その古い自分とは、前世の自分のようでもあり、しかも一番最後の前世の自分が強く出ているように思えるのだ。
私が変わろうと頑張っていると、変わらないでくれと騒ぎ出す。私が変わるということは、古い自分が消えていくことを意味しているようなのだ。
はじめは、悪霊かとも思えたが、どうやら自分の一部であることがわかってきた。悪霊も確かにいると思うのだが、悪霊とは別の存在を感じるようになったのだ。
今の自分で考えてみて、もし、未来の自分(生まれ変わった自分)が大きく変わることで、今の自分を消し去ろうとしたらどうだろう。抵抗しないだろうか。魂の修行(進化)のために、記憶が隠されていたとしても、未来の自分の中に、その心は立派に根付いているのだから。
自然の法則とは、過去を一切否定せずに、ひたすら積み上げていくことなのだと言う考え方もあるが、それにあてはめるとするなら、古い自分を捨て去るのではなく、いたわりながら、新しい自分を積み上げていくという方向性がより自然なことなのかと思うのである。
自分を変えようと思っても、なかなか変えられない理由がそこにあるように思うのだ。
例えば、前世で音楽をやってきた人は、音楽の飲み込みが、そうでない人に比べ格段に優れているのだ。そういった素材が無いのに音楽をものにしようとしても、苦労の割には実を結ばない。そう考えると、自分の素材とは何かを知ることは実に重要なことなのだ。
同じ親の元に生まれても、兄弟で才能に大きく差が出てくるとなると、古い自分の問題と言えるのかもしれない。まあ、あくまで仮説の領域ではあるが…
最近、古い自分と新しい自分を見出しつつあるが、そのことで、死ぬことは終わりではないということを強く感じられるようになった。
そして、輪廻することが怖いから、何が何でも解脱の道を歩みたいとも思わなくなった。なぜなら、今世で克服したことは、未来の自分(生まれ変わった自分)に間違いなく生きていくといえるからだ。さらに、未来の自分に邪魔をしない自分でありたい。そう考えると、あんまり無理しないで、さりげなく変わっていく人生を歩みたいとも思う。まあ、輪廻という考え方も、越える真理が見つからないとも限らないが…
多分、頑張りすぎると、自分を失いたくない気持ちが強くなりそうだから。
また、頑張らなすぎると、未来の自分に否定される気持ちになりそうだから。
無理せず自然な魂の進化を楽しんでいきたいと思う。
できない自分をいたわりながらも、できる自分へと一歩一歩、無理をせずに、積み上げていく。
今日の内容にしても、つまらないようなことを考えていると思われる人も多いことだろう。しかし、このようにいろいろな角度から考えていくと、きっと真理が見えてくるように思えてならないのだ。こりずに続けていこうと思う。
何事も思い込みや決め付けは、真理から遠ざかる方向性であると思う。
多分、数ヵ月後の私は、今日書いたことを古いと考えていることだろう。
何事にも捉われない、偏りの無い、自由な心を保ち続けたいものである。