2015年10月31日

必ずできる

当塾でお預かりしたお子さんには、全員に良くなることの素晴らしさを実感してもらおうと思っている。

書道の得意で、すぐに上達する子もいるけど、

書道が苦手で、なかなか上達しない子こそが、将来有望な子なのだと考えている。

また書道が得意だったはずなのにスランプに陥って悩んでいる子も、将来有望な子なのだと考えている。

苦手を克服することは、教わる側も教える側も大変なことだけど、苦手を得意に変えられたなら、これからどんな厳しい試練に会おうとも、「きっとできる」と考えることができるだろう。苦手克服は、一生役立つ素晴らしい財産と言えるのだ。

人生良いことばかりではない。これからの人生、どんな厳しい試練に出会うかわからない。

得意なことばかりやっていると、壁にぶつかった時、「自分には才能が無い」と諦めてしまいやすいのだ。

そういう意味で、当塾でのシュタイナー教育は、どちらかというと書道の苦手な子に大きな効果が出ている実感がある(もちろん、できる子には、厳しい壁〈試練〉を与えることで効果を上げようと考えている)。

空間認識能力に劣る子、加減の全くわからないような子には、シュタイナーの線描(ひたすら直線を引くワーク)が、その子の芸術性の扉を開くきっかけを作るようである。

当塾は、本格的なシュタイナー学校ではないので、徹底したシュタイナー教育は展開できない。とはいえ、子供の能力開花やスランプ脱出のためにシュタイナー教育を役立てることは可能なのである。だから、シュタイナー漬けになっている子もいれば、数か月に一度しかシュタイナー教育を受けるチャンスを得ていない子もいる状態である。

教えている側としては、それが特別なお稽古ではないとしても、いつもシュタイナー教育を念頭に入れて教えているのだ。特に、お稽古の後には、必ず「教育ノート」を付けているのだが、これを書きながら、シュタイナー教育の視点から分析して、次回のお稽古の方向性を決めているのである。

お預かりしたお子さん全員が、どんな厳しい試練に出会っても「必ずできる」と考えられる人間へと育てていきたいと思うのだ。




恵翠書院 盛岡教室

恵翠書院 滝沢教室


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 05:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 書道教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月26日

最悪のシナリオの中にも「絶望」は存在しない

子どもたちを見ていて、何かしらの才能を持っていることを感じられる。書道の才能を持っている子。リーダーになる才能を持っている子。絵の才能を持っている子。作文の才能を持っている子。スポーツの才能を持っている子。ピアノの才能を持っている子…

私は書道を教えているが、そういった子供たちの才能を見出し応援している。こういった才能は無意識の内に働き、無意識で「できる」を体験しているのである。

シュタイナー教育的には、「できない」を「できる」に変えることこそが教育の醍醐味なのである。「できない」を「できる」に変えることは学ぶ者にとっても教える者にとっても苦痛の伴う大変な作業となるが、達成できた時、この子は、これからいかなる困難に出会ったとしても、「できない」ではなく「できる」で考えることができるようになるからだ。そして、教える教師もマンネリに陥ることなく、教師としてのスキルをぐんぐん上げることができるのだから大いに意義があるのだ。

インターネットで調べていて、輪廻転生を否定している人が結構多いことに気付いた。特に聖書を信仰の基本に置いている人は、その傾向が強い。信仰心という後ろ盾があると、科学的に実証されていないことでもはっきりと断定するようである。私はクリスチャンだが、シュタイナー教育を研究しているので、キリストや本来の釈迦の教えにある解脱としての天国と、その真逆の地獄、そしてどちらでもない輪廻転生を複合的に捉えている。科学的にはっきり証明できない分野ゆえ、幅広く考えた方がより多くの人と共感できるチャンネルが得られると考えているのである。

私が支持している仮説では、死ねば、無意識になるということである。これは前世の記憶があるとかといったものとは異なってくる。無意識なので、直接意識に働くものではない。しかし、無意識で「得意」または「苦手」を勝手に志向してしまうのである。前世でピアノをマスターした人は、無意識でピアノに対して自信を持っている。前世で哲学をとことんやったものは、哲学を学ぶことについつい喜びを感じてしまう。その程度のことな筈だが、この無意識方向性が、不思議と才能に大きく関わっていると考えているのだ。

