2015年07月22日

おばあちゃん先生の初の個展「佐藤文子の恵翠刻字展」

おばあちゃん先生が特別賞(高円宮杯)

今月16日、高円宮杯日本武道館書写書道大展覧会の審査結果が送られてきました。

賞の内容は上から、特別賞(日本武道館奨励賞以上)、日本武道館賞、大会奨励賞、特選、金賞、銀賞、銅賞となっていますが、当塾での今年の成績は、特別賞(1)、日本武道館賞(5)、大会奨励賞(1)、特選(4)、金賞(4)、銀賞(3)、銅賞(1)でした。特に日本武道館賞がこれまでの最高だった3名を2名上回る好結果でした。

高円宮杯の審査結果が送られてくるほぼ1週間前には、競書の段試験結果が発表されましたが、硬筆・毛筆合わせて19点のうち17点が合格でした。不合格の2点は、中学生の2名でしたが、二人とも2点のうち1点は合格したので「全員合格」となり、これもまた例年にない素晴らし結果でした。この二人は、心がスランプでお休みが続き、練習にあまり打ち込めなかったこともあり、片方だけでも合格できたことは幸運だった言うべきなのかもしれません。この日には、岩手県書写コンの課題が送られてきて、当塾では、どこよりも早く書写コンの練習に取り組んでいることになります。

さて、今年の高円宮杯では特別賞が1名出ましたが、その特別賞を受賞したのは、おばあちゃん先生でした。あくまで子供たちを優先させたので、おばあちゃん先生は出品することだけを目的としていたため、まさか特別賞を受賞するとは考えてもいませんでしした。昨年、4月に腰の骨を圧迫骨折して寝たきりになり、リハビリが進むにつれて、起きている時間を少しでも増やさせる作戦として、私が書道用の机から用具一式をプレゼントして、高円宮杯へ出品することを目指させたことが始まりでした。今回は、唐の三筆の褚遂良の臨書でしたが、さすが昔取った杵柄というか、私には表現できない世界を見事に描いていた作品だと感じてはおりました。

8月30日(日) 東京・九段 ホテルグランドパレス2階「ダイヤモンドルーム」にての授賞式には、私が付き添って出席する予定です。

そうなると、今年は、おばあちゃん先生の年といえるのかもしれません。来月8月1日(土)〜8月30日(日)の1か月間、Café Jazz開運橋のジョニーさんで、おばあちゃん先生の初の個展(「佐藤文子の恵翠刻字展」)を開催することになっているからです。

詳しくは、ジョニーのマスターの照井顕氏のご厚意により、7月14日(火曜日)の盛岡タイムスの毎週月曜日の照井氏の人気コラム「辛遊記」の記事に載せてもらいました(13日の月曜日が新聞休刊日だったので火曜日に掲載されました)。

morioka_times 2015.7.14.jpg


今回の高円宮杯で良かった点は、昨年、成績が芳しくなかった塾生が日本武道館賞を受賞したことです。以前にも、金賞だった子が翌年に文部科学大臣賞を受賞したケースもありました。今年、金賞、銀賞、銅賞だった子には、来年には、大きな賞を狙わせたいと思います。そうなると、どの子にも隔年か3年おきにチャンスが巡ってくるような形になるかもしれませんが、私は全員に主役になってもらうつもりで頑張らせたいのです。

県の書写コンは、各学校から出品するため、主役がもっと増えてきて全員主役も可能なのかもしれません。ただ、全国展のように塾から出すものとなると多くて5名。特選まで拡大しても10人程度が限界なのです。そこが辛いところですが、それだけに各学校から出せる書写コンは頑張らせたいと思うのです。

今年、このように成績が上がった原因は、私が新聞配達を辞めたことにあると言えると思います。やはり、教師が疲れていると、指導に陰りが出てしまうことがはっきりしたわけです。お弟子さんの数をしっかりキープしないと、また新聞配達のような仕事をしなくてはなりません。そこのところをご理解いただき、親御さんにも宣伝していただきたいと願う次第です。



恵翠書院 盛岡教室

恵翠書院 滝沢教室

posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 書道教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月05日

頑張れない現代の風潮

前回、「頑張れること」の素晴らしさについて書きましたが、現実問題は、頑張れない人が増えているのではないかと感じています。「頑張れない」「死にたい」という心の方向性があまりに強く、修正が利かず、ついに自殺に至ってしまったケースも少なくありません。

