人間が悪に走りやすいのは、知性を持っているからである(=原罪)。
その点では、知性ではなく本能で生きる動物たちの方が清い存在と言える。
さらに、脳性麻痺で知性を失った人は、自分で生きる力に不足しているとはいえ、動物以上に清い存在と言えるのである。私は、こういう人たちこそ聖人と呼んでいる。神に近い人だからである。
これから話すことは、超越的とも言える内容なので、戸惑われるかもしれない。大切な内容ではあるが、混乱を起こされては何にもならないので、あまり深刻には考えないで欲しい。結論を話すなら、学力を向上させる生活が身に付いている人は、これからの時代、だいじょうぶ生きていけるという内容ではある。
アカシックレコードとは、私たち一人一人の進化の歴史が刻まれた記録である。
もちろん、今、生きている様子もすべて記録されているのだ。
そのアカシックレコードとは、低い霊界にあるので、霊能者たちはそこを見て、私たちの繰り返されてきた前世や、近未来を語ることが出来るのである。
ただ、アカシックレコードとは、死者が輪廻転生するための重要な役割を持っているものの、その低い霊界には神は存在していない。それゆえ、アカシックレコードは、サタン(悪魔)や悪霊も見ることができるのである。
キリストが輪廻転生を唱えなかったのは、その低い霊界と関わることなく、神が存在する高い霊界へと導きたいからではないだろうかと考えられる。
聖書には、この世はサタンの支配下にあると書かれてある。この世の成功者の多くは、つまりは巨富を築く者は、サタンの力あってこそと考えることもできる。
実際、闇の力が世界を支配しているのも事実である。そして私たち人間は、その力に対して全くの無力なのである。闇の力は、平和を願い行動している人々をあざ笑うかのように、世の中を悪い方へ悪い方へと動かそうとする。戦争、テロ、環境問題、経済危機、彼らは自作自演をしては、自分たちに好都合となる戦いの標的を作り出し、人々を扇動しているのだ。私たちは、彼らの手の中で転がされているに過ぎない。
闇の力は、地球支配階級と化してきている闇の側のエリートたちを頂点としたピラミッド社会を築き、闇の側のエリートたち以外は、ほぼ奴隷のような立場として生きなくてはならなくなるのである。そうなる日は、近いのである。
そのエリートたちとは、白人なので、わたしたち有色人種には分が悪い。
では、わたしたち有色人種が奴隷にならずに生きるには、どうしたらよいのだろうか。
それは、かつて古代からユダヤ人たちが生き抜いてきた知恵に学ぶべきだと思う。ユダヤ人は、キリストを裏切った民として、大変な差別を受けて生きてきた。彼らは、商業組合のギルドにも入れてもらえず、普通の人間のレベルでは、奴隷になるしか道はなかったのである。
そこで、ユダヤ人は、「ユダヤ式教育法」を作り出し、子供の教育に力を入れた。ユダヤ人は、医者になるか、貿易商や通訳といった知的分野にしか生きる道がなかったのである。
現在の日本は、すでに国自体が破綻しかかってきている。かつては頭の良い民族であったのだが、経済発展にばかり目を奪われて、他国ほどに子供の教育に力を入れてこなかったので、近年になって子供たちの学力低下が問題になってきている。つまり、未来における競争力も低下しているというしかないのだ。
もはや国を救うことは絶望的かもしれないが、子供たちを一人でも多く奴隷にしない方法を講じなくてはならない。国が破綻すると、若者たちの多くが、戦争に駆り出されたり、中国やベトナムなど安い労働力として駆り出され(ある意味、売り飛ばされる)ることだろう。
奴隷にならないためには、《闇の側のエリートたちから頼りにされるようなスキルを身に付けることにある》。ユダヤ人のように、医者になるとか、貿易商や通訳といった知的分野はもちろん、世界的ファッションデザイナーや、そのファッションを活かす美容師、ペットを育てるブリーダーでも良いと思う。ただし、並のレベルではダメなのである。
