2006年09月01日

僕は空腹だった

僕は空腹だった。
それで君は福祉クラブを作って、僕の空腹について討論した。ありがとう。

僕は刑務所に入っていた。
そこで君はひっそりと、礼拝堂へ退いて、僕の解放のために祈った。

僕は裸だった。
そこで君は心の中で、僕のみなりについての是非を思案した。

僕は病気だった。
そこで君はひざまづいて、自分が健康に恵まれていることを、神に感謝した。

僕は宿無しだった。
そこで君は僕に説教した。神の愛の霊的宿舎について。

僕は孤独だった。
そこで君は僕のために、祈ろうとして僕を放って置いた。
君はとても清そうで、神に近いようだ。
しかし、僕はまだすごく空腹だし、孤独で、寒いんだよ。

  (J・J・ラングフォード)
  『SPRITUAL LIFE』(1968)より

小冊子『戦後60年 平和の祈り』(日本カトリック正義と平和協議会編)より




神様は直接人間を救うことはありません。
神様の存在を否定しているのではありませんが、はっきりいって、神様はあまり頼りになりません。

飢えている人のために祈ったからといって、飢えている人を助けることはできません。
飢えている人にどんなに優れた真理を説いても、彼らのお腹が満たされることはありません。
飢えている人には、崇高な真理よりも、お金や食べ物が必要なのです。
彼らは自立ができないから、迷惑な存在なのでしょうか。
しろねこは、そうは思いません。
助け合うからこそ愛が輝くのです。
愛が輝くことろには本当の幸せがあります。

飽食の国である日本において、食べ物に飢えている人の隣人になることは珍しいことなのかもしれません。
でも、孤独に苦しんでいる人は数多くいます。
日本では、8年連続3万人以上もの人が自殺をしています。
ブログを通して食べ物やお金も分けてあげることはできませんが、心の食物なら届けることができそうです。
(お金が底をついて何日も食事をしていないという方は、しろねこに連絡してください。しろねこも貧乏ですが、何らかの手配をして、お力になりたいと思います)

しろねこは、的を得たことを話す自信はありません。特に忙しい時に書いたコメントは、あなたを傷つけてしまうかもしれません。
でも、あなたのことを心配していることだけは伝えることはできると思うんです。
また、しろねこがスランプに陥った時、皆さんからの励ましのコメントをいただいて元気を取り戻したことが多々ありました。
お互い、表面的な言葉よりも、言葉の裏側にある温かいものを感じ取ってみませんか?
表面的な言葉で考えると人間に失望することも多々ありますが、言葉の裏側の温かいものを感じ取ることができるなら、結構、人間ってすばらしいと思えるようです。

立派な言葉に騙されてはいけません。悪党でも、立派な言葉を話すことができるからです。
立派な言葉に騙されて、あなたは財産を失うばかりか、人生において大切な時間を失う事になるかもしれません。

本当に素晴らしいものは、すでにあなたの心の中に存在します。
どんなに汚い言葉を使っていても、その人の心の中に優しさが潜んでいる事をしろねこはすぐ見つけてしまうんです。

だから、だいじょうぶ。

とにかく、与えられた人生を終わりまで生き抜くことを大切にしましょう。一人で解決しようとするから苦しいんです。
一人ぽっちではなく、助け合って生き抜きましょう。助け合うその輪の中に、きっと幸せがある筈です。

このブログでは、皆さんと心と心のキャッチボールをしながら、幸せを模索していきたいと思います。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 05:34| Comment(16) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
しろねこさん、お久しぶりです。
新しいブログの開設、おめでとうございます。

さっそくRSSリーダーに登録し、更新あれば、すぐ読めるようにしますね♪
Posted by 釈円融 at 2006年09月01日 09:40
神であっても、仏であっても、弱い愚かな、そして寂しい私をいつも愛し、許しててくれるもの。
それは、しろねこさんでもあり、私でもあり、そして皆でもある。

