2010年07月05日

呪いの言葉に打ち勝つために

神というのは、多くの場合、守護霊団であることが多いように感じている。この世からアクセスできる範囲の世界と考えると、霊界の最上位ではないようだ。といっても、これは確かなこととは言い切れないことではある。ただ、スピリチュアルの扉は、イメージ力によって開かれるものなので、私は、こういったイメージを大切に考えている。

神道の天照大御神というと、天照大御神の守護霊団であって、一人の人物を指しているのではないようなのだ。しかも、担当の守護霊が、実に刻銘に守護することを任された人の生き様を記録しているのだ。この記録が、死と誕生(輪廻転生)に大きく意味をなしてくるのだ。キリスト教の聖母マリア様も、同様な気がする。聖なる守護霊団ではないだろうか。プロテスタントでは、聖母マリア様も讃えず、讃える聖人も存在しないゆえ、そういった守りが感じられにくいように思える。成功の証が神の証となっている感じすら受ける。成功しなくても得られる証が大切だと思うのだが… キリストを身近な神と考えられるなら、力強い守りが得られるのだが、そうでない人には、どうしても心に裏表が出てくるような気がしてならない。

人を最もダメにする言葉に、「オマエ、女の趣味が悪いな」「アンタ、男の趣味悪いんじゃない」「そんなの、ダサくない?」といった言葉である。この呪いの言葉を浴びせられた人は、趣味の良い異性をものにして、自分の器量を示そうとするのである。特に、前世でプライドの高い生き方をしてきた人は、この呪いの言葉をとても気にするのである。

私も、この言葉を浴びせられていなければ、もっと若い頃に、結婚していたように思う。私はそんなに女性の容姿にはこだわっていなかった。しかし、女の趣味が悪いと罵られてから、やたらこだわるようになっていった。

問題は、結婚した後も、この呪いが生きていて、「俺はもっと趣味の良い女が得れる筈だ」「私はもっと趣味の良い男が得られるはずだ」と考えてしまうのではないだろうか。これが、不倫という方向性に走る原因の一つではないかと思うのだ。私に呪いの言葉を浴びせた人を怨みたくも思うわけだが、その人に言わせた悪魔の存在の方にむしろ問題があるのかもしれない。というより、そこに神に試しが強く感じられる訳で、単に悪魔の誘惑と片付けてしまうのもどうかと思う。

誤解を承知で言うが、私は毎日、カードを用いて神と対話を試みている。以前は、聖書だけで、誘惑に負けずに自分をコントロールできてきたのだが、肉体労働をしていた30中頃からは、毎日交される汚い言葉に慣らされて、霊的な力が衰えつつあった。カードには、以前の霊力を回復させる効果があった。そういったこともあり、悪い方向性に走りそうになっても、神より戒めの導きを受けるので、間違いを起こさずに済んでいる。そのカードについては、心許せる人にしか話さないことにしている。

恐ろしいことは、「自分の生き様は刻銘に記録されている」ことである(アカシック・レコード)。しかも、その記録は、実は公開されているのである。自分の前世や、生まれてきた決意を知らないようなレベルの人は、見ることはできないのだが、スピリチュアルな訓練のされた人なら、見ることが可能なのである。

そのことを思い出すたび、影で悪いことはできないと思うのである。

さて、女性の美貌とは何だろう。男性も然りだが…

美貌とは、自慢するためにあるのだろうか。美貌とは、高慢になるためにあるのだろうか。富とも密接に繋がっていて、ある意味、人生の掛かっているような問題でもある。

確かに、そういった美貌には魅力があるものではあるのだが、人間の魂の進化において、最も足を引っ張る存在ではないだろうか。大きな罠がそこにあるのだ。

守護霊団の方々は、みな美しい姿をしている(美しくないお姿の方が見当たらない)のだが、そこには性的な誘惑など存在しないし、美を競うこともない。だから、そちらの美しさに心を向けて、この世においてのいずれは朽ちる儚い肉体美には目を向けない方が賢明なような気もする。そういった、平安な美を描くことのできる画家さんが出てきてほしいものである。そうすれば、偽りの美に惑わされない力が得られそうな気がするからだ。私は、絵の才能もなくはないので、老後に(それまで生きていれば)描いてみたいテーマではある。本当の美しさとは何かというものを世に示してみたい。

