2006年09月03日

神様が見えない理由

この記事、皆さんのコメントを受けて日々進化しています。

人は、真心の愛に触れてこそ本当の幸福感を得られるのだと思います。

キャバレー通いの孤独な男性達が、通えども通えども得られないのは、この真心の愛なのではないでしょうか。ホストクラブに通う孤独な女性達にも同じことが言えるのだと思います。

神様が、人間を創造したのは、この真心の愛に触れてご自身が幸福感を得ようとなされたのではないかと思います。人間よりも先に創造された天使達は、神様のいいつけを守るだけで、そこに真心の愛が感じられなかったのだと思います。

そこで、神様は、人間には「神様を裏切ることの出来る自由」をお与えになりました。もし、神様が見えたなら、天使達のようにいいなりになるしかないので、あえて姿を隠されたという考え方です。

私は神様を見たことがあるという人がいたなら、間違いなく嘘つきと言えるのだと思います。『聖書』にもこう書かれています。

  いまだかつて神を見たものはいません。(新約聖書 ヨハネの手紙一 4章12節)

しろねこが、最近テレビでも大活躍の占い師の細木数子先生にちょっぴり好感を持てる点は、「神様も幽霊も一度も見た事が無い」と告白していたからです。しろねこは、数々の心霊現象を体験している者ですが、やはり神様を見た事はありません。神様が見えたなら大変です、人間として、この世に存在する意味がなくなってしまうのですから。

もし、恋人に「どうして自分が好きなの」と問いをして、「みんながカッコイイと噂をしているから」(※「私が」でないところに注目)とか、「リッチな生活ができるから」(※与えられることのみの考え方)といった答えが返ってきたたとします。

コンプレックスなどから自分を見失っている男性なら、単純に良い気持ちに浸るのかもしれせんが、ごく普通の男性なら、そのことに真心が無いことに気が付くはずです。

「この女性は、自分が病気になったり身体障害者になっても付いてきてくれるのだろうか」「事業に失敗し、借金生活をするようになっても付いてきてくれるのだろうか」

最も信頼できる愛、最も幸福に繋がる愛とは、お互いが、「自分の意思で、自分の責任で」愛することのできることだと思います。

同じように、神様を愛するということも、強制されてしまっては意味が無いのです。「自分の意思で、自分の責任で」神様を愛する時、そこに神と人間との真心による愛の絆が生まれるのだと思います。

『聖書』には、この世はサタン(悪魔)が支配しているのだと書いてあります。(新約聖書 ヨハネの手紙二一 5:19、ルカによる福音書 4:5−8、ヨハネによる福音書 8:23、18:36)

つまりサタンというマイナスの存在があるからこそ、人間は自由意志により、「自分の意思で、自分の責任で」プラスの存在である神様を愛することができるのです。

それによく考えて見ましょう。この世では、悪いやつほど成功に近いですよね。サタンがこの世の支配者であることの証明ともいえるのだと思います。

この世は、サタンが支配しているゆえ永遠の世界ではないのだそうです。死後、神様の許に帰ったときに、永遠の世界に入れるのだとキリスト者は信じています。

さて、人間に、さらには神様にも本当の幸福感を与えてくれる真心の愛なのですが、なにせこの世はサタンの世ですから、傷つけられてしまうことが多いのです。

でもだいじょうぶ。

真心の愛とは、ことごとく傷つけられて、倒れても、倒れても、立ち上がることの出来るもの凄くタフな愛なのです。

どうしてって。神様から出ている愛だからです。

しろねこは、このことをBUNちゃん先生(パソコン教室わかるとできる社長兼講師)こと硲弘一氏の生きざまを通して学ばせられています。だれよりも、しんどい苦しみを味わってきたのに、いつも最高の笑顔を絶やさない、先生のような「真心の人」になりたいものだと思います。(9月5日記)

もし傷ついて、「もう立ち上がれない」というのなら、真心の愛に生きていなかったという自己分析ができるのだと思います。

でもだいじょうぶ。

真心の愛は、「真心の愛に生きようと決意した時」に、ふつふつと湧いてきてその人を優しく包み込むからです。

一昨日の記事に、「神様は直接人間を救うことはありません。神様の存在を否定しているのではありませんが、はっきりいって、神様はあまり頼りになりません。」と書きました。