人間は簡単に死んでしまいます。
自殺でも病気でも事故でも。
私の身近な人も亡くなりました。
生きていることをお互い大事にしましょうね。
Posted by ada at 2006年09月01日 10:00
ご無沙汰しています。  宗教、信仰などと言うものは厄介なものですね。
Posted by 四恵菜 at 2006年09月01日 10:29
しろねこさん、お久しぶりです。
コメントありがとうございました。
新しいブログを開設したんですね!
ねこ人間による、ねこ的視線・・・面白い発想ですね!さっすがしろねこさんです!また、このブログにぴったりのデザインがあったんですね!やさしいイメージのデザインですネ(*^_^*)
ニフティーのブログが無料になった事をしらずに毎月250円払っています・・・エー!解約しないとそのまま払うことになるんですか・・・情報ありがとうございました<(_ _)>
話を元に戻しますね!
確かに飢えている人には、何か食べる物をあげた方が喜ばれるかもしれませんね!
飢えている人に真理を説いても、飢えがしのげませんものね・・・
でも、飢えている人に食べ物をあげたとします。その人がそれを食べて飢えがしのげた時に、食べ物を与えてくれた人に感謝すると思います。その感謝する気持ちを大切にしてほしいと思います。
人間はこうして助け合って生きているんだょ!ひとりで生きているんじゃあないよ!
そんなふうに思ってもらえたら、うれしいと思います。
飢えた人に食べ物を差し上げようと思う気持ち、ひとり、ひとりが小さなことでも、誰かのために何かをしてあげようという気持ちになってくれたら、いいのにな〜と思います。
人間ってお金が沢山あっても(お金持ちになった経験がないのにこんな事言ってすみません)食べる物に困らなくても、人との関わり合いが何にも無かったら、すごく淋しさを感じると思うんです。
誰かに優しい言葉をかけてもらわないと生きていけない弱い動物だと思います。
ひとりで悩まないで・・・きっと誰かが力になってくれるはず・・・
生きていくのは、大変なこともあるけれど、楽しい事もいっぱいあるはずだよね!
Posted by やっぴーママ at 2006年09月01日 13:41
釈先生、コメントありがとうございます。
今日の記事読ませていただきました。笑顔は自分にとっても元氣の素だし、触れ合う人にも元気を与えられるように思います。しろねこは、はじめに精一杯の笑顔を決めてからブログに向おうかと思います (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月01日 19:35
adaさん、コメントありがとう
仰るとおり、人間は簡単に死んでしまう存在です。野に咲く花のように、はかない面があるゆえに、いとおしいものなのかもしれません。今のこの瞬間が大切なんだってね。犬や猫は、人間よりも寿命が短いゆえ、命の輝きを感じることができるように思います (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月01日 19:51
四恵菜さん、コメントありがとう
素敵なお店ですね。しろねこは、イタ飯には目が無いんで… 以前に四恵菜さんのお店の近くまで何度か足を運んだ事もあり、迷わず行けると思うんで、必ず食べに行きますからね。
しろねこは、宗教、信仰より大切なものが人間の絆だと思うんです。宗教にのめり込んで自分を見失っている人がいるけど、もっと広い心で愛し合いたいものです。しろねこの思い描く神とは、人間だけでなくすべての命を包み込む大きな愛の存在なのかな(=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月01日 20:08
やっぴーママさん、コメントありがとう
ねこ人間とは… いつもチャレンジすること。生きることにしぶとくあること。もう一つは、飄々と生きること。最後の、飄々と生きるというのが、なかなか難しいというか猫たちに頭が上がらない部分です。
素敵なコメントに感動しきりです。仰るとおり、人間って愛がないと生きていけない弱い存在なのだと思います。とても強い人だと思っていたら、病気をして不安と孤独に耐え切れずに、情けないほど以前の面影が崩れてしまった人を多く知っています。やっぱり人間なんだってね。生きるって、つらい事ばかりだけど、ブログで楽しい事を分かち合って、かみしめて、2倍の幸せを味わいましょうね (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月01日 20:21
しろねこさん、コメントありがとうございます。

>とにかく、与えられた人生を終わりまで生き抜くことを大切にしましょう。一人で解決しようとするから苦しいんです。
一人ぽっちではなく、助け合って生き抜きましょう。助け合うその輪の中に、きっと幸せがある筈です。

とても良い文章ですね。年間3万人以上のかたが自らの命を絶つ国なんて、まともではないと思います。
今、TOMも必死で生きております。頑張りすぎないようにして、がんばります。
Posted by TOM at 2006年09月01日 22:28
こんばんは〜
今日から しろねこカフェの開店ですね♪
(開店ってのも ヘンでした(*^_^*ゞ)
こちらのブログの使いごごちは いかがですか?

