私ってなんてバカなんだろう。
私ってなんてちっぽけな存在なのだろう。
そのように考えて落ち込んだことはありませんか?
そのように考えている人は、まだ本当の自分に会っていない人です。
私たちの肉体は、父方の血脈と、母方の血脈によってつくられた肉体によってできています。
つまり、血脈による身体と、脳が、ある意味、私たちに限界を与えているのです。
何であの人は、すぐに覚えられるのに、自分は何度やっても覚えられないのだろう…
何であの人は、すぐに応用できるのに、自分は単純なことすらまともにできないのだろう…
実は、こういったことは、血脈による肉体があなたに与えている限界が起こしていることなのです。
本当のあなたは、霊的な存在で、そこに居るあなたは長い長い生命の進化の歴史の中で培ったすべての能力を持った存在なのです。
時間にゆとりを作り、黙想する時間を持った方が良いのは、そこにあります。
より高い次元にアクセスし、まずは本当の自分に出会う必要があります。
宇宙の法則上、地上での修業を続ける上で、そのことを完全に引き出すことはできないのですが、感じることは十分に可能です。
自分の守護をしてくれる霊によって、たくさんヒントを与えてもらえることでしょう。
そして、まだまだ自分には、大きな可能性があることを感じられるに違いありません。
この肉体を鍛え、脳を鍛え、その能力を十二分に発揮できるようにすることが重要なのです。
もっとも重要なことは、これまでの進化の歴史の中では体験できなかった新たな体験をし、新たなチャレンジにより、これまで未体験だった壁を乗り越えることに意義があるのです。
得意なことばかりやっていては、無駄に時間を費やしているに過ぎないのです。
困難は、人を鍛えます。
困難は、奇跡を体験するためにあります。
奇跡体験は、魂の進化のために通らなくてはならない過程なのです。
肉体的に能力的にハンディがあるということは、そういう意味では大きな神の祝福です。
前世の行いが悪かったわけでも、先祖のせいでもありません。
神の世界に触れ合うために、とても必要なことであると知るべきなのです。
ですから、できない自分から逃げてはいけません。
本当の自分に出会えたなら、きっとそんな厳しい現実に立ち向かっていける勇者になれることでしょう。
P.S.
例えば、超頭の良かった人が60歳過ぎて、不幸にもアルツハイマー病になったとします。彼は、それまで築いてきた知識をどんどん失い、家族の名前すらわからなくなってしまいました。それは現実なのですが、それは彼の脳が故障してしまい魂からの受信ができなくなってしまったことに問題があるわけです。
つまり魂には全く問題はなくても、脳が故障してしまったので、そういった限界ができてしまったといえるのです。もし、発達した医学が、彼の脳を治すことができるなら、また元のように頭の良い彼が復活するわけです。
こう書くと、意味が分かってもらえるのではないでしょうか。本当の自分は身体や脳にあるのではなく、魂の方にあるという考え方です。
この人が、その後死んで、霊界に行ったなら、本当の自分に戻ることができます。しかし、霊界ではさらなる進化をするための修業はできません。それで、新たな自己開発を兼ねて新しい生命に生まれ変わってくるわけです。
そう考えると、恵まれた環境に生まれてきたから優れていて、悪い環境に生まれてきたから劣っているとは言い切れなくなってきます。なぜなら、困難を克服することこそが、魂の進化に必要なことだからです。
釈迦もキリストも、当時の差別的宗教観にあって、輪廻転生についてはあえて外して教えるしかありませんでした。当時の教育レベルはとても低かったからです。しかし、人類は教育的な環境を獲得し、そういった概念を差別的にではなく平等視できる高い次元でとらえられるようになってきているのです。
とはいえ、こういったことも「わからないこと」には違いありません。わからないことなのに、わかったと決めつけては科学の原則に反します。「ここまでは、何となく理解できたけど、ここのところはまだわからないから保留にしよう」で良いのです。きっとこれから解明されていくことと未来を楽しみに待ちましょう。
まず何よりも、自分自身のポテンシャルを最大限に生かせることが重要なので、自分の心に正直に、自分ならではの方法を見つけることが重要なのです。