しかし、無意識で「できる」ことが得意になったからといって大したことはないのである。得意なことだけやっていった方が成功への近道と言う人もいるが、人生、いつも調子がいいことばかりではない。ある意味、前世の自分を超えなくては、現世を生きている意味がないのかもしれないのだ。

東京賢治シュタイナー学校の創立者である故・鳥山敏子先生は、劇の発表会では、前回主役だった人には、今回は脇役。前回脇役だった人には、今回は主役をやられるという形で配役を決めていったのである。もちろん、脇役だった子が主役をやると言うことは、「苦手」と取り組まなくてはならない訳なので、始めは泣きじゃくって抵抗していた。それでも先生は許さず、何度も何度も「できる」までやらせるのである。そうして、その子は自分の「苦手」を見事に克服していったのである。逆に主役だった子は、脇役をやるのはつまらないことである。しかし、生半可な気持ちで脇役はさせない。主役を立てるために、どうあるべきかを徹底的に考えさせるのである。これは、いつもと違う自分を演じなくてはならない。ここにも、自分の壁を打ち破らなければならない試練があるのだ。そういう授業風景を記録DVD映像によって学ぶことができた。

確かに、輪廻転生の批判は理解できる。前世が見られるという人の話を聞いて、残念ながら、私はそのほとんどが嘘と見抜けてしまった。カバラ数か何かであらかじめ、せいぜい十数種程度にパターン化されたものでヤマを掛ける。しかもそれは、相談者が受け入れやすいパターンとなっているのである。それに、相談者との会話の中でふくらんだイメージから連想されたものを加えたものに過ぎないのである。こういったものは、相談者にも見えるようにしなければ、相談者は、カウンセラーの言葉をただ鵜呑みにするしかないのでアンフェアというしかない。真実と異なるものなので、相談者が良くなる筈がなく、そこには大切な「気づき」も「悟り」も無いゆえ、むしろ悪くなって当然なのである。つまり、信じる価値などどこにもないのである。

1000年前の世界の人口と、現在の世界の人口とを考えると、輪廻転生の数が合わなくなってくる。悪魔崇拝をしたため、地獄に落ちて、輪廻転生すらできない者も多くいることも考慮しなくてはならない。そうなると、「あなたの前世はありません」という人が多く出て来る計算となるのである。そうなると、他の惑星からの輪廻転生者がいないと数が合わなくなってくる。私は、地球はいつかは人が住めなくなるわけで、もし人類が絶滅したとするなら、地球とは異なる他の惑星が無いと、人類は輪廻転生できなくなってしまうと考えている。

そこまで、広げて考えないと輪廻転生とは何かが見えてこない。シュタイナーの教えはファンタジーとも捉えられるものではあるが、「もしも○○だったら」という考え方が、物理的な多くの発見を見出したのである。なので、馬鹿にできない。もし、私の説が間違っていたとしても、「間違っていた」とはっきりした時には、真理が見出されていることになる。

一番愚かなことは、真理が見出されていないのに、正しいとか間違っているとか断定してしまうことである。

輪廻転生は間違っていると断言した人たちの文章を読んで、良いところをついていながらも残念ながら、まだ真理には至っていないと感じるしかなかった。共感できる部分も多くあったが、それでもすっきりしないのである。

多分、私の論も、反対意見の人たちからすると、すっきりしないものだろう。しかし、私の論は、教育的なものとして考えたものであり、世の中を良くしようという発想からきているものである。そして、自分の論は、まだ完成したものではなく、未来の人に完成へ辿り着いて欲しいと言う願いも込めている。

だから、私は断定はしない。

ここ数週間、いろいろ世界の裏側について調べまくり得た情報のために私はかなり失望してしまった(特にバチカンの犯罪について)。失望の中、怪我や病気にも苦しんだ。しかし、私のように広いスタンスで黙想をしていくと、最悪のシナリオの中にも「絶望」は存在しないことに気が付くものである。そして、批判することでもなく、戦うことでもなく、未来の担い手である子供たちを健全に育てることにひたすら情熱を注ごうと思うことで迷いは消え去った。

それは、神も私たちが健全に育っていくことを最も期待してくださっており。キリストの教える天国(解脱)は、私たちが他者の勧めではなく、自分の意志により、神の世界へと到達し、神の世界に調和することに全力を尽くせる者となることである。