現在は、書道と声楽での芸術表現が私のテーマとなっているが、そういった思想のあるものでありたい。

人間死んでも終わりではない。前世の自分や、生まれてきた時の決意に気づくことなく生きている人は、たった一度きりの人生ゆえに死ぬことを恐れ、長生きしたいと考えていることだろう。または、たった一度きりの人生ゆえに、自殺は逃げ道になると考えている人もいるかもしれない。

しかし、死んだ時の続きとしての次の人生が始まるようなのだ。その法則性まではわからぬが、私は前世の自分に記憶の欠片を集めることができるようになってきた。そして、幸福な犬の時代の記憶も含め、その過去の自分を否定せず大切にすることが、今の自分も未来の自分に大切にされるということに繋がると考えている。それゆえ、そういったスピリチュアルな世界にアクセスしないまま漠然と人生を送ることは、そても損なことだと思えてならないのである。

振り返ってみて、純粋な心に生きていた頃が、一番恵まれていた。

私が純粋な心の時代には、随分周りの人から、からかわれ馬鹿にされたが、その時の自分をキープできなかったのは、本当に無知であった。自分は損をしていると考えてしまった。世の価値観に騙されてしまったのだ。

もし、純粋な心に生きていて、心を痛めている人がいるのなら、どうか自信を持って欲しい。そういう人がいるのなら、私は喜んで語り合いたいと思う。

損をしているのではなく、最も恵まれていることに、きっと気づき、素晴しい人生が開けてくるのだ。偽りのない幸せとは、ピュアな精神に引き寄せられてくるものだと思う。

もう、呪いの言葉なんかには惑わされない。

今日も、つまらないことを書いてしまった。本当に凝り性のない、愚か者ではある…

でも、つまらない試行錯誤を繰り返したほうが、より確信に迫ることができると思うのだ。人に馬鹿にされることや、批判を浴びされることを恐れていては、真理の追究などできない。5年後、10年後の進化した自分に出会うために、とにかく歩みを止めずにいたい。

知識からではなく、ハートから行動する真の強さを目指そう。日本人に生まれたことの意味と、日本という波動を感じながら「和と輪」に生きる。これは、今日のカードの導きである。今日は、新しい気持ちで歩みを進める決意ができた。

魂の進化の旅の途上として…


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 09:19| Comment(4) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月02日

死んでも終わりではない

死んでも終わりではないと思う。

最近、自分の前世の欠片を見つけられるようになった。

自分が、困難を乗り越えようと頑張れるのは、前世の自分が困難を乗り越えたからなのだ。

反面、前世からの宿題についても、いくつか見つけられるようになった。

そのことを知ると、苦しいからと自殺してしまっては、自殺をした自分からのやり直しになるわけで、それだけは避けたい。

また、あまり長生きをしたいとも思わなくなった。老醜をさらすような長生きでは、次の人生へ良いバトンにならないからだ。

歌手の本田美奈子さんのように、どんなに短い生涯であっても、使命感のある美しい魂を保った状態で死に至りたいと願う。

また、自分の前世を見つける練習をして、前世の自分に出会えるような魂の進化をさせると、来世において、現世の自分に出会うことができるように思えるのだ。

そう考えると、これほど死の恐怖を無くするものはないようにさえ思えてくる。

どうして、前世の記憶を失っているのか。

これは、どうして神が見えないのかという問いに答えることに近いものがあるのかもしれない。

もし、神が見えるとするなら、神を恐れるあまり、自由意志がなくなってしまう。自由意志がなくなれば、愛もなくなってしまう。

神は、目に見えなくても、感じることができる。神に尋ねることは、何らかの形で答えが得られるので、そういう形での対話も可能になってくる。前世の記憶へアクセスするのも、それに近いのである。イメージとの対話のやり取りの中で強く感じられるようになってくるからだ。未知の世界へのイメージの扉を開くとでもいうのだろうか。

こんなことを書いたが、私は別輪廻転生を信じる仏教徒ではない。クリスチャンである。あくまで、発見したことを書いたにすぎない。そして、これからもキリスト者として人生を歩んでいくと思うのだが、このところの発見は、宗教を超えた分野のことと分けて考えいこうと思う。

ここ10年ほどの中で、量子物理学においては、目に見えないものの中の情報を解明できるようになってきている。きっと、今後において、こういったことは、科学的に明らかにされていくのではないかと思うのだ。

だから、宗教とは切り離して考える問題なのだ。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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