2011年05月04日

信じる力

信じるの裏側には、「わからない」があります。

試合に勝つか負けるかは、試合に出てみないとわかりません。

被災地の人々は、復興にどれ位時間が掛かるか予測も立たないような(つまりは「わからない」)酷い状態の中でも、復興を信じて頑張っています。

神様を信じているといっても、実際に神様を見たという人はいないことでしょう。

「わからない」からこそ、信じるという言葉があるのです。

でも、信じるとは、とても前向きな言葉。

良くなりたいから使う言葉なのです。

プロゴルファーの石川遼君や、野球選手の斉藤祐樹君がどうして強いのでしょう。

まずは彼らが、自分が良い結果を出せることを信じる力を持っていることと、彼らの父や母も息子のことを信じているだろうし、友人たち、同僚、何より全国のファンの方々も信じているわけで、こうなると「一人力」が「一万人力」にもなるわけです。

しかし、平気で嘘をつく人はどうなるでしょう。

嘘ばかりついていると、周りの人が信じてくれなくなることでしょう。

そうなると、信じてくれるのは自分だけ、つまりは「一人力」でしかなくなってしまいます。「一人力」の人が、「一万人力」の人と戦って勝てるでしょうか。?

人が強くなるためには、周りの人との信頼関係の絆を良くする必要があるのです。

人をだましてお金を稼ぐ人がいます。確かに一時的には大金持ちになれるかもしれませんが、信じる力は大きく失なわれてしまいます。そうなると、運にも見離されていき、破滅へと向かっていくことでしょう。

信じるとは、「わからない」が裏側にある。

「わからない」ところに神様がいらっしゃるのだと思う。

「わからない」を大切に、どんな人にも、自分にはない良いところがあると信じて大切にして生きたい。

誰かが、ちょっと間違いをしたからといって、その一面しか知らない状態で、その人は「ダメな人」と決め付けるような愚かなことだけはしたくない。

「決め付け」とは、信じる心を最も失わせる悪魔のささやき。

この「決め付け」という悪魔が多過ぎて、人々は信じる心を失っているのだ。

信仰もそう。クリスチャンだけが救われる。というのは、一つの決め付けではないだろうか。キリストを否定する者を敵とみなすことも同様である。どうして、あるキリスト教の国の人はイスラム教の人を平気で空爆できるのだろう。イスラム教の人は、全員テロリストなのでしょうか?

だって、キリスト教を否定する民は滅びの民と聖書に書いてあるから…

聖書もいいけど、聖書が本当に正しいのか直接神様に聞いてみたら?

大自然に聞いてみたら?

そんなこと言われると、わからなくなってきた…

それでいいのではないでしょうか。

「わからない」からこそ、決め付けることをやめて、信じ合う絆を大切にできるのです。

誰もが「わからない」ということを大切に生きていくなら、きっと世界は平和になることでしょう。

わたしは、「わからない」からこそ、キリストを信じているのであり、神の愛を信じているのです。

キリスト教が正しいと断言できないことを大切にしているのです。




実は、スピリチュアルな視点は、「わからない」ことを「わからない」と言える正直さがなくては見えてこないものでもあるのです。

嘘をついていては、信じる力(神の力)を失っていくのですから。




posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 16:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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