2009年02月24日

(5)戦地よりも厳しい日本の現実

昨年の統計で、日本では、32,325人もの人が自殺したと、前に書きました。1時間当たり約4人も誰かが自殺していることになりますが、これは、イラクで自爆テロの犠牲になった人よりも多いということになります。日本では戦争をしていなくても、戦地よりも残酷な現実があるのだと思います。

前に、自殺者がまだ不幸の底まで達する前に、安易に死を選んでいると書きましたが、視点を変えて考えてみると、生きることに価値を持てなくなってきている現実が確実にはびこってきているのだと考えされられます。なぜ、頑張れない人が増えているのか? なぜ、絶望しやすいのか? 何がそういう方向性に向かわせるのか…

この現実、どう思いますか?



上記の文章をブログの記事として書いたのは、かれこれ4年ほど前のことです。実は、この記事に何人かの人が反応してくれて、コメントを書いてくださいました。自分のブログにコメントが付いたのは、初めてのことでもありました。現在でも、以前ほど頻繁には行なってはいませんが、ブログの記事を更新し続けています。また、ミクシィやグリーというSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)でも、多くの友人を得ることができました。

それはともかく、

昨年までに11年連続で、毎年3万人以上の人が自殺をしたことになります。

10年の通算で30万人以上の人が自殺をしたということは、広島型原子爆弾が2度投下された程の死者数といえます。

自殺をするのも個人の自由ではないか。

と、考えている人も少なくないようです。

でも、この文章を読み進めていくならば、そういう方も、きっと自殺ができなくなることでしょう。

とはいえ、何も洗脳するわけではありませんからご安心ください。むしろ、疑いの目でじっくり読んで欲しいと願います。特に科学においては、常識を疑ってみて、逆方向から考えたりすることが、真理の発見に繋がることが実に多いからです。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 13:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 光の道を歩んでいこう | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
しろねこさん
お久しぶりです〜。
本当に今の日本は、戦場よりも厳しいのかもしれません。私にしても、外出先で「人身事故のために列車が遅れております」に何とも感じなくなっていることを最近発見しました。そして、私こそ小さい頃から「消えてしまいたい」と思っていました。「決行」はないですけれど。マザー・テレサが、「隣人や家族のいたわり合いのない日本は、カルカッタよりも貧しいといわねばなりません」のようなことを言われたけれど、本当にそう思います。いや、いたわり合いはあるかもしれません。そして皆よい人になろうとし、人から嫌われることを恐れているのではないでしょうか?少なくとも私などはいつも人からどう思われるかにオドオドしている人間です。
それでも、「あなたはあなたであってよい」と最終的には肯定されることを期待している自分もまたいるのかもしれません。生きていくことがつらいです。
Posted by カモミール at 2009年03月16日 23:35
カモミールさん、コメントありがとう。
とても嬉しく思います。l

私にも命のピンチは何度もありました。
私を救ってくれたのは、聖人や偉人たちの言葉ももちろんですが、一番大きかったのは小学校の時に病院のリハビリで触れ合った重度の障害者たちの姿でした。彼らの闘って生きている姿が心に焼きついており、「何が何でも生きなくては」と考えずにいられなくなったからです。
先月から、子供たちと触れ合う仕事をしています。
性格はさまざまですが、それぞれの子に輝く個性を感じられます。意地悪な子であっても、それゆえの良さがありますし、おとなしい子にも、他の子にはない素晴しい個性が感じられます。
彼らと触れ合いを通して、そういうことに気づかされています。
実は、私も人からどう思われるかと考えて、考えすぎて自滅するタイプなんです。それまで、そういった自分の性質が嫌いでしたが、母親ゆずり(さらに先祖を遡るかも…)であったこと、また、先月、母親が心臓の手術をしたのですが、そのことで隠しごとができなくなり、それを契機にお互いに声掛けして、オープンな生き方をするようになりました。
私は、去年から、パート労働をするためハローワークに通っていますが、未だに決まりません。先月から、母の書道塾のお手伝いをするようになりましたが、これだけでは食べていけません。情けない限りです。
45歳頃から、鬱モードに入りやすくなりました。何度も死にたい気持ちに陥り苦しみました。昨年、出会った歌手でセラピストの高橋洋子先生の勧めで、子供たちに教えているイメージを心に描くようになりました。これはイメージ・トレーニングです。まさか、今、子供を教える立場になるとは思いませんでした。それまで、母の聖域には全く入っていけなかったからです。
人生のすべてのことは無意味でなく(無意味なことなど何一つなく)、経験させられているような気がします。ですから、神の導きに従うことが、自分の運命を生きられるような気がしてきました。

お互い、他人の目ではなく、神との関わりを大切にしていきましょう。まず、自分で明るい未来を描いてみるのです。きっと神が、それに手直ししてくれて、運命、さらには使命に生きることができるようになると思うのです。
これからも、お互いに励まし合って生きていきましょうね (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2009年03月17日 19:30
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