盲人の目を開き、あらゆる病気を治したイエス・キリストも、奇跡を起こす前に必ず、「良くなりたいか」と尋ねます。

そして、「主よ、良くなりたいです」と言えた者に対してのみ奇跡を与えているわけです。

そうなると、「良くなりたい」という気持ちすら失っている場合、キリストの奇跡も起こらないということになります。

このことからも、「頑張れない」という心の方向性は、実に重い病気であると言うことができるのだと思います。

キリスト様も治せない?病気を私が治せるわけもなく、そういう人に対して無力であることは当然といえば当然なのでしょう。

ただ、そうなる前に食い止めることはできないものかと考えるわけです。これを食い止めるための子供の教育を行うことが、教育現場にいる者の使命とも考えています。

と同時に、そういった恐ろしい病に苦しんでいる人たちを支えていくことが社会の役割でもあると思うのです。この病気の恐ろしさは、一見、理解しにくいところがあります。単に怠けているのではないかと思われがちです。しかし、人との交流に難があり、あまりにも幸福感に乏しい状態を見ると、そうは考えられなくなってしまいます。

本人に良くするための力がない場合のことについてもキリストは教えています。それは、周りの人がよく祈り、必ず良くなると信じてあげることです。実は、盲人の目を開いた奇跡においても、その人が主に出会うまで、良くなりたいと長い長い期間、願い努力し続けた信仰があったわけです。つまり継続的な良い習慣の上に成り立った奇跡だったのです。

同様に、本人がダメな場合、周りの人が、継続的に良くなることを信じて、その人を支えてあげるという良い習慣を継続させる時、そこに奇跡が起こるのだと思います。

「継続は力なり」

いずれにしても信仰が問われるわけです。信仰とは、奇跡に出会うためにあるのだと思います。



posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月03日

死は怖くない 心(マインド)と魂(ソウル)の違いを知ること

死の不安を克服することが、人が生きていくうえで重要な要素であり教育でなされるべき課題の一つです。

心(マインド)は、失われるものですが、魂(ソウル)は失われないものです。

例えば、脳に損傷のあるような大けがをした場合、脳の機能を激しく失い、その人は人格すら失うかもしれません。つまり、心は体と密接な関係があります。

しかし、魂は体とは別のところで機能しており、仮に脳に激しい損傷を負って人格を失ったとしても、失うことはありません。

ですから、医学が発達し、手術によって脳の機能が完全に取り戻せるのなら、その人は人格を取り戻すことができます。魂は失われていなかったゆえ、そこから取り戻すことができるわけです。その際、人格を失っていた、つまりは心と魂の交流が止まっていた時の記憶は無いことでしょう。

そう考えると、体あってこその心ですし、心と体の両方を失うことを死というわけです。

つまり、死んだからといって魂を失うわけではありません。

ですから大切なことは、体を大切にしなければ、心を健全に保つことはできないということです。そして、心を健全に保つことで、この世に生まれ、この世での体験を通して良い学びができるわけです。これは、魂のみの状態ではできなかった素晴らしい学びなのです。

さて次に、この失われることのない魂(ソウル)とは何かということになってきます。

一度きりの人生と考えるキリスト教と、何度も生まれ変わると考える仏教では、魂の意味合いが若干変わってきます。

ここで、どちらが正しいかと考えては公平さに欠けてしまいます。ですから、どちらにも共通して教えていることとは何かと考えると、心の他に魂の存在があることを教えているということです。永遠の命というのは、ズバリ魂を指しているわけです。

こうなると、人生に行き詰ったから自殺したいと考えることは良くないことであるということになります。

自殺したい人は、この世の現実から逃げたい、自分がいなくなった方が楽だと考えがちです。

しかし、死んだからといって魂は失われることがありません。この世での学びの時は失われますが、魂は霊界で、その続きの歩みをしなくてはなりません。

霊界とは、神のいる高い次元もあれば、神から遠く離れた低い次元もあると考えられています。私は神に近い次元を「天国」、神から遠い次元を「地獄」とイメージしています。これはあくまで「わからない」の世界ゆえ、キリスト教の考え方、仏教の考え方、あるいは別の考え方、どれにおいてもこれが正しいと決めつけることはできません。

