2016年01月23日

父の死

本日、20時13分、内丸病院302号室にて、父・佐藤 勇が亡くなりました。

私はJOYFITで運動中でしたが、携帯電話をポケットに入れてやっていたので、すぐに対応できました。汗も拭かずに急いで着替え、車で自宅に戻り、腰を痛めて動けない状態の母を励ましながら車に乗せ、介護の仕事を切り上げて駆けつけてくれた妻と3人で病院に向かいました。

ぎりぎりで父の死に間に合うことが出来ました。

明日のお稽古の子供たちににその旨を電話し、1時間後に葬儀屋さんの車が来てくれて、葬儀場に遺体を運んでもらいました。新聞各紙の慶弔欄に無料で乗せてもらえるとのことなのでお願いし、通夜(26日)、火葬(27日)の日時を決めました。葬式はお寺さんの都合を聞いてからです。また、係りの方からお寺さんへのお布施の額についてのお話もありました。

ということなので、来週の滝沢教室のお稽古はお休みといたします。

30日(土)、31日(日)の盛岡教室のお稽古につきましては、後日お知らせいたします。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月22日

意識を失った父

朝食時に病院から電話が掛かってきて、母と一緒に病院に駆け付けた。妻は夜勤明けから帰ってきていなかった。

少し待たされて婦長さんから説明があった。昨夜、父が急に意識を失い呼吸困難に陥ったので、酸素マスクを着用するようになる。CT撮影をしてみたが原因が見つからなかった。主治医の説明もあるとのことだったが、外来が終わった12時半にまた来てくださいとのことだった。

母が、腰が痛いということで、妻は夜勤明けで眠いということで、私一人で医者と面談することとなった。30分ほど待たされたが、隣のベッドの奥様と話をすることが出来、父は昨日の午前中までは人と話をすることが出来るほど元気だったことを知る。

13時頃、医師と面談をすることができた。どうやら広範囲の脳梗塞の疑いがあり、片側だけではなく全身にマヒが及んでいて、そのため呼吸も困難になっているのではないかとのことだった。障害が起きた直後のCT撮影には障害の状況が映りにくいが、数日経つとはっきり映り込む場合があるので再度CT撮影を行うという。もし、最悪の場合は、人工呼吸器を用いますか。用いないで自然死を選びますかという質問も出た。また、携帯電話は、常に携帯するようにして欲しいとのことだった。

今日は仕事が休みだったので、来月、父の転院先の病院への書類群をこなそうと思っていたが、そういう状況ではなくなってきた。父の死は思ったより早くやってくるかもしれない。


待ち時間を使って、子供たちへの教育内容の見直しを考えていた。長いことやってきた国語読解力のドリル、友人と一緒に展開してきているシュタイナー教育、クリシュナムルティ教育等… 私は自分の不安を基に新しい教育システムを導入しようとしていた。しかし、浅はかなことと知る。クリシュナムルティは、自己防衛的恐怖を教え込むことは、子供たちを不幸へと導くことになると書いている。

そうなると、明るく、楽しく、元気の良いファンタジーとイマジネーションに溢れた授業を展開するしかない。まず、私の中からネガティブな思いを消し去ることから始めなくてはならない。そうでなければ、そういった授業は展開できないからだ。

子供たちが、日常の中で感じさせられている「できない」という気持ちを忘れ去ってしまうほどに、明るく、楽しく、元気の良く、まるで夢の中にいるような「いい気分」で、「幸せ」な状態にさせてあげられるか。ネガティブな言葉は一切使わない。それだけ考えてやっていこうということで方針が固まった。


ほとんど動かなくなった父の横で、そんなことを考えていたが、方針が固まったと同時に主治医の先生が私を呼びに病室に入って来たのである。





posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月18日

目を覚ましていなさい

今日は、昨日のミサの説教について書くつもりだったが、仕事が入ってしまい母だけを車で教会に送り迎えして、私はミサに出席できなかった。

とはいえ、今年の元日から教会に通い始めた母にとって、まだ友人が少なかったのだが、母を置いてきて、しかもミサが終わってから長いこと待たせてしまったのだが、一人私が車で迎えに来るのを待っていた母の周りに多くの信者さんが集まってくれて、そのことで母は多くの友人ができたようである。ある意味、母を一人で教会に行かせたことが、祝福になったように感じられた。

そこで今日の聖句は、今日の典礼ではなく、私が20代の頃には全く理解できなかったのだが、昨日、ふと理解できるようになったことについて紹介したいと思う。次の一節である。



その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして洪水が襲ってきて一人残らずさらうまで、何も気づかなかった。人が来る場合も、このようである。その時、畑に二人の男がいれば、一人は連れていかれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人が連れていかれ、もう一人は残される。だから目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰ってこられるのか、あなたがたには分からないからである。(マタイによる福音書 24章36節〜42節)



一昨日、ティアラン著「私は宇宙人」Kindle版(電子書籍)をアマゾンから購入した。ボーっとネットサーフィンしていたら、偶然出会った本である。だから、不思議な出会いだと思えた。


