2010年05月06日

昨日は…

昨日は、久々に記事を書いてみました。

何かと忙しすぎて、ブログを更新することができず、これからも更新することは難しいかもしれません。

とあるSNSの方にも、久々に記事を公開したのですが、やはり不評でした。

「難しすぎる」とか「考えすぎでは」とのことでした。

このことは、当然のことなのだと受け止めています。


残念ながら、まだまだ「よくわからない」状態ではあるものの、間違いなく良い方向に導かれている実感が得られています。

多分、すべての宗教を超えた世界が開かれていくような予感を感じています。

私としては、この世ではなく、死後に守護霊団として活動するために修行をしているような気がします。といっても、そのこともはっきり言えるような内容ではありません。話したとしても、多分、理解することが難しいことでしょう。

私は、複数の宗教のしがらみに生きています。こうして命のバトンを受け継いでいるのは先祖のお陰と考えると、菩提寺を粗末にできません。昨日も書いたように、キリスト教は命を救ってもらった恩がありますし、クリスチャンとしても自分も大切にしたいです。神道も良い導きが得られており、感動が絶えません。

しかし、人の輪に入るとなると、どうしても自分の所属している宗教が正しいという話になってしまいますが、自分ひとりにおいては、どの宗教も否定せずに大切にすることができます。


私は、最近かなり悩みが減りました。それまでは、仕事のことで家族に足を引っ張られていることに不満が大きかったように思います。

家族に… 特に母にに変わってもらおうと、あらゆる手を尽くしたのにもかかわらず、すべて裏切られてしまいました。結局は古い方法に戻るだけの繰り返し… 時間が止まり、自分の能力が生かされない時間を過ごさなくてはなりませんでした。家族に、あまり期待しすぎていたのかもしれません。

ところが、

「誰も変えることはしない。自分だけ変わろう。」

と決意してから、心が楽になっていきました。

自分だけでやるとなると、確かに人手が足りない分、心持たない感じにはなりました。しかし、自分でイメージしたことを自分で実行するゆえ、確実に進められます。間違いのない方法なのです。はじめは、苦手な分野も自分で行うゆえに非力な感じがしますが、慣れてくると2倍、10倍、100倍にポテンシャルが上がっていくような気がしてきました。そういう感覚で進みはじめたのです。

つまり、「他者に期待するから悩みが起る」ということに気づいたのです。

「依存心」から「自立心」へのチェンジとでもいうのでしょうか。

実は信仰も同じだと思います。他者を変えようと気持ちが入ると悩みが起りますが、自分が変わっていくことを楽しむとなると、毎日が感動の連続となります。

昨日、私の書いた記事は、私の「ひとり信仰」「ひとり宗教」であって誰かの理解を求めたくて書いたものではないのです。

この方法が、良い結果へと繋がるか?

それは、未来の自分に、現在の自分が追いついた時にお話したいと思います。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 18:24| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
最後の記事を書いて以来、ガンガン神様の導きが来ています。

神様にお手紙を書くと、必ず何らかの形でお返事が来るようです。

また、自分を誤解している人に、一生懸命弁解するより、心を込めてお手紙を書き、出さずに神様に思いを託すと、不思議と相手に伝わるようです。

記事に書きたいことはいっぱいありますが、その人に直接会ってしか伝えられないことだと考えるようになりました。

特に最後の2つの記事は、多分、読者に大きな誤解を与えたことでしょう。文字で伝えることではなかったと反省しています。

文字では、その人の魂に直接語りかけることは難しいからです。また、相手により、話す順番や方法が変わってくるものでもあるからです。

では、皆さんお元気で。

いつか、お会いして語り合えることを楽しみにしています (=^・^=)ノ
Posted by 月読のしろねこ at 2010年05月08日 06:19
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。