2014年05月13日

世界からスラムと貧困を無くすること

シュタイナー教育というと、学ぶ側にとっては難しすぎると思われがちだし、教える側は大変な思いで取得した知識につい思いあがってしまいがちである。これでは、両者にとって好ましい関係とは言えない。

神秘学に基づく教育法なので、そのほとんどが、科学的に証明されておらず仮説にすぎない。しかし、宗教と大きく異なる点は、宗教は、神の教えゆえに「絶対的知識」であるのに対し、神秘学は、間違っていれば訂正できて、新しく発見された真理があれば付け加えることができることにある。つまり、数千年掛けて、仮説が真理へと進化していくのである。それなので、現在地を見失わずに、慎重に一歩一歩積み上げていくことが大切で、「わからないことは、わからない」という謙虚さをもって進めていくべきものなのである。しかし、現実には、シュタイナーの教えをまるで宗教のように絶対視している人を見ると狂っていると言わざるを得ないのである。

シュタイナー教室を最も簡単に定義づけるのなら、「〈魂の進化〉と〈魂の退化〉を区別できる精神を養う」ことにある。この区別ができるようになれば、魂の進化をより着実に進めることができるのである。つまり、シュタイナー教育は単に頭のいい子を育てるのではなく、魂の美しい、そして強い精神力のある子に育てることにあるのだ。

<魂の進化>に生きているフィリピン人青年について紹介したいと思う。



これは、5月6日、世界を変えるテレビ(日本テレビ系列)で、フィリピン・マニラを訪れた池上彰がエフレン・ペニャフロリダ氏を取材した番組を、私はたまたま見ることができた。そこで得た感動を、私は一生忘れられないことだろう。

フィリピンには貧困層が集まる地区、いわゆるスラムがあり、一面がゴミだらけで、バラックのような建物が所狭しに立っているという場所の映像が目に入ってきた。そこでゴミをあさっている子どもたちが大勢いた。この地域では、ゴミを売って生計を立てているのである。学校に行かない子供が多く、生きるためにギャングになる子も後を絶たないという。

エフレンは、スラムの悲惨な光景を目の当たりにし、この暮らしから抜け出さなければならないと思い勉強に励んでいた。
しかし、そのことがギャング予備軍の子どもたちの目の敵になっていった。殴る蹴るの暴力や執拗なイジメに耐え忍ぶ日々が続いたのである。

エフレンは、彼らに復讐をしたいと思い、そして一つの答えに辿り着いた。

ギャングのない世界を作ればいい。

エフレンは、友人に声を掛け、教科書やノートを貰い受けるために歩き回った、そしてかき集めた教科書やのーーとをボロボロの手押し車に詰め込んでスラムへ向かったのである。このスラムを貧困から救う慈善団体DTC(ダイナミックティーンカンパニー)を設立したのは、何と彼が16歳の時である。

授業を行う時間帯は、子どもたちが親の手伝いから解放される土曜日の昼間を狙った。そこで子供たちに声を掛けて勉強を教えることにしたのである。

しかし、手ごわいのは親御さんたちで、自分の子供には学問いらないと邪魔をしてきたのである。それでもめげずにエフレンは授業を続けたのである。

エフレンはとあるアイディアが浮かんだ。問題に正解するなど頑張った子にお菓子などをあげるようにしたのである。そのことが口コミでどんどん広がっていき、参加する子供が増え続け、多い時には30人もの子供たちが集まるようになったのである。

エフレンの教え子の中からは、学校の先生になった者も出てきた。彼の復讐劇は、見事に実りを得るようになっていったのだった。

現在も手押し車の授業は続けられていて、エフレンを支えるスタッフは100名、手押し車も70台まで増えた。

活動はフィリピン国内に留まらず、ケニア、インドネシアなど、近隣諸国の貧困地域へと広がっていった。

授業を始めて12年目の2009年、その活動が認められ、アメリカCNNテレビが選出する人道的な活動家に与えられるCNNヒーローズ賞を受賞した。

池上氏の「教育とは何ですか?」の質問に対し、エフレンは、

「誰にも盗まれない財産です」

と答えていたのは印象的であった。



私は、エフレン氏と、インド・カルカッタの貧困の現場で、路上で死にゆく人々を介護するために、「神の愛の宣教会」を設立したマザー・テレサ(1910 -1997)の人生とオーバーラップしていた。マザーも貧困のカルカッタから、全世界の貧困の地へと、その慈善活動を広げていったからである。マザーは、ある時は戦争を止めるという奇跡までやってのけた、マザーたちの祈りが一時停戦をもたらし、戦争で傷ついた子供たちを救ったのである。マザーには、神が味方をしていると思った。しかも、脚色された聖人伝ではなく、私はリアルタイムの映像で、そのことを知ったのである。

世界中からスラムや貧困がなくなったら…

「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」

これは宮沢賢治の言葉であるが、どんなに金持ちに生まれ恵まれた生涯を送ろうと、この世にスラムと貧困がある限り、次の人生はスラムに生まれ変わるかもしれないのである。

しかし、この世からスラムや貧困がなくなったなら、すべての人が、人生に良い学びと魂の進化がもたらされるようになるのである。これこそが、本当の幸福といえるのではないだろうか。



「〈魂の進化〉と〈魂の退化〉を区別できる精神を養う」ことの他に、もう一つ加えて子どもたちに伝えたいことは、

「人に仕えるというプロセスを経なければ、自分のやりたいことを実現できない」

ということである。これは、私の自戒でもある。もっと人に仕えるということをやっておけば、私はこんなにも遠回りの人生を歩むことがなかったと思えたからである。人に仕えることを経た方が、多くの賛同者が得られやすく、目標実現がより近づくのである。

