まず、第一朗読のゼカリヤの予言から見てみましょう。
「彼は、神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る。」(ゼカリヤ書 9章より)
勝利を与えられた者なのにかかわらず、謙遜に神に従う姿。そういう私(イエス・キリスト)に学びなさい。
では、今日の福音朗読を見てみましょう。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。私の軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(マタイによる福音 11章28〜30節)
軛とは、2頭の牛に繋いで土を耕すための道具です。伝統的に、結婚の象徴として用いられています。
ラテン語で、コン・ジュヘといい、コンは一緒に。ジュヘは軛(くびき)という意味です。
これは、力を合わせて一緒に歩きなさいという意味です。力を合わせて一緒に神から与えられた仕事をしなさいという意味です。そして、いつも主と共に歩きなさいという意味なのです。
片方はあなた。片方は奥さんまたは旦那さん。仕事を与えてくれるのは神。聖書を通し、その仕事における良い手本を示してくれているのはイエス・キリストなのです。
そうして歩んでいくのなら、辛いはずの仕事が、いつの間にか楽になっていき、安らぎを感じられるようになっていく。そして、軛の重さも感じられなくなっていくことでしょう。
疲れていて、重荷を背負っていると感じられる人は、神の導きに従った生き方に変えなさいということなのです。
そして、これは大切な点です。
神の導きとは何か。
「私に学びなさい。」という聖句。つまり、イエス・キリストと同じ姿を見せなさいということです。
皆さんの生きる姿を通して、キリストを知らない人たちに、イエス・キリストの姿。見えない神の姿をを見せるようでありなさい。これが最も尊い生き方といえるのです。
上記は、今日のミゲル神父の説教をメモしたものです。午前中に、妻と激しい喧嘩をしてしまい、ついには奇声を上げ、かつ酷い罵声を浴びせあったので、お互いに凹んでしまいました。そういった暗い気分を払拭しようと、14時からのミサに足を運んでみました。それが、何と夫婦への祝福といった内容だったので、神の導きを感じずにいられませんでした。
最近、東京で心から尊敬できる素晴しい先生から、歌の呼吸法を兼ねてレッスンを受けているのですが、私は左側のパワーがとどこおっていて、これは父親との関係。父親の血筋の問題を背負っているという意味なのだと教えてもらいました。喧嘩をして気づいたのですが、妻は私の父親との類似点が非常に多いことがわかりました。やはり、意味があってこの人と結ばれているんだなと感じられました。
そういえば、わたしの知人が、可愛らしい女性と結婚をしたのですが、二人の性格が合わなかったとのことで、数年後に離婚をしてしまいました。それから少しして、前の奥さんとはイメージの違った女性と結婚したのですが、結婚したら前の奥さんと性格がほどんど変わらないということを知り、今度はスピード離婚。そして最近、三度目の結婚をしたのですが、また同じような性格の女性であることがわかり愕然としたと言っていました。
そういえば以前聞いた話ですが、ある女性が、夫のDV(ドメスティック・バイオレンス)に苦しみ離婚し、心が優しいと思えた男性と再婚したのに、その夫でもDVで苦しみ、ついに離婚をしたという話を聞いたことがあります。
つまり、逃れれない何かがあるようです。それなら、そういった宿命から逃げるのではなく、与えられたその課題に全力で取り組んで克服した方が、自分のためにも、同じ絆を持つ人たちのためにもなるのかもしれません。私たちは、そういった使命を神から受けて生まれてきているのかもしれません。
以前、ミゲル神父から、「離婚は絶対にしてはいけないということではありませんが、離婚をすると力が弱くなる」とおっしゃっていました。力が弱くなるというのは、神様の導きを拒んだ状態なので、神の導きが弱くなるという意味なのではないかと推測しています(ということは、縒りを戻したり、再婚するなどして、与えられた試練を取り戻せば良いということなのだろうか?)。
神様の導きとは、いつも幸せいっぱいのことばかりではありません。私たちの心の成長のために、辛い試練(とはいえ、喜びを持って受け止めたい)もお与えになることもあるのです。
ミゲル神父と触れ合っていると、本物のイエス様と触れ合っているような気持ちになります(イエス様を彷彿させるような容姿の持ち主でもあります)。そして神父様は、身を持って素晴しい手本を示されています。説教のみならず、普段の行いにおいても、清らかで美しい心が感じられます。
もちろん、ミゲル神父様は素晴らしい方と憧れの気持ちを持つこともできますが、大切なことは、ミゲル神父様に習い、自分も同じように手本を示せる者となることなんだと、新たな決意の気持ちを持つことができました。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 19:20|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
宗教
|
![このブログの読者になる](https://blog.seesaa.jp/img/fan_read.gif)
|