数日前、NHKのテレビ番組で、ブータンという国について紹介されていました。
ブータンという国を知っている人は少ないと思います。インドと中国にはさまれている国で、面積は日本の8分の1ほど。総人口は日本の地方都市の岡山市よりも少ない約68万人。世界唯一のチベット仏教を国教とする王国です。
子供たちへの環境教育が徹底していて、国土に占める森林の割合が60%を下回らないこと、環境を劣化させ、野生の動植物の生態を脅かす工業・商業活動の禁止などが法律で定められ、国民が喜びを持って、その実現に協力しています。
どう見ても物質的において貧しそうな国なのですが、国民の90%以上の人が幸せだと答えているのだそうです。
そこには、1972年に、ブータン国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが提唱した「国民全体の幸福度」(Gross National Happiness GNH)に基づいた思想があります。国民総生産(Gross National Product GNP)で示されるような、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから生まれたのだそうです。
ブータンの市民へのインタビューは、とても驚きでした。
「あなたは幸せですか?」
の質問を受けた市民たちは口々に、
「幸せです」…
「幸せです」…
「だって、素晴らしい命をいただいているのですもの」
「私たちは、十分に足りているのですから」…
私は、考えさせられました。
それまで、「不足感」に苦しんできたからです。
今や現代病ともいえる、うつ病や自殺。
これも間違いなく、「不足感」が原因となっているのだと思います。
また、ブータンには失業という概念がありません。自給自足の生活が基本となっているからです。
先進国においては利益を追求しなければ経済が成り立ちません。企業同士の競争も激化しています。国際化社会となり、不安定な市場の煽りを受けやすくなっています。それゆえ、失業者が増える一方なのです。
ブータンのように、利益を追求しなくても成り立つ国があるということを知り、とても考えさせられています。
「もし、この土地の下に高価な地下資源が眠っていたとしたらどうしますか? あなたは、お金持ちになれるかもしれませんよ」
というインタビューの質問に対し、市民の一人は、
「お金持ちになりたいとは思いません。それより、自然を守ることが大切ですから、地下資源を掘り起こすことは絶対にしないことでしょう」
私は、2000年からパソコンを始めて、いろいろできるようになりました。以前の自分からは考えられないほどに、可能性が広がったようにも思えました。
しかし、「不足感」が募る一方の自分がそこにありました。
できることは確かに増えている筈なのですが、幸福感はどんどん無くなっているように感じられてなりません。
新しいスキルを得るために、あれが欲しい、これが欲しい。そして、成功したいとか、有名になりたいとか。どんどん、欲求だけが募っていき、今の自分に満足できなくなっていったのだと思います。
いつの間に驚くほどの機械に囲まれて、それらに完全に依存している惨めな自分がそこにありました。最小限の物で満足して、幸せに暮らしているブータンの市民が羨ましくも思えてきました。
私は、本当に必要なものは何かを考え、要らないものは捨てていくようにしなくては、まずいのではないかと考えさせられました。
もしかすると、パソコンも要らないものの一つに数えられるのではないかと思います。
とはいえ、パソコンをやっていたからこそ、ブログやSNSを通じて全国のいろいろな方々と語り合えて有益だったと考えています。ブログをはじめて約3年の間に、多くの人と触れ合い、自分のキャパが大きく広がったように思います。また、インターネットを通して得た情報があったからこそ、高橋洋子先生という人生の師匠にめぐり会えたように思います。
これは先生の教えなのですが、心静かに神様と語り合うことをしながら、自分の願いに生きるのではなく、神の願いに生きていこうと考えられるようになりました。
先生のアドバイスで、カウンセラーへの道は神様の願いとは違っていることに気づかされました。最先端のカウンセラーになるのだと随分お金を投じて勉強をしてきました。でも、それは、自分の願いに過ぎなかったのです。先生との出会いから、新しい道が少しずつ見えはじめてきました。今は、こうして記事を書いている時ではない…
そして、テレビを通じてのブータンの市民との出会い。
これは決め手となりました。
ブータンの女性たち、質素で素朴ながら、とても美しいと思いました。精神的な美しさに溢れていたからです。
外見的な女性美が目立ち強調されている現代日本の社会は、むしろ狂っているのだと気づくことができました。
「もう、惑わされないぞ」
と強く思いました。
これからは、シンプルライフに生きたいと思います。
残念ながら、これからも機械を使うことがあると思うけど、
「本来、機械なんてどうでもいいもの」
と考えて、パソコンを含む機械に振り回されないようでありたいです。使えなくて不便をしたとしても、本来無いものと考えて、ブータン市民のように「知恵」を使って乗り越えていこうと思います。
一週間ほど前なのですが、教育系の求人に応募して次々に失敗した私を励まそうと妻から誘われて見たマザー・テレサのドキュメント・ビデオのとある場面が頭に浮かびました。
それは、マザーがニューヨークに支部を構えるようになった際、教会側が用意していた備品の多くを必要ないと処分してしまったことです。給湯器や扇風機という電気製品はもちろん、高級なカーペットも剥がして処分してしまったのでした。
そこには、ブータンの市民と同じ思想が流れていると感じられました。中世のカトリックの聖人、アッシジの聖フランシスコの思想とも通じているものだと思います。
もっともっと、自然を愛する方向性を持ちたいです。
多分、ブータン市民のようにはいかないけど、自分なりの最小限の持ち物で、「食べたり着たりすることで、明日のことを思いわずらわずに生きていこう」と思います。
参考までに、これはブータン市民が信奉しているチベット仏教の重要な訓戒です。
@正しい見解 欲にふけらず、貪らず、怒らず、損なう心のないこと。
A正しい思い 思慮深いこと。
B正しい言葉 無駄口をきかないこと、嘘をつかないこと。
C正しい行い 殺生、盗み、邪な愛欲を行わないこと。
D正しい生活 人として恥じるような生活はしないこと。
E正しい努力 怠ることなく努力すること。
ここでは、最後の質問になるかもしれません。
皆さんは、ブータン市民の生き方をどう思われますか?