そこには、この世での学びも知恵も必要はない。この世は、不完全な次元ゆえに、学びや進化が存在するので、神の世界には、学びも進化も存在しないからだ。進化というと聞こえは良いが、新しい時代の流れに合わせないと生きていけない現実を意味しているのであって、神の世界では全く不要の価値観なのである。

だから、いつの時代においても、常に天国はウエルカムなのである。

いかに正義の名のもとにおいても、殺人、拉致、略奪を喜ぶ神など存在しない。
神は、利他の愛に基づく平和しか望んでおられないのだ。不完全な人間の価値観などそこには存在しない。

また、正しい知識を得ないと天国へ行けないと言うのは間違いである。それゆえ、正しい宗教など存在しないのである。前に書いたが、天国に不完全なこの世の知識など不要だからである。その人の意志の力で、神への信仰を築かないと天国へ行けないのである。

ただ、そうなってくると、その人の意志が最も重要になってくる。その人が、他者の勧めではなく、自分の意志で「良くなりたい」と思えるかどうかに掛かってくるのである。

真実の教育とは、常に「良くなりたい」と願うことのできる人間を育てることにあると私は考えている。

つまり、輪廻転生を信じようが信じまいが、大切なことは、(悪魔ではなく)神への信仰を築くことにある。私は、科学で実証されていないどちらの価値観に対しても否定せずに語り合える者でありたい。相手の信仰心を大切にしたいゆえ、自分の考え方を押し付けるつもりは到底無いのである。

そして、(悪魔ではなく)神を信ずる限りにおいて、最悪のシナリオの中にも「絶望」は存在しないと言えるのである。

だから、いつも安心して、いつも喜びを持って生きていこう。




恵翠書院 盛岡教室

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posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 05:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月14日

Windows 10へのアップグレードの罠にはまらない方法 + ブログを頑張れない理由

パソコンは膨大な時間を奪う悩みの一つになり得るものである。私のHPのノートパソコンはWindows 8から8.1にアップグレードしたものである。

8.1にしただけでも、いくつかの私にとっては使用頻度の高いソフトが不具合を起こして苦労した。そのことが原因で、バックアップソフトでバックアップしていたPCシステムを復元する作業や、失ったデータの再入力作業等に膨大な時間を奪われた。今、そんなことに付き合っている暇はない… そのバックアップソフトの最新版は、何とWindows 8.1に対応しておらず、ソフト代を返金される事態も体験した。

最近パソコンを立ち上げると、Windows 10にさせようと罠を仕掛けてくるようになった。

うざったらしいので完全無視をしたいところだが、最低限のセキュリティ対策として、Windows Updateの重要な更新(Windows Defenderの更新も含む)だけはしなくてはならない。

最近のWindows Updateでは、Windows 10にアップグレードさせようと罠をかけてくる。うっかりその罠にはまらないためには、Windows Updateで表示された「重要」事項を確認するだけではなく、「オプション」タブを開いて、【ここが重要】「Windows 10 Homeにアップグレード」のチェックを外してから行う必要がある。さもないと勝手にインストールされてしまうのである(もちろん、すぐになら「停止」は可能ではある)。

良く考えてみよう。Windows 8で購入したパソコンは、Windows 8で動かすのがベストな筈である。バージョンを上げるとどうしても無理が出てくるからだ。決してお得ではない。今回はサポート期間の関係で、仕方なくWindows 8.1にしたのだが、そこまでだと感じている。どうしてもWindows 10にしたいなら、新たに購入した方が悩まずに済む。膨大な時間を失うくらいなら新規購入を選びたい。

と言うことで、ここさえ間違わなければ、Windows 10にアップグレードされることなく、安全にWindows Updateを実行できる。私は、うっかりミスをしないために、Windows Updateは時間にゆとりのある時だけにして、普段のWindows Defenderの更新は、Windows Defenderのソフト上の更新から行うようにしている。

また、Windows Updateをする前と後には、必ず、システムの復元の復元ポイントを作成するようにしている。デスクトップに表示されているPCアイコンを右クリックしてシステムのプロパティを開き、「システムの保護」をクリック。「システムの保護が有効になっているドライブの復元ポイントを今すぐ作成します。」の文字の右の「作成」をクリックして作業を進める。

