2010年05月22日

生きてさえいれば

良い教師は、教え子の才能を引き出すことが得意です。どんなに出来ない子でも、克服法を見つけてあげることができます。

しかし、教師とカウンセラーは大きく異なります。

カウンセラーは、やる気を失っている人に決して頑張れとは言いません。


「今のままでいいんだよ」

「何も無理して変わらなくてもいいんだよ」

「ずっと変わらなくたって大丈夫だよ」

「これからも、私はずっとあなたの話相手だからね」

「これからも、ずっと人生を共に歩んでいこね」


これは、究極の癒しの言葉だと思うのですが、向上心を持った人にとっては、ものすごく甘えのある言葉にも感じられることでしょう。

でも、向上心を持っている人より、持てずに苦しんでいる人の方が圧倒的に多いように思うのです。

利益を追求する社会では、そういう人たちの生き場を失うような価値観を押しつけてきます。

生きてさえいれば、ふとしたことから、人生を賭けて取り組もうと思う自分のテーマに出会えるかもしれないし、仮に出会えなくても、来世に出会えるチャンスが繋がるように思うのです。

この究極の癒しの言葉を言える人が増えていくのなら、多くの人々の心に輝きが戻ってくることでしょう。

私は、今の自分は、前世の自分の続きを生きていると感じられるようになってきました。というのは、前世の自分の欠片をかなり見出してきたからです。

ということは、来世でも、自分の前世の(つまりは現世の)欠片を見いだせられるきっかけを作ったように思えてなりません。また、前世の自分と出会うと出会うほど、輪廻する回数が減ると、何かで読んだことがあります。より、高い次元に導かれていくということなのでしょう。これは、向上心の持った人間の考え方なのかもしれませんが…

死は、終わりではありません。この生命の原理を考える時、自殺はできなくなるし、死刑も意味のないことだと思うのです。その人は、来世でも死刑になるような生き方をするだろうからです。死刑囚には、死刑に処することなく、優れた教師による心の学問を思う存分させてあげるのが一番意味のあることなように思うのです。そうすると、来世では、心の学問を求める人に生まれ変わるだろうからです。

とにかく、何も立派にならなくても、情けないままであったとしても、与えられた人生を全うすることに大きな意義があると思えてならないのです。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 06:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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