普段、なんだか孤独感を感じることもあるけど、
よーく考えるとそうじゃないから
自分の気持ちにゆとりがない時には
それが見えてない時や感じられない時もあるんだけど
きっと支えになってくれてる人っているんですよね。
ブログでも、やりとりや言葉の表現とかで、いろんなコトもあるけれど
私も、言葉の中からちゃんと 何か読めるようになりたいです(*^_^*)v 
Posted by yun at 2006年09月01日 22:46
はじめまして(^^)
盛岡在住のクリスチャンのマナです。
私もブログを読み書きするようになって、相手の顔の見えない、言葉のやり取りに難しさを感じています。表面的な言葉に一喜一憂してしまうのだけど、そうではないその人の言葉のうちの表情を読めるようになりたいですね。良いお話を聞かせてもらいました。感謝です。
Posted by マナ at 2006年09月02日 05:48
TOMさん、コメントありがとう
RSDによる痛み。24時間休む事の無い痛み。麻酔を用いないと、痛みから解放されないという痛み。TOMさんと出会わなかったなら、しろねこは知ることがなかったでしょう。「私は傷ついたから、死にます」と簡単に言う人もいるようです。「真理とは…」と語るとあるおじさんは、「生きるだけなら犬猫と同じ」なんて言ってました。人生の意義とは真理を見出すことなのだそうです。彼は真理には詳しいかもしれないけど、優しさ(愛)に足りない人だと感じています。人間さんは、そうなのかわかりませんが、ねこ人間にとって、実の感じられない真理よりも、「与えられた人生を終わりまで生き抜く」ことこそ最も価値のあることだと思えてならないのですが… TOMさんの痛みが少しでも和らぎますように (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月02日 07:38
yunさん、コメントありがとう
そうですね。カフェなんで、開店でいいのだと思います。そうなると、しろねこはマスターということなのかな。美味しいコーヒーの入れ方や、ダイエットメニューについて公開していきたいですね。
苦しみを多く感じられる 今の時点 で考えると神様なんていないように思うけど、じっくり昔を振りかえってみると、「もし、あの人に出会わなかったら」ということが結構多いことに気が付きます。素敵な導きにより、しろねこは現在こうして生きているんだってね。真理などという、崇高な言葉で飢えは満たされないけど、触れ合う人の言葉の中に神が存在しているように思うのです。yunさんの言葉の中にも神様がおられるようですよ (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月02日 07:40
マナさん・:*【祝】*:・ 初コメントありがとう
クリスチャンの方からのコメントは初めてなので、とってもうれしいです。そして、マナさんの素敵なブログに感動しています。ときどきお邪魔して、勉強させてくださいね。しろねこは(ピュアな)聖書主義者なので、カトリック的ではないのかも… ただ、カトリックは邦人作曲の典礼聖歌が好きなんです。本当のキリストの教えに宗派などありません。しろねこも、マナさんに負けないよう出会う隣人に愛を伝える活動をしていきたいです。
しろねこは、マザー・テレサを尊敬しています。インドの誇り高きイスラム教やヒンズー教の行き倒れの人々に洗礼を授ける事はありませんでしたが、間違いなく愛(神)の素晴しさを伝えたのだと思います。相手の顔の見えない言葉のやり取りは確かに難しいですね。前のブログではいろいろありました。新しいブログからは、「マザーだったら、どう対処するのだろう」そういう視点でブログを続けていきたいなと思います。どうぞ、よろしくお願いします (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月02日 08:05
こんばんは♪
新しいスタートですね。おめでとうございます!
心が落ち着くBGMも一緒にお引越しですね。この曲を聴くと「しろねこカフェ」に来たんだなぁーと、安心する思いです。

私はクリスチャンではありませんが、北海道旭川市の素敵な作家で、敬虔なクリスチャンだった三浦綾子さんを尊敬しています。
彼女の残した小説、エッセーの中には、聖書の教えがたくさん紹介されています。
そして、人間関係の中で一番難しいのは「許す」「許し」である、ということも。
人間は間違いや罪を犯してしまう存在であるから、「許す」ことが必要なんだと。
私も人間関係では常に悩んでいることがあります。憎んだり、責めたりすることはたやすいのに、「許す」ことの難しさを痛感しています。
こちらで、人間の心の本当の優しさを見つけていきたい私です。

Posted by めろん at 2006年09月02日 22:01
めろんさん、コメントありがとう
お返事遅くなって、ごめんなさいね。
しろねこは、マザー・テレサに出会う前、三浦綾子さんの小説や、エッセーの影響を受けたんですよ。『塩狩峠』『海嶺』『氷点』… 名著『旧約聖書物語』を読んで、原罪についての認識が修正されて、某カルト宗教をやめることができたんです。だから、とっても感謝しています。
おっしゃるとおり、人間関係の中で一番難しい事は、「許す」ことなのだと思います。『氷点』では、その点がテーマになっていましたよね。「許す」ということは信仰がなくてはできないことですね。そして、信仰とは、優しさの上に成り立っているものなのだと思うのです (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月03日 22:04
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