作者によると、地球はすでに5次元に上昇していると言う。しかし、人間は、5次元に対応できていない。そこで、人間たちが消滅してしまわないように、地球はシールド・保護膜のようなものに覆われている状態にあるのだと言う。

しかし、その状態にもタイムリミットがある。ある時点で、人類はアセンションしなくてはならなくなるのだ。聖書で言う「主の日」なのかもしれない。アセンションとは、今の肉体を維持しながら次元上昇することなのだという。

そして、アセンションの日まで時間も残り少ない(2016年にアセンションの時がやってくるという人もいるらしい)。そこで、やれることは一つ。「愛」の度数を高めることなのである。

アセンションするということは、愛の度数の高い者が地球に残り、5次元に対応できない愛の度数の低い者は、3次元惑星に瞬間移動する(地球上から消える)という意味らしい。

作者によると、アセンション後は無駄に死ななくなるので輪廻転生はなくなると言う。つまり輪廻転生があるということを書いてはいる。私は、特別な場合を除いては、輪廻転生とは無意味なものという印象を持っている。決して魂の進化でも何でもない。キリストの言う、過去に生きるのでもなく、先走って未来に生きるのでもなく。今に永遠を感じて生きることが最も大切なことなのではないだろうか。

そして、今に永遠を感じられる魂の方向性により、「愛」の度数を高めることに全力で取り組むことができ、アセンション(主の日)に備えることができるのである。

今年は、騙されたと思ってこのことに全力で取り組んでみたいと思う。もしアセンションが起こらなかったとしても、「愛」の度数を上げることで、より優れた人間になれることだけは確かなので損なことは何もないのである。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 07:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月11日

2016年1月10日 主日ミサでの学び

主の洗礼 ルカ 3:15-16, 21-22


3:15 民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。

3:16 そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。

3:21 民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、

3:22 聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。






先週までの典礼はクリスマスの祝いでしたが、今週からの典礼は年間へと切り替わります。

ところで皆さん水族館はお好きですか。葛西臨海公園の水族館には、巨大な水槽があり、マグロを回遊させています。ところが、ご存じでしょうが、そのマグロがどんどん死んでいき、ついに1匹だけになってしまったのだそうです。その原因は、ガラスに激突したことによるものなそうです。

その話は取っておいて、クリスマスのお話をします。ある所に、絶対に神様を信じない頑固なおじさんがいました。特に、神が人になるというところが全く理解できなかったそうです。おじさんの家には大きなガラス窓があり、そこに鳥が激突しては死んでしまうことが多かったのです。おじさんは、死んだ鳥たちがかわいそうになり、何とかならないものかと考えました。おじさんは、鳥になって考えて見ました。鳥になって、どうしてガラスに激突しなければならなかったのか考えて見たのです。その時、おじさんは普段疑問に思ってきたことがふと理解できるようになったのです。私が鳥になって考えるように、神様は、苦しみ悶えている人間たちがかわいそうになり、人となって救おうとしているのではないだろうか。

神は、人となり、罪びとの仲間となり、謙虚な僕となられたのでした。人間と同じ姿になって洗礼を受けたのです。私たちを引き上げるために、こんなにもへりくだってくださったのです。そこに神の愛があります。

神が私たちに望まれていることは、私たちが同じようにへりくだり、人々に奉仕し、人々を引き上げる者になって欲しいということです。そしてキリスト様に呼びかけられたように、私たちにも「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と絶えず呼びかけ続けられているのです。

第二朗読に、恵みという言葉が数か所出てきます。この恵みとはギブ・アンド・テイクなものではありません。善い行いに対する報いというのではなく、無償で与えてくれるという意味なのです。つまり無代価の賜物なのです。神が人となって救ってくれた、その素晴らしい恵みに対し「ありがとう」と感謝の気持ちを感じられる感性を持ちたいものです。神の慈しみを感じ、神のように憐れみ深くありたいものです。




いくつか聞き逃した箇所もあり、関谷神父様には申し訳ありませんが、上記の内容が、私が神父様から受け取ったメッセージです。関谷神父は、歌手で俳優の福山雅治のようなハンサムな風貌で、話し方もとてもハンサム、そして歌声が素晴らしい美声で、声楽を専門としてきた私としては歌声で神父様に負けたと思ったことはほとんどなかったのですが、今日は全くかなわないと思い、ただ聴き惚れておりました。イケメンに弱い母は、右側の席に座っていたため、関谷神父から祝福が受けられなかったのですが、左側に座るべきだったと、かなり残念がっていました。

へりくだる信仰、つまりは神の愛について教えていただいたと思います。神の側の人は、いかに良い習慣、良い信仰に生きていたとしても、お高く留まってはいけない。自分は無代価によって許されたものであるのだから、神の望みに生きるために、神の愛に習い、へりくだり人々のために奉仕する生き方をするべきなのだと感じました。

神は世の成功は全く認めてはくれません。そうではなく、いかに人々のために自らをへりくだらせて奉仕したかを見て認めてくださいます。クリスチャンは、そこのところを大切に生きるべきなのだと思うのです。

