2012年10月02日

自信に根拠はいらない

多くの場合、自信とは、過去の経験に基づくものと考えられています。優れた経験が自信を生むと言う人もいるようです。

本当にそうでしょうか。

ある人が、自分はパスタ屋さんになるんだと心に決めます。その人は、たいして料理をした経験はありません。パスタを食べるのが好きなだけです。

しかし自分はそうなるんだと心に決め、「絶対にパスタ屋さんになる」という、根拠のない自信を持つのです。

さらに、そのことを周りの人に公言するのです。周りの人は、次第にその人はパスタ屋さんになる人なんだと思うようになります。

そうすると、周りの人たちがその人に、あそこのパスタは美味しいとか、いろいろ情報を流してくれるようになります。ある人は優れたパスタの料理人を紹介してくれるかもしれません。そして、その人の料理を期待してくれて、味がいまいちなら、こうした方が良いとアドバイスしてくれたり、美味しいなら、大いに宣伝してくれるわけです。むしろ実力が無い方が、協力者が得られやすいのかもしれません。あまりできる人には、協力者が集まりにくいからです。「頼りなくても愛されるべき人間」であるというのがポイントなのかもしれません。

そうすると、その人の弱点は、協力者という形で、どんどん埋まっていくことでしょう。

そして、経済面も含めて、パスタ屋さんになるための条件がすべて揃っていくわけです。

このように、根拠のない自信から、素晴らしい未来が引き寄せられていくことを「引き寄せの法則」と言います。

逆に、根拠のある自信となると問題です。

それまで培ってきた経験からの自信ですから、未来の自分は、過去の自分を超えることが難しくなるのです。それは、心の視点が過去に向かっているからです。心の視点が過去に向かっている限り、過去の自分以上の新しい自分を築くことはできません。

私は、父母が公務員ですから、商売の経験がほとんどありません。商売を始めても、頭の中に商売のイメージが全く浮かばないため、やることなすこと失敗の連続です。父母は公務員の事なかれ主義に染まっているため、私のやることが全く理解できず、「恥ずかしいからやめろ」と言ってくるわけです。といって、私が何をやるべきかを一緒には考えてくれません。父に至っては、家から近い飲み屋に行っては私を「バカ息子」と言って悪宣伝を流す始末です。こういう場合、家族は全くあてにならないのです。

私は、これまでの経験で、未来を切り開くことは困難です。そうなると、根拠のない自信で切り開くしか道が無いわけです。わずかな才能を生かし、自分のやっていることを大いに宣伝し、大いに失敗し、恥をかき、協力者を得るしかないわけです。

恥をかいたからと言って自信を失う必要はないのです。恥をかくたび、目標に近づくことができると考えているからです。

私は決して成功者ではありません。生活は酷いものです。が、未来において、死後の世界において、成功を得ていると信じ切っている幸福者ではあります。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 22:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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