここにあるのです。教会で学んだわけではありません。
毎日、テレビニュースを見ていると悲しい事件ばかりが目に付きます。「不幸の連鎖」がそこにあります。
「酷いことをされたから、同じように酷いことで返す」
「酷いことをされたから、その相手が立ち直れないほどの厳しい裁きを望む」
もちろん、そう考えたくなることもわかります。
でも、私は、善人と悪人にそんなに差は無いと思うのです。私も、生まれ育った環境が違えば極悪人になったかもしれないし、人の命を救う優れた医者になったかもわかりません。私の中に、善人の種も、悪人の種も隠し持っているように思います。
相手を打ちのめそうといったネガティブな気持ちを乗り越えて、克服してこそ、心に平和な気持ちが持てるように思えてなりません。