2008年12月09日

人間、本来無一物

「本来無一物」という言葉は禅語である。

人間、生まれた時は何も持っていない。

同じように、

人間、死ぬ時は何も持って行けない。


昨夜、偶然、「東京大空襲」をテーマにした番組を見た。

そこで、惨状を撮影した、たった一人の男。警視庁カメラマン 石川光陽(当時41歳)が命を掛けて守り抜いた33枚の写真を拝することができた。

その写真には、まるで聖なる預言書を目にするような凄いインパクトがあった。

「人間とは何か?」

長年抱き続けてきた疑問への答えとなるような貴重な体験となった。

人間が… 数え切れない人々が黒焦げになって死んでいる。

東京は、まさに火の海となったのだという。逃げ場所など存在しないのだ。衣服も燃えて、黒焦げの人々は、まさに無一物の状態となっていた。

長年築いてきた幸福も、地位も名誉も、努力して得た卓越した技能も、そして成功も、わずか2時間ほどの空襲で一瞬にして失われてしまったのだ。

黒焦げになった人を見ながら、私の頭によぎった言葉が、「本来無一物」という禅語であった。

私たちは、生まれてきて、そして、いつかは死ぬ存在である。


私たちは、一体どこに向かうために存在しているのだろう。


嫌な言葉。というより、真理の本質から逸れている言葉。

「勝ち組」「負け組」

そして、定職につけない時代。

せっかく仕事を見つけても、いつ失うか分からぬ不安に包まれた時代。

実は、私も経済的に苦しい状況に生きている者の一人である。

こういう時代にあっては、仕事を選んでなんていられないと考えている。

プライドを捨てなきゃ生きてはいけないのだ。

外貨を稼がなきゃ、明日に繋がらない。

「お仕事」なんて綺麗な表現などもう存在しないのだ。「外貨稼ぎ」に出かけるのだ。

「求人」の仕事は酷い現実だけど、「人脈」を築くことにより自分の未来を切り開いていく道は、まだまだ残されている。

日々の修行テーマを持ち、自分を磨き、その上で骨のある人物に近づくこと。そして、どんな小さなチャンスでも与えられたなら、仕えて。仕えて。そして、引き上げてもらうのだ。

だから、現実はどうであれ、明るい未来は残されているように思う。

その日に繋げるためにも、

まずは生きるためにも、「外貨」を稼ぐのだ。

でも、何のために努力するのか?

何を得たとしても、一瞬で失なわれてしまうものなのに…

そう考えると、意味のあることに努力したい。

私としては、これまでのような自分の望みに努力することより、神に望まれていることに努力したいと思うようになった。

不確かなものではなく、確かなものに生きたいからだ。

これから、どんな境遇となろうとも、すべて受け入れるのだ。

苦しくても、不幸なことなんて考えない。それぞれの境遇から、学ぶこと、真理を見出すことを得たいと思う。

がむしゃらに生き、生き抜くことで見えてくる、真理に触れていくのだ。

そう生きていくのなら、一瞬で全てを失うことになったとしても(死ぬ日が来ても)、迷うことなく、神の望みの方向へと導かれていくことができるのではないかと思えてきた。

私は、人類が文明に裏切られる日は、そう遠くないと予測している。文明を手放さなければ、人類が滅びる危機が近づいているのだ。高度に発達した文明といわれるアトランティスが消えたように、全ては消えてなくなってしまうのだ。

それでも、消えてなくならないのは、たとえ「無一物」となっても光を失わない形なき真理と、真理と繋がっている精神ではないかと思うのだ。


あの日、心優しき人ほど多く死んでいったのだという。子どもたちを助けようと、町の人たちを守るのだと…

その愛すべき方々の魂は、真理と繋がって生き続けているのだと、私は信じたい。

また、自分だけが助かりたいと人をはねのけ、そしてはねのけられ死んでいった人も多かったいう生き残った者の証言もあった。

ただ、石川光陽の写真には、前者の姿が多く写し出されていた。

東京大空襲で亡くなった人々の「真実の写真」を拝したことで、多くのことを学ばされたように思えてならない。そして、これからも度々、学ばせてもらいたいと思っている。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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