こういったことも、いきなり小学校の低学年の子供に話して聞かせるわけにはいかない。子どもの魂の成長(7年周期)を大切にしながら、必要なタイミングで話ができるように、子供に魂の成長を踏まえた上で進めていくのもシュタイナー教育の方法なのである。


付記(2014.5.15)

私たちの魂の完成のためには、世界からスラムと貧困を無くさなければならない。と書いたが、スラムと貧困と同じくらいに、社会悪といえるものは、極端な「裕福」ではないかと思う。極端に裕福な人がいるということは、虐げられている人が必ず存在するからである。また極端に裕福な人で、真理探究の目を持たない人は、我欲が優先し、魂が退化する方向性を持ちやすい。真理探究に目を向けないと、人はこの世に何も学べないのである。


付記(2014.5.16)

昨日、妻と話しをしていて、私はエフレン氏の言葉から重要なことを聞き逃していたようである。スラムの80%の人が学校に行かない状態では、勉強する20%の人の立場は弱い。それが逆転して、80%の人が勉強するようになると、勉強しないでいる人の立場が弱くなっていくといったニュアンスのものだ。そうなると悪質な人たちは、そこから去っていくしかなくなり、良い環境へと近づいていく。つまり、悪質な人たちが住みにくい環境に作り替えていくことにあるのだ。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 09:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 書道教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月06日

人格教育の重要性について

子どもの教育で最も重要なことは、子どもとの信頼関係をいかに築くかにあると思う。

教師が上から目線で指導するのに、ついてこない子どもが多いからだ。

私は、子どもの目線で、その時その時の子供の状態を感じながら指導内容を決めるようにしている。一見して頑張れないと感じた子には、始めは添削を1点だけに絞るなどして、子どもに安心感を与え、少しずつモチベーションを上げていけるように工夫した指導を心掛けている。

教師は、手を抜かず真剣勝負で子どもたちに向かうべきである。これも、子どもたちと信頼関係を築く上で重要である。とても疲れることだが、良い結果が出てくるようになると、やりがいが出てくるものである。

私は過去に5年ほど、コンクリート2次製品の製造工場にて、精神薄弱者更生施設の男子青少年延べ16名の職場実習を担当した経験がある。

どの子も完全に自信を失っており、まずは自信を付けさせることからの指導となった。ある子には、汚水桝の材料となる短い針金を30度曲げる作業をしてもらった。しかも1000本曲げである。

初日は、合格品が数十本のみで、あとは不良品だった。私は、仕事が終わってから、その曲げた針金を元に戻して次の日に備えるようにした。翌日も、その翌日も、1000本曲げが続いた、次第にコツを掴んでいき、数本しか不良品が出なくなっていった。そこで大いに励まし、ついに1000本すべて合格品が出せるようになっていった。

こんな単純な作業でも達成感とは大きいものである、その子は自分から、溶接の仕事をしてみたいと言ってきた。そこで、丁寧に教えながらやらせてみた。見事にやり遂げ、さらには難しい溶接までこなせるようになっていった。そして、最終日までには、一般の作業員の中に混じって立派に流れ作業もこなせるまでになっていった。こんな感じで、16人に向かい合ったのである。

こんな感じで、16名全員を職場での採用へと導いていったのである。

ところが、その中の2名が、会社の金を盗んみ無免許で車で逃走するといった犯罪を犯してしまった。しかも、その2名は、教え子たちの中でも最も優秀な子たちだった。

書道塾においても、ごく最近まで、家庭の躾が全く出来ていない問題児たちに教えていた。その子たちは、塾の備品を次々と壊し、大いに暴れてくれた。躾の出来ている子に悪影響を与えないようにするため、時間調整にいつも悩まされた。しかし、その子たちとの信頼関係だけは築けたので、全員に初段まで取らせることができたのである。しかし、それが限界だった。

この子たちも、私が体調が優れずに苦しんでいた時に、休み時間のホテルごっこに誘ってくれて、肩たたきの無料券をくれるなど優しいところを見せてくれた。それゆえ、親御さんが教育に協力的になってくれたなら、この子たちに良い方向性を与えられたに違いないと思えてならないのである。

問題児の教育は、いつかはしてみたいと思っているが、それでは教える側の生活が成り立たないのである。こちらの教育は、行政的に何らかの助成をしてもらわないと、今後はできないと感じている。

自分で言うのは何だが、私は技能を教えることは得意なようで、受け持った子全員に、それなりの結果を出してきたと思う。しかし、問題は、スキル教育には成功できても、人格教育ができて来なかったことにいつも引っかかってきた。

私がシュタイナー教育に注目するようになったのは、そこにあるのだ。学校も塾も、スキル教育のみだけで、人格教育には積極的ではない。行われたとしても、対処法的なもので、その場しのぎに過ぎないのだ。どんなに良い学校、良い就職へと導けても、後に犯罪者になってしまっては意味がないのである。

シュタイナー教育は単に頭の良い子を育てることだけではないのである。

とことん考える授業(エポック授業)の他、フォルメン(絵画的アプローチ)やオイリュトミー(身体表現によるアプローチ)等を通して、「自然の法則」を体全体で捉えるセンスが習得できるのである。

これが、その子の人格を向上させるのみならず、〈人類の文化レベルを向上させる〉人材育成となるのである。


恵翠書院 盛岡教室

恵翠書院 滝沢教室
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 書道教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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