何度、この復元ポイントに救われたことか。最も時間を掛けずにパソコンの不具合を直す方法である。




ブログを頑張れない理由


両親の介護をしていると。仕事をするのが精いっぱいで、他のことは何もできない。

仕事以外で頑張っていることというと、朝の瞑想で、私の守護霊(霊界のマスター)から学びを受けることと、フィットネスクラブで汗を流すこと位だろうか。

体を鍛えないと、この厳しい時期を乗り切れないと思ったからである。

つまり、ブログの記事を書く時間がほとんど無い状態なのである。

しかも、ブログの記事は、せいぜい10分程度で書いているため結構誤字が多く、後で手直ししている有様だ。

そんな記事ゆえ、ヒットするわけがない。それでも書いている理由は、私の本番の人生は両親の介護を終えてからと考えているので、それまでは練習期間と考えている。

全く書かないでいると、本番がきても、何も書けなくなってしまうような気がするからだ。

とはいえ、私の人生において、現在が一番良い学びが得られている時だと思う。

あまりに先取りしすぎてというより、理解できる読者が限られてしまうことから公開できない内容も多く含まれる。

今後は、そういったことは後に公開できる日が来ることを信じ、教育記事に専念しようと思う。


恵翠書道教室 シュタイナー塾



posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月07日

最近、疑問に思うこと

日本人の2人に1人が癌になるというのは異常ではないだろうか。

このままでは、日本人の全員が癌になるかもしれない。

また、認知症になる老人の数があまりに多くはないだろうか。

このままでは、日本人の全員が認知症に侵されて死ぬことになるかもしれない。

私が、20代の頃は、こんなではなかったと記憶している。そこまで癌に侵されてはいなかった筈である。

認知症についても、それほど騒がれてはいなかった筈である。

つまり、ここ20〜30年ほどで事態が大きく変わってしまったのである。

若い芸能人が次々に癌になっているニュースに、日本の現状を痛感している。

何が変わったのか、私はその一つにコンビニ依存が強くなったことが大きな変化だと感じている。

コンビニ食品は、見た目がきれいな食品だが、食品添加物が実に多い。

中国製の食品も気になるところだ。他の国の輸入食品も大丈夫だろうか。

スーパーの野菜があまりにきれいすぎる。自然の形ではないような気がする。

自然の失われた食品を摂取することで、生命力(エーテル体)が失われていく。

パソコンやスマートフォンから発せられる電磁波も気になる。

生命力が失われるということは、癌になりやすいということである。

そうなると、夜更かしとか無理をすることは、もはや美徳にはならなくなってくる。

以前は大丈夫であったことも、現在の人にはリスクが大きいといえるからである。

現代人は、自然を取り戻すことをしなくてはいけない。

周に数回、公園に行って木々と触れ合うとか、山の方に足を運んで小川の水に触れ合うとか、湧き水を飲むとか、そんなゆとりが必要なのかもしれない。

ペットに触れ合うことも良いのかもしれない。彼らの波動は自然そのものだからだ。家庭で花を育てるのでも良いのかもしれない。

今のままでは、日本人のすべてが癌になり、仮に長生きしたとしても全員が認知症で死ぬ日という日もそう遠くないのかもしれない。

見えない魔の手が、もうすでに自分の身にも降りかかっていることを、私たちは認識しなくてはならないのである。

私が小3の時、学研の科学の小学生雑誌を見て、何でも原子力に依存する未来に疑問を抱いた。きっと未来は、原子力の公害で大変なことになると予測した。高校生の時、使い捨てライターに疑問を抱き、ビン類がお店でリサイクルされなくなったことに疑問を抱いた。きっと未来は、ゴミの処理と資源の不足で大変なことになると予測した。

人生経験に不足した子供にも予測できたことを、何で大人は予測できなかったのか。多分、予測はできていた筈なのだが、どうしてその予測を無視してしまったのか。

どうやら「コスト主義」にあったように思えるのだ。原発も高出力で低コストだから採用されたと思うのだが、廃棄物の処理問題や廃炉のことを無視して開発が進んでいったのである。

一部の人たちのお金儲けと人類の幸福は、相反するものなのかもしれない。

とはいえ、

二手三手先を読むならば、こういった時代の意味が見えてくる。ただ私の抱いているイメージをここで紹介することはできない。とはいえ、このイメージがあるからこそ、子供たちの教育に熱中できているのかもしれない。

posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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