孤独はみじめではない。
むしろ、
孤独でないと、学習活動は進まない。
孤独でないと、自分の哲学を確立できない。
孤独を楽しめるようになると、人生の幅がぐっと広がってくる。
人生がつまらなく感じられたなら、自分の殻に閉じこもり、孤独を楽しんでみよう。
中古のソファーを買ってきて、中古のオーディオを買ってきて、
深夜、
部屋を暗くし、わずかな光を頼りに、
音楽聞きながら、安いウイスキーを味わいながら、悦に浸ることからはじめよう。
酒はゴクゴク呑んではいけない。深く味わうのである。心地よさを味わうのである。
私のように酒がダメな者は、安くても薫り高い紅茶で代用するもよし。
すると、
今まで感じられなかった、優しい神の存在が感じられて、
孤独と対話している自分にふと気が付くことだろう。
自分がやるべきことが次々に見つかって、
何かに熱中している自分にふと気が付くことだろう。
孤独な時間の密度が増して、
以前とは全く違った自分へと変わっていく。
何も無理はしていない。自然にそうなっていくのである。
だから、孤独は素晴しい。
組織活動である宗教なんて糞食らえ。
組織活動だから争いが絶えないのだ。そして、人に上や下があってたまるものか。
個人活動である孤独こそが、本当の神と出会えるのである。
ホロスコープやタロットカードは、
ある意味、個人活動であり、自分との対話。
いや、神との対話へと発展していくことだろう。
ある意味、孤独との対話の入門編となり得るのだ。
夜ゆえに、悪霊にやられないよう、手剣で宙をぶった切り、場を清めてから始めよう。
ロザリオは聖母様と対話ができる。これも孤独者の素晴らしき道具の一つとなる。
クリスチャンでなくても、聖母様はしっかり答えてくださる。
むしろクリスチャンになると、組織活動に狂わされて、聖母様から遠ざかってしまうかもしれない。
私の信仰の基本はここにある。
夜の対話について、
中には悪魔との対話ではないかとあざ笑うものもいよう。だからこっそり始めよう。
小さき孤独者を愛するのは、悪魔ではなく神なのである。
貧乏は祝福に変わる。もしあなたがお金持ちなら、貧しい者にお金を寄付して、
自分を貧しくして、孤独者に仲間入りするべきである。
世の人々よ、孤独者を笑ってはいけない。
孤独者には、無限の可能性があるのだから。
いつか孤独者を卒業し、神の手足となって社会に貢献していくのだ。
だから孤独者よ、孤独者であることに誇りを持とう。
そして、自分は孤独者であることを静かに宣言してみよう。
その日から、間違いなく、素晴しい人生が開けてくるのである。
あなたは、今、孤独を感じていますか。
生きることが辛くないですか。
もし、そう感じているのなら、今すぐ始めてみよう。
何の勇気も要らない。努力も要らない。自然に任せるだけ。
貧しく小さき者であるなら誰でも、その素晴しい世界への道は開かれているのだ。
オイラの孤独時代は中学二年の頃かなあ。毎日うちに帰ると
カーペンターズのLPを聴きながら歌ってた。
今考えるとガットギターやレコードプレイヤーなんか全部、クレイマークレイマーになった親父が買ってくれたんだよな。
だから単に外の世界に対する孤独でしかなかったんだけどさあ
それでも随分時間をもらったなあ〜 ひとりの
しろねこにとってカーペンターズは、ビートルズ同様、懐かしいものではなく今でも時々聴いているものです。それにしても、いかした親父さんって感じするなあ。うちの親父からガットギターなんて言葉出たことないなあ。
しろねこは、最近、坂本龍一の音楽で孤独を楽しんでいます。心地よくなってきたら、音楽を止めて、ロザリオとタロットカードを用いて神との対話の時間となります。ミスマッチのような組み合わせだけど、これが凄いんです。
人は生まれる時も死ぬ時も一人なわけで、孤独ってチャンネルは、ある意味とても大切なこと。しろねこが孤独の中で気づいたことって、本当の人生って功績を残すことなんかではないってこと。生きているからこそ到達できる世界を手探りで見つけることかもしれないってこと。願っていれば、どんなに余命が少なかろうと必ず見つかる、必ず間に合うようになっているって信じているんです。
そう考えると、孤独な時間ってとっても大事。若い頃は、孤独が苦しくって、潰されそうになったこともあるけど、最近になって孤独に強くなってきた感じがします。そこがホームポジションになれば、怖いものなくなる感じがするんです。
人生が楽しくなるのは、お互いこれからですよ。孤独と友達になることもその一つ。音楽にしても、いい加減「認められたい」なんて思わなくなってきたんで、本当にやりたいことができるようになってきているって気がするんです。
きゅ〜ぴ〜さんは、とにかく凄い人だから、楽しみにしています。誰にも真似のできない独自の芸術の世界をぜひ…