2010年06月29日

幸運とは正念場

高額の宝くじが当ったとか、面白いほど運に恵まれていると感じられる時は、かなり要注意なのである。

こういうときは、神に試されている時なのだと思うからだ。もしかすると、人生最大の正念場なのかもしれない。

つまり、そのことで浮かれたり、思い上がったりするなら、その後は転落人生となるかもしれないということなのだ。

中年が過ぎた頃の不幸な人の話をよくよく聞いていると、若い頃、幸せいっぱいの日々があって、そこで自己中心になって好き勝手に生きたといったような話が出てきたりする。やはり、不幸には原因があるように思えてくるのだ。

そう考えると、運もほどほどの方が安心な気がしてくるのである。ちょっと位なら、ツイていなくても腹を立てずに、正念場よりはマシと考えるようにする。そう考えるなら、多少の不運には耐えられそうである。

そして、本当の正念場が来た時、神の試しに応えられる自分であるよう、心の備えをしたいものだと思うのだ。


最近の私は、ツイているようでツイていない面もありました。不安になって、短気な行動に走りそうになりましたが、冷静になって考え直してみると、どっしり構えた方が徳であることに気づきました。

あまり、運が良すぎなくて良かった…

とにかく、腹を立てずに、焦らず、無理せず、人と人との繋がりを大切に生きていこうと思います。




posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月28日

自分の土俵で勝負する

昔、会社の上司に毎日「馬鹿」「馬鹿」と言われていた。

私は、本当に愚か者だったのか?

彼の土俵の上では、私が劣っていただけではなかったのだろうか。

では、私の土俵に彼が乗ったらどうだろう。全く逆の立場になることだろう。

ところが、毎日「馬鹿」と言われ続けていると、本当に自分はダメな人間ではないかと思えてくるのである。

ある日、その上司が彼の作ったマニュアル通りにやれと押し付けてきた。

一応やってはみたのだが、ぎくしゃくしてどうも上手くいかない。これは、あくまで彼の持った才能に基づくやり方なのだ。

そこで、今度は自分の才能に基づくやり方でやってみた。すると、面白いほど上手くいったのである。

やはり、自分の土俵に持ってこなくては、自分の魅力が引き出せないのだと実感した。

同じように、本で読んだ知識どおりにやってみても、そうは上手くはいかない。書いた人の土俵にすぎないからだ。

それを自分の土俵に持っていくことが重要なのだと思う。

でも、普段に自分を客観視することを怠っていると、自分の魅力が何なのか見失ってしまうのだ。

「ああなろう」「こうなろう」「ああなりたい」「こうなりたい」という、他人の土俵で生きる方法から、等身大の自分で考えて、自分らしさで勝負していく人生に変えていきたいと思うのです。

posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月10日

最近のしろねこ

ふと、ひらめきがあったので、インターネットで物件を探したら、とても良い物件を見つけたので、現地に行ってみた。市外で、車で30分ほど飛ばしたところにある物件である。

以前から、もう一つの教室(書道塾)を持とうと考えていたものの自信が持てず踏み出せないでいた。

それは、大きな小学校のすぐ傍で、しかも、大きな幼稚園も近い。現在では、幼稚園の年少の指導もやるようになったこともあり実に好都合な場所である。この場所に看板を設置するなら、子供たちは、すぐに見つけてくれるだろう。

あまりに良い感触に感動してしまった。近くに古い神社があるのでお参りをした。すると、なんと山鳩が、神社の看板の上に止まっていて、おびえる風もなく、逃げることもなく、じっと私を見下ろしているではないか。全体の色は高貴な緑というか玉虫色で、目の縁が赤紫というかマゼンタ色だろうか。なんとも高貴な鳩である。まるで神様のようだと感じられた。私は、自然の中に神を見出せるセンスを得られるようになってきていることから、神道的考え方(日本古来からの考え方)に心地よさを感じられるようになった。とはいえ、私はクリスチャンなので、クリスチャンとしてのモチベーションも下げたくはない。

先週から、教会の主日ミサに出席するようになった。私の毎日・毎週のルーティーンが完成しつつある。

それから、不動産に行って、室内を見せてもらった。室内はとても明るく、機能的で、要求していた機能をすべてクリアしていた。駐車スペースも広い。しかもテナント料も計画していたものよりかなり安いものだった。すぐに物件を押さえることができた。不思議なくらいに、とんとん拍子で事が運んだ。銀行からの融資も取り次ぐことができた。

今回のひらめきの前に、ある決意があった。それは、「汚れを退け、神と共に生きる魂の状態をキープしよう」というものだ。数週間前、心電図で悪質な不整脈(QT延長)が出るなど、健康にかなり不安が出てきたこともあり、死んだつもりで、魂を進化させるべく信仰に賭けてみようという気持ちになったのだ。

基本を忘れてはいけないと思い、ここに記そうと思った。




不思議な鳩は、アオバトではないかと思うのだが、はやり神様の化身なのかも (=^・^=)ノ

posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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