こういうときは、神に試されている時なのだと思うからだ。もしかすると、人生最大の正念場なのかもしれない。
つまり、そのことで浮かれたり、思い上がったりするなら、その後は転落人生となるかもしれないということなのだ。
中年が過ぎた頃の不幸な人の話をよくよく聞いていると、若い頃、幸せいっぱいの日々があって、そこで自己中心になって好き勝手に生きたといったような話が出てきたりする。やはり、不幸には原因があるように思えてくるのだ。
そう考えると、運もほどほどの方が安心な気がしてくるのである。ちょっと位なら、ツイていなくても腹を立てずに、正念場よりはマシと考えるようにする。そう考えるなら、多少の不運には耐えられそうである。
そして、本当の正念場が来た時、神の試しに応えられる自分であるよう、心の備えをしたいものだと思うのだ。
最近の私は、ツイているようでツイていない面もありました。不安になって、短気な行動に走りそうになりましたが、冷静になって考え直してみると、どっしり構えた方が徳であることに気づきました。
あまり、運が良すぎなくて良かった…
とにかく、腹を立てずに、焦らず、無理せず、人と人との繋がりを大切に生きていこうと思います。