「並みの医者には治せなくても、ユダヤ人の医者なら治せるかもしれない」といった信頼感。そういった高いレベルによる信頼が、これからの日本人の若者に求められてくるのである。それゆえ、勉強好きにならなくては、これからの日本人は生きていけないのである。
土地があるのなら、奴隷にならずに自活していこうと考える人もいるかもしれない。しかし、土地はすべて闇の支配者に没収されてしまうので、そうはいかない。せいぜい、自分の家に庭があるなら、庭で野菜を栽培する程度が関の山だろう。ただ、農業のスキルがあれば、さらに先の時代に訪れる食糧難を生きる手段になるだろう。
とにかく、闇の力には一切逆らわないこと。彼らの好き勝手にさせること。批判をしても、抵抗運動を展開しても、風車に挑むドンキホーテのようなもので意味をなさない。ただ、私たちの希望は、「最後には神が勝つ」という『聖書』一番最後の記事、黙示録のシナリオであり、そう考えると何の心配もする必要はないと言えるのだ。
ここでは、サバイバル(生き抜く)ことをテーマに書いてきたが、人間は、死ぬからこそ、生きる意味があるのである。生きているからこそ、高い霊界への道が開けるのである。死者には、高い霊界への道は開けてはいない。だから生まれ変わらなくてはならないのである。良く生きて、良く死ぬことが人生のテーマなのである。だから、自殺をしてしまっては、輪廻転生する低い霊界に逆戻りするだけ、つまり人生(人間とは限らない)をやり直すだけなのである。キリストは、輪廻転生の世界に目を向けずに、まっすぐに神の世界を目指しなさいと教えているのはそこにあるのだ。
残念ながら、世界を動かしているのはキリスト教から派生した価値観であって、他の宗教は、世界を動かしているとはいえない。もちろん、その教えは素晴らしいので、学ぶ価値は十分にあるのだが、それだけでは《時代を読む》ことができない。闇の力については、『聖書』に書かれていることであって、まさに『聖書』の預言が成就しているのである。
次に生まれ変わった時は、今より進化したいと考えるのは、ナンセンスなこと。生まれた時に記憶が消されているので、カルマ(繰り返される煩悩)として前世からの癖が引き継がれ繰り返されることはあっても、その癖から良い悟りが得られるかというと、困難と言うしかないのである。生きている今しか、チャンスはないと考えるのが一番確実なことではないだろうか。
今、日本の子供たちに求められているのは、かつてのユダヤ人にも負けないような高い教育なのである。勉強嫌いな子は、これからの時代、奴隷になるということを若い親御さんによく理解して欲しいのである。
私が展開している教育は、勉強好きな子供を作っていくことにある。書道塾ではあるが、「集中力」「注意力」「持続力」を養い、さらに国語読解力ドリルや、漢検の学習も取り入れている。対話式教育を取り入れ、子供たちに「応用力」に繋がる、考える力を養っている。努力をポイント化して、カードに記録しているが、書道以外の努力もポイントにしているが、中でも読書に関するポイントは一番大きい得点としている。
読書の苦手な子は、奴隷になる子と考えているからである。私の関わる子供たちを奴隷にはしたくないと思う。「読書力」そして「調査力」。とにかく、本を読まない子には、未来は開けて来ないのである。
また、私自身も、並みの教師では奴隷になるしか道が無いのである。闇の世界の側の人々も、子供の教育では悩まされることだろう。そういう意味で、カリスマ的教育者になることが、これからの厳しい時代を生き抜いていくために必要なスキルであると考えている。
古代の頃から、何度も国を失ったユダヤ人が、何度も国を取り戻し現在に至るように、日本人も、どんなに国を失ったとしても、国を取り戻すことができるかどうかは、未来を託す子供たちに掛かっていると言っても過言ではないと思う。
勉強は楽しいもの、美味しいもの。そう考えられるのなら、だいじょうぶ生きていける。未来のことに心を押し潰されることなく、いかなる時代になろうとも、明るく、心に小さな幸せを絶やさぬよう生きていこうではありませんか。