2009年07月02日

誰かに喜んでもらうこと

昨日の瞑想会を思い巡らしていて、少し疑問を感じることがありました。

確かに、3年以上のトレーニングを積むことで、優れた瞑想ができるようになるかもしれません。

そのことで、健康を取り戻し、安定した精神を養えるかもしれません。

しかし、優れた精神を築いた人と、まだトレーニングする前の人とに、優劣が生じるとは思えないのです。

私は、悟りなんて、たいしたものではないと考えています。その場、その場ではとても必要なものでも、古くなるとウジが湧き悪臭を放つようなものと同じで、使い終えたら片っ端から捨て去るべきものであるとさえ思います。

大怪我をして、身体の自由を失っている人が、身体の自由を取り戻すために、猛烈なリハビリをするのとも似ています。

つまり、あくまで自分のためなんです。

私の尊敬する歌の先生のマネージャーさんは、多分、本人は意識しないで話されていることだとは思うのですが、私が何かを克服した話をしてもあまり褒めてくれないのに、人を喜ばせたという話となると、とても褒めてくださいます。そのことがふと心をよぎりました。

誰かに喜んでもらうこと…

できる人、できない人、悟れる人、悟れない人。常識的な人、変人といえる人…

みーんな仲間と考えて、とにかく出会う人に喜んでもらうことをしよう。

そっちのチャンネルも必要なのではないかと思いました。

残念ながら、どんなに努力しても、喜んでくれる人ばかりとは限らない。妬みひがみから、敵意を振りかざしてくる人もいることだろう。その場合、マイナスの方向に引っ張られないように注意して、明るい気持ちをキープしたい。

私は、歌うことで人を喜ばせられるかもしれない。書道や勉強を教えることを通して、子どもたちを喜ばせられるかもしれない。

自分の名誉のためではなく、みんなの幸せのために…

瞑想の方は、自分の心と身体の健康のために、これからも続けようと思います。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 13:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ご無沙汰しております。ちゃこです。
私も、人を喜ばせることは、宝石のようなものだと思います。小さなものでも積み重なってキラキラした宝物になると思います。
うちの父は人を喜ばせることがとても得意な人です。
その影響で、小さい頃から、自分が喜ぶことは、他人が喜ぶことなのだろうかと考え友人に、喜んでもらおうと躍起です。もちろん自分も楽しいです。
絵ではまだ人を喜ばせることはできないと思うので、日頃の会話からと思います。
Posted by れな太郎 at 2009年07月06日 00:17
れな太郎さん、コメントありがとう。
お父様、良いお手本ですね。
誰かに喜んでもらうという視点を持つと、表現者としての使命を見出せるような気がします。
れな太郎さんの素敵な絵も、きっと使命感にあるれるものへと進化していくことでしょう。
応援しています (=^・^=)ノ


Posted by 盛岡のしろねこ at 2009年07月06日 06:18
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。