2014年04月22日

歌の本番

一昨日の20日(日) カトリック四ツ家教会のイースターミサとイースター祝賀会に出席しました。

ミサの後、地下ホールでイースター祝賀会がありましたが、私は余興で声楽を披露しました。

歌った曲は、ベッリーニ作曲の「優雅な月よ」と、ジョルダーニ作曲の「カロ・ミオ・ベン」です。

先週の土曜日に母が自宅の台所で転んで腰の骨を折ってから、入院と介護の件で妻と走り回っていました。さらに、父の認知症の件で、病院での精密検査があったため、歌の練習をする時間を全く作ることができませんでした。

「優雅な月よ」は、思ったように歌えたような気がします。「カロ・ミオ・ベン」は、声量をアップしたもののブレスの計算をミスって、変なところでブレスをしたり、ブレスを取り忘れたりとミスを連発しましたが、のびのびと歌うことができたので、結果はそんなに悪くないと感じられました。

半分以上の人は、私の歌を楽しんでくださっていた感じでしたが、おしゃべりに花が咲いている人も多く、うるさい物音の中で歌わなくてはなりませんでした。

今回は、ピアニストが手を怪我をしたとのことで、伴奏の簡単な曲と言うことで、ピアニストから優雅な月よの楽譜をいただきました。実は、私は一度も歌ったことのない曲で、もちろん人前で歌ったこともありません。学生時代、試験等でよく耳にした曲なので、すぐにニュアンスが掴めました。ただ、楽譜通りに歌っては、この切ない歌詞が生きてこないので、曲作りに少々こだわってみたのですが、完成できぬまま母の怪我の件となってしまいました。

なので、本番は、ほぼアドリブで、伴奏から感じられるニュアンスを大切に歌いました。多くの人から祝福のお声をいただくことができました。次回は、6月7日(土曜日)盛岡芸術祭の本番です。

20日の本番の音源をアップしましたので、興味のある人は聴いてみてください。








最近、シュタイナーの学習が楽しくなりました。最近の内容では、エーテル体とアストラル体の役割と、それぞれを良い方向性へと変化させる方法について学んでいます。秘儀参入という言葉が頻繁に出てくるようになりました。神秘学を極めることとは、スピリチュアリストになることなのかもしれません。スピリチュアリストになるということは、さらに高い次元の霊界へと参入できることであり、自然の法則が求めているものだと思うのです。

前回、

だから、「どうか私に恵みをください」と熱心に祈ったとしても意味がないのである。
自然の法則には、特別扱いということは一切ないからだ。
ただひたすら法則に従っているだけなのだ。

と、書いた部分なのですが、その後に「わからない」という方向性がとても強まってしまったので、「保留」にしたいと思うのです。

自然の法則とは、そんなに単純明快なものではなく、とても複雑で、霊界の存在者たちとの交流や、それを妨げようとする悪霊の力といった問題もあるからです。

シュタイナーの読書は、単なる読書ではなく、実験的な要素もあり、それゆえ解読にとても時間が掛かります。とはいえ、その作業に生き甲斐というか、使命を感じているのです。

posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 09:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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