2009年08月05日

何事も祈ってからはじめよう

祈りの本来的意味は、「意乗り(イノリ)」であるのだそうです。

つまり、神の御心(みこころ)に波長を合わせ、そこに乗り合わせること。


私の願いが叶うようにと神に祈ることではなく。

神が私に願うことに私が気づき、その使命に生きられるようにと祈ること。


こういう祈りができるのなら、聖書も仏典も要らないのかもしれません。

直接神と対話できるようになるからです。

対話とまではいかなくても、神の息吹ぐらいまでなら感じられるのだと思います。

世の中にはいろいろ宗教があるので、このようなことを言ってしまうと語弊があるかもしれません。

でも、このことは宗教というカテゴリーには入りません。あくまで、宗教が出現する前の「原始回帰」を試みたにすぎないからです。

仏教やキリスト教が出現した2千年以上前の話というのではなくて、

10万年以上前の原始人の価値観となってくると、そこには宗教は存在しなかったことでしょう。

このことは、原始人が心を向けるようなシンプルなことなのです。

それゆえ、知識や経験に乏しい子供にもできることなのです。

いや、大人より子供の方が、こういった感性は優れているのだと思います。

それほど単純なことなのですが、魂を進化への方向性へと向かわせてくれることだけは確かなようです。

だから、何事も祈って(意に乗って)からはじめようと思うのです。




「かぎっ子」が増えている現代社会において、大人が子供に、神という視点を教えることは、子供の健やかな成長に欠かせないことなのだと思います。

どんなに親の目から離れていても、子供たちは、いつも神と共に生きている実感を持つことにより、自分の意志で悪の誘惑を絶てる力が湧いてくるわけです。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 05:44| 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月01日

覚醒 (書かずにいられなくなって…)

先生は太陽で、私は月。

月は太陽に比べるととても小さな存在だけど、自然界の生体のあらゆるリズムが月の満ち欠けと連動しているなど、命に係わる重要な役割をしています。

月の人は太陽の人と一緒になって、この地上を清めていく使命を持っているのです。

この先生に付いていくなら、すべてを捨てられると思いました。そういう決意を、なぜか自分からしたくなったのですから不思議でなりませんでした。

どんなに誘惑があっても、祈り(意乗り/神と意を合わせること)により魂が磨かれて、これからは、その裏が見えてくるようになるので、乗り越えていけるような気がしています。もちろん、こういったことは誰でも持てるような特別な能力という程のものではありません。ただ、使命としての能力の部分も大きいように思います。

もちろん、太陽の使命に生きる者。月の使命に生きる者は他にも大勢いて、地球を清める働きをしているのです。

先生が死に、私も死んだとしても、太陽の使命に生きる者、月の使命に生きる者が新たに覚醒されて、永遠の真理による秩序は保たれていくのです。これは、自然の摂理でもあるからです。ですから、その役割を担えるということは、何という喜びなのでしょう。


夜行バスで帰るまでの時間潰しに、渋谷の名曲喫茶ライオンでゆっくり音楽鑑賞を楽しみました。

渋谷の街を歩いてみると、凄い露出の少女たちが目に入ってきました。

眩しいほどの若さゆえの美しさに目のやりどころが無いほどでした。

しかし、次の瞬間、彼らの肉体と魂が分離して見えたのでした。

彼女たちは、今死んだらヤバイかも…

「暗くて恐ろしい世界」しか、そこには見えなかったからです。

でも、だいじょうぶなんです。

彼女たちが子どもを生んで苦労して、または子どもではなくても多くの苦労をすることで、魂が磨かれていくのなら、魂に光が差して明るくなっていくことでしょう。高い次元の幸せ、喜びを感じられるようになっていくことでしょう。

彼女たち(に限定せず、すべての人たち)の進化のために、他の多くの人たちが犠牲を払っているのです。ある人は、命を落とすような受難に遭うことで身代わりの愛を捧げているように思います(キリストの十字架とリンクします)。私も、これからの人生、多くの受難に遭うことでしょう。

でも、神に見込まれてそうなるのなら、喜んで引き受けなくてはなりません。

「私でよかった」

と、思える気持ちを持てるようでありたいです。

もちろん、これまでに私の魂のために犠牲を払った人も多くいることでしょう。本当に生きていることは感謝なのです。生きているだけで儲けもの、生きているだけで十分幸せなのですから。

私たちは、そうして「いつ死んでもだいじょうぶな魂」へと進化していくのです。これは人生の目的の一つなのかもしれません。

人間としての意義のある進化とは、そういうことなのだと考えるようになりました。

残念ながら、退化する人生を歩んでいる人も多いようですが…

昨日、私は自分の生きる使命を強く感じ、なぜか踊りたいほどに嬉しい気分に浸っていました。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 16:26| 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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