2010年02月19日

武田双雲氏のメルマガより

私は、私自身が最も影響を受けている書道家でもある武田双雲氏のメルマガの愛読者です。そして、「今日の武田双雲からの言霊」を読むのが毎日の楽しみになっています。

ちなみに今日の言霊です。

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成長を妨げる壁を作っていたのは

俺の意識のみだった。

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確かに、自分の成長を妨げる壁は、自分の考え方にあるのではないかと… 思い当たることが次々浮かんできました。せっかくチャンスがあっても、自信のなさからたじろいでしまうことが何度もあったかも… やる前から、「できない」と決め付けてしまう弱気の自分がそこにいました。

でも、「できない」と壁にぶつかった時、諦めずに、投げ出さずに保留していたら、数年後、ふとしたことからできる方法を見つけたという経験もいくつかあります。投げ出してしまったら、実にもったいないことでした。パソコンもそうだし、ホームページ作成や、音声編集のスキルにおいても、投げ出しそうになったものではありました。そういえば、書道も、声楽も、投げ出しそうになったっけ。

ですから、「できる」他者と「できない」自分とを比較するようなことはしないで、また、一気に実りを得ようともしないで、じっくり時間を掛けて目的地に至るまでのプロセスを大切に味わうようにする。そうするなら、「できない」の壁を乗越えていけるのだと思うのです。

「できない」と、すぐに決め付けてしまわないようにしたいと思います。



さて次に、今日の修道院の朝ミサ中に頭に浮かんだ事ではあります。

神様は、その人の心に「合わせてくれる」心広きお方であるということです。キリスト教徒には、キリスト様やマリア様になって、導きを与えてくれる。仏教徒には、お釈迦様になって、神道の信徒には、天照大御神や、月読命になって… すべて指導霊のなす業ではないのかと…

ミサ後、神父様に、「どうして『旧約聖書』には、他の宗教を完全否定し、神が呪うとまで書いてあるのですか。」と質問したところ、「そうだねえ、旧約の舞台は、砂漠の中で生活に命が掛かっていたしね、当時の人たちの精神レベルはかなり低かったので、"唯一の神"としないと、民が好き勝手な考え方して暴れだし、指導者の言うことを全く聞かずに、まとめられなかったのではないのかな。キリストの言う悪い神とは、この世の富なのかもしれないね。」と答えてくださいました。つまり、聖書の時代背景を無視して、字面から読み取ると恐ろしいことになってしまうという意味でもあると思うのです。

私は、今日の神父様のように、神様も心の広い御方と信じています。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月13日

スピリチュアルの世界を開く鍵

(2010年2月13日 シャルトル聖パウロ修道女会 盛岡修道院における朝ミサ中に降りてきた啓示的な心へのメッセージ)


どの宗教が正しいかと考えることは大変愚かなことなのです。

なぜかというと、すべての宗教が自分の宗教が正しいと言う、偏りを持ったものであるからです。

それゆえ、宗教を通して、スピリチュアルの世界への扉を開くには、複数の鍵が必要となるのです。

一つの宗教では、あまりに偏りがありすぎるからです。

ただ、どの宗教にも「共通善」ともいえる教えが必ずあり、それこそがスピリチュアルの扉を開ける鍵の一つとなるのです。

残念ながら、どの宗教にも「独善」という、自分だけの宗教が正しいとする教えが含まれます。

多くの人は、この部分を最も重要としているのですが、スピリチュアルの世界では、全く必要としない概念なのです。

そうなると、「共通善」と「独善」とを見分けることが、とても重要になってきます。

それゆえに、宗教でスピリチュアルの世界の扉を開くには、一つの宗教、つまりは、一つの鍵だけではダメなのです。私たちには、心に一つの宗教のチャンネルしか持っていないと「独善」に傾きやすい性質があるからです。

ところが、たった一つの鍵だけで、スピリチュアルの世界を開く、マスターキーともいえる鍵があるのです。

それは、自然から学んで得た鍵です。

自然からの学びには、まったく偏りがありません。自分だけが正しいと言った「独善」は存在していません。

ただ、この方法で鍵を見出すことは、大変困難なことでもあります。

スピリチュアルな世界とは、個人と神との交流なので、ある意味、孤独な信仰といえます。

どんな人も、弱さがあり、一人ぽっちでは生きていけないことでしょう。宗教とは、人間関係を築く上で意味のあるものなのです。家族の絆を深め、また、結婚式や、葬式のような、人と人との絆の大切さを実感するための、人生を豊かにしてくれるための大切な場を与えてくれるものでもあります。

それゆれ、何か宗教に所属することには、大きな意味があるわけです。

21世紀は、宗教を新しい視点で見つめ直し、スピリチュアルな世界が開かれていく世紀となることでしょう。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 11:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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