今年から、日曜日は母と教会のミサに出席しています。今日はミサ後のブロックの集いにも参加しました。教会の人たちに本当に親切にしていただき、母は幸せを感じられているようです。教会の床はピカピカ、とても綺麗に維持されています。奉仕している信者さんたちの心がそこに感じられてなりません。私は、両親の介護もあり、時間に全くゆとりが持てないゆえ教会の奉仕活動になかなか参加できません。しかしその分、感謝の気持ちをもって信者さんたちと接していきたいと思います。



ねこカフェは、いつの間にかクリスチャンカフェになってきたようです。どうぞ、コーヒーを飲みながら、ゆっくりしていってくださいね。もちろん、ねこもいますよ。出てくるのは気まぐれですが… まあ、記事を書いている者も、くつろいでいる時はねこと変わりないですが…



posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 06:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月03日

2016年1月3日 主日ミサでの学び

主の公現 マタイ 2:1-12


2:1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、

2:2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

2:3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。

2:4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。

2:5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。

2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

2:7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。

2:8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。

2:9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。

2:10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。

2:11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

2:12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。




 ある有名な画家が、描くための着想を得ようと、妻子を家に残し旅に出ました。
 旅先で、最初に出会ったのは、結婚式を控えている娘でした。画家は彼女に、「あなたにとって一番大切なのは何ですか」と尋ねました。彼女は「愛です」と答えました。画家は、愛をどのように描いたら良いものかと自問しながら旅を続けました。
 次に、出会ったのは兵士でした。彼にも、「あなたにとって一番大切なのは何ですか」と尋ねました。すると「平和です」と答えが返ってきました。画家は、平和をどのように描いたら良いものかと自問しながら旅を続けました。
 三番目に、神殿で一人の信者に出会いました。彼にも、「あなたにとって一番大切なのは何ですか」と尋ねました。かれは、「信仰です」と答えました。画家は、信仰をどのように描いたら良いものかと自問ししながら旅を続けました。
 画家はキャンバスに何を描くべきか一生懸命に自問したのですが答えが出ず、自分の家に帰ってきました。
 すると、妻が溢れるばかりの優しさと愛情を持って出迎えてくれました。家の中には、旅の疲れを忘れさせてくれる安心感が漂っていました。そこに、子供たちが集まってきました。彼らの清らかな目に映っていたのは信仰の輝きでした。
 画家は、描くべき題材は全て家庭の中にあったのだと気が付きました。

 マタイによる福音2章11節には、「家に入ってみると」と書いてあります。その場所は、家ではなく、汚く悪臭のする家畜小屋であった筈です。幼子イエスとマリア様とヨセフ様、つまり聖家族がそこにいます。そこは、大切にしなければならないことの全てが揃っているのです。
 家とあえて表現しているのは、すべてのことが家庭にある。家族こそが教会であり、信仰・希望・愛の共同体なのだということなのです。
 そして、外へ出ていくのではなく、自分の内に戻ること。そこに、必要なもののすべてがあるのだということをこの聖句では示しているのです。
 この教会の中に、信仰・希望・愛があります。そして、あなたの家庭の中に、信仰・希望・愛があります。教会という共同体を、そして家庭という小さな共同体を大切にすることが、私たちが歩むべき聖なる道なのです。
(盛岡四ツ家教会 司祭:インセン神父)


 いくつか聞き逃した箇所もあり、インセン神父様には申し訳ありませんが、上記の内容が、私が神父様から受け取ったメッセージです。

 1月1日の元日ミサに続いて、歩行困難な母と共にミサに預かりました。暴力の人である父はキリスト教を極端に嫌い私も随分酷い目に遭いました。または母は父方の親戚に随分いじめられてきました。昨年、その父も重病に倒れ、入院、転院、強制退院、入院、転院と何かと大変でした。今は、手足を縛られ多臓器不全のため完全寝たきり状態ですが、ある意味、そのことで我が家に平和が訪れるようになりました。
 沿岸に住む母方の親戚は、約4時間もかけて父の見舞いに来てくれましたが、父方の親戚は誰一人見舞いに来ませんでした。お互いに憎しみ合っているからです。要注意人物として、一人孤独で寝ている父は、誰からも声を掛けられずに認知症が進行し、どんどん言葉を失っています。昨年末、母が「クリスチャンになりたい」と言いました。父と歩んできたことで、人間関係が薄い母は、自分もこんなになるのではないかという不安に陥ったのだと思います。そこで、私は母に協力しようと教会に戻る決心をしました。書道塾の子供たちを説得して、日曜日の午前中は主日ミサに通える時間を確保しました。神父様にも、母の洗礼の件で相談をしました。

 私は、ここ数年、シュタイナー教育の研究をしていました。シュタイナーからさらに枝葉を広げて、頭の中がパンクしそうな程に大量の本を買っては読み漁りました。そのことで、書道塾の子供たちへの教育で良い方向性を得ることができましたが、教会はどんどん遠のいていきました。

 私が母を連れて教会に戻ると、実に多くの人が暖かく迎え入れてくれました。今日、インセン神父がご説教の中で仰っていたように、教会の中は、信仰、希望、愛に満ち溢れていました。外に探して見つからなかったことが、帰ってから見つけられたという意味が分かったような気がしました。




posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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