ただ、自殺をした人が、霊界に行った際、果たしてどのような次元に行くのかと考えると、誰もが良い次元に行けるとは考えにくいことでしょう。

私はクリスチャン(キリスト教信者)なのですが、これまでに多くのキリスト教バッシングの記事を読んできました。そして何度となく、心がキリスト教から離れそうになりましたが、私はキリスト教による奇跡体験が多いので踏みとどまることができました。

ただ最近になってはっきりしてきたことがあります。キリストの教え、特に『新約聖書』の中の4つの福音書の教えとは、賢者への教えではなく、教育の乏しいものを含む万民への教えであること。そして、この4つの福音書の教えのみで十分であり、この教えに生きるなら、間違いのない生き方ができるということです。

どんなにキリスト教が間違っているとか、聖書はねつ造された書であると言われようとも、聖書は生きた書であり、これまで多くの人々に奇跡を与え、神の証を与えてきたことだけは事実なのです。

とはいえ私は、キリスト教のみが正しいとは考えていません。あくまで天国へ行くための方法の一つであると考えています。何が正しいかと一生迷って生きるより、足元を固めて堅実に生きる方が優れていると考えています。ですから、仏教信仰で生きることも同じように優れた道であると思うのです。

もちろんご家庭で仏教教育をしているとか、他の宗教による教育をしている場合においては、そちらを尊重し全力で協力していきたいと考えています。それゆえ親御さんとの連携がとても重要であり、情報を提供してもらわなくては良い方向性が得られません。その情報を基に、お預かりしたお子さんの良心を向上させる教育を進めていきます。私の塾では、グローバルな視野を持てる子供に育てたいので、世界にはいろいろな気候風土があり、そこに根差した文化があり、そして異なる宗教があることも伝えていきたいです。

ただ、特別宗教教育をしていないご家庭のお子さんに関しては、私自身が数多くの奇跡を体験し、証を持つキリスト教による教育を学ばせたいと考えています。もちろん、キリスト教にのみ偏った視野の狭い教育にはしないつもりです。ただ、何が正しいかと迷わせてしまうと意味がないので、子供たちが消化できるレベルで基盤づくりから取り組んでいきたいと思います。

宗教が何であれ、良心を保つためのしっかりとした基盤を持っている子は決して迷いません。基盤さえしっかりしていれば、多様な思想や文化を受け入れることも可能となります。世界中のいかなる人とも上手く交流できる術も得られることでしょう。ですから基盤づくりが重要なのです。教育現場には、宗教批判を持ち込まないのが基本であり、そこを守れない場合は、残念ながらやめてもらうしかありません。批判に関しては、親の言葉に原因があるようです。

基盤を持っていない人は、迷ってばかり、または批判してばかりで考え方が定まらずふらふらしているゆえ、信念を持った生き方ができません。これでは何をやっても中途半端になってしまいます。

そしてその基盤は子供時代に築かれるべきものです。この基盤は学校教育とは別物ゆえ、本来親から子に伝えるべきものです。中には、偉人伝など書物から得る子もいることでしょう。いずれにせよ、私はそのお手伝いをする教育を展開しています。


生きながら心を失わないような生き方をしましょう。

心を失わないように、さらに心を育てられるように、体を大切にしましょう。

そして死んでも、心と一体である魂は失われることはありません。

死は、新らたなステージに移行することを意味します。

そこは神と共に生きられるステージです。

私たちが、頑張って生きなくてはならないのはそのためなのです。

頑張って生きている人にとって、死は決して怖いことではないのです。

ですから、頑張って生きられるように心身を鍛えましょう。

「頑張れること」ができれば、どんなに不治の病に侵されようと、身体に重度の障害があろうとも、心は健全に機能しているという証です。魂が喜ぶ学びをしていることになります。

しかし「頑張れること」ができなければ、心にとっても魂にとっても、実に残念な状態にあると言わざるを得ません。

映画「マザー・テレサ」の終わりの方で、年老いて行くマザー・テレサに周囲の人々が「休息を…」と言うのに対し、マザーはニッコリ笑い、「やがて私には永遠の休息が待っていますから…」と答えていたシーンがとても印象的でした。

「頑張れること」の究極の姿がそこにありました。

「頑張れること」は素晴らしいことであり、だからお互いに(ほぼ無意識の内に)「頑張ってね」と励まし合っているのだと思います。



posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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