2009年01月10日

悪い方の主人 良い方の主人

私が今まで出会った人の中には、どんなに悪い事をしても、逆に祝福されているかのように成功に変えてしまう能力を持っている人がいた。

私の場合は、少しでも悪い事をすると、何らかの形で罰せられてしまう。

その人は許されても、私は許されない。

自分は損をしているのではないかとも考えたこともある。

しかし、どうやら、仕えている主人が違うような気がしてきた。

なぜなら、私が良い事をすると、とても祝福を受けるが、逆に、その人たちは、良い事では上手くいかないのだ。その点では、逆転する。

これは、どちらが優れているとか、どうのこうのという問題ではないような気がする。

つまり、この世での役割が違うのだ。

そして、この世は「学びの世」ゆえ、悪い価値観も必要なのだと思う。

良い主人に仕えているのに、悪い事をして上手くいかず、苦しんでいる人が多いように思う。

私は、そういう人たちに、良い方の主人は、私たちに何を求めているか伝えたいと思う。

悪い方の主人は、この世の支配者でもある。だから、とても手ごわい。

つまり、悪い方の主人に仕えている人は、手ごわい相手なのだ。手ごわいゆえに、良い主人に仕えている者を鍛えてくれるのだ。悪い方の主人に仕える者を憎んで何になろうか。何の解決にもならないのだ。

これは、わからぬことだが、悪い方の主人に仕えたものが、後の世では良い方の主人に仕えるのかもしれない。現世で、良い方の主人に仕えている者も、前世では悪い方の主人に仕える役割だったのかもしれない…

とはいえ、死ぬ寸前に良い主人の下に仕える者となり、回心できるかもしれない。

中途半端でなく悪い方の生き方をした人ほど、深く悪へのいやらしさを知り、悪をきっぱり断ち切り回心できるのだとも考えられる。生ぬるい方が泥沼なのかもしれない。

いずれにせよ、この世に「要らない人」などいないのだ。

すべての生命が尊いのだと、私は信じている。



【繰り返し唱える アファメーション※の言葉】

自分は損をしているように思えても、仕える主人が違うのだと考えよう。
本当の主人の元に立ち返り、祝福されている道を歩もう。
くれぐれも、別の主人に仕えている者を蔑んだりしてもいけない。
警戒することがあっても、憎んでもならない。
むしろ、喜んでその鍛えを受けようではないか。


※「好きな言葉を集めてみよう」→「心が安らぐ音楽を流しながら、声に出して読んでみよう」


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 05:37| Comment(0) | TrackBack(0) | アファメーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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