だから、人間同士で助け合って生きていこう。助け合いの輪の中にきっと幸せがある筈だからってね。

でも、神様が見えない理由がわかれば、真心の愛とは何かって見えてくるのではないでしょうか。

神様に失望することがなくなるように思います。

神様がいるかどうかとたずねられたなら、残念ながら、しろねこは「わかりません」と答えるしかありません。

わからないゆえ、「神様がいらっしゃると信じています」と答えたいです。

わからないのですから。

わからないことが、とっても大切なのですから。

わからないゆえ、宗教批判などできません。

宗教なんていうものよりも、真心の愛のほうがずっと大切なのだと思います。


飼猫的に考えると、宗教的真理より飼主の愛が欲しいなあ。野良猫的に考えると、宗教的真理よりも、空腹を満たすことが重要だあ。神様??? 猫には、人間には見えない霊が見えるのだ。エヘン!


そうそう、書き忘れた事、追加しますね。
しろねこは、若い頃、神様はいないと考えた時期がありました。「こんなに、真心込めて接しているのに、どうして解ってもらえないのだろう… こんなに、真面目に生きているのに、どうして不真面目な人の方が幸せに見えるんだろう…」
『旧約聖書』に「詩篇」という詩集があります。その多くは、悔い改めの義人ダビデの作なのですが、その詩の大部分が嘆きと愚痴なんです。「どうして神は、私を助けてくれないのですか」とか、「どうして、神は私に苦しい思いばかりさせるのですか」とか…
嘆きや愚痴を思いっきり書き綴った後で、思いとどまって神様への賛美で結ばれているというパターンなんですね。その風変わりな詩には随分考えさせられました。
神様の導きって、なかなか同時進行で感じることが出来ないようです。過ぎ去って、振り返った時、「もし、あの人に出会わなかったら」って考えた時、導きを感じられたりします。そのことにふと気が付いたとき、神様の存在を信じられるようになりました。(9月4日記)

「詩篇」では、嘆きや愚痴が賛美に変わることについて学ばされます。
あと、旧約聖書の多くはヘブライ語で書かれているのですが、「祈り」という語を本来のヘブライ語のニュアンスのままに訳すと「呻き」となるそうです。美しいお祈りのイメージは、そこにはありません。苦しみ・悲しみ・痛み・絶望感の中での呻き声が祈りの原点というのでしょうか?
嘆き、愚痴、呻きというと、信仰に反するもののようですが、「人間だだもの」。それでいいのです。励まし合い、助け合う、その輪を通して、嘆きや愚痴から、元気が出て、呻き声が、賛美に変わっていくことを聖書は示していると思うのです。
「聖書」では、と書きましたが、仏教でも同じ事を言っています。「和の心」とは、全く異なる者同士がお互いに認め合う輪の中に生まれるのであって、正しい概念に右に習えしてできるものではないと教えています(華厳経)。無理して変わることなんてありません。ありのままでいいんです。愛し合う輪の中に幸福の種があるのだから。そういう意味で、ブログって素敵だと思いませんか?(9月6日記)


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 21:24| Comment(14) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
しろねこサン、おかえりなさいませ(^^)
ブログペットの方にメールを下さったんですよね。。?
私のペットとの連絡がつかなくて、「読めない」んです。残念です・・・また探してみますネ!
人生の中で「絶対的な人」。。。
私は「この人なのかな?」と思う人がいます・・・
何度も傷つき、傷つけ・・・
でも、いつのまにか、またそばにいる。。。
この夏もその人と急接近をしましたが、近づきすぎて、また傷ついてしまいました・・・
例のピアノマン曰く、
「本当に好きな人とは結婚しないで、一生大切に置いておくのがいい・・・」
この言葉がジーーーンと胸に響いています
「真実の愛」なんて持てるほど、強くない私です
でも、「真心の愛」ならなんとかなるかも。。。(笑)
この人の成長と幸せを心から祈りつつ、影ながら応援してあげたいナ
。。。なーーんて思う今日この頃デス。。。


また来ます♪
Posted by yokosmile at 2006年09月04日 12:53
やっぱり「みんな」の価値観って気になりますね。
「みんな」の意見を聞くと、ついグラグラ。
でも、ちょびっとだけ、自分のカンみたいなものを信じてるとこもあったりするので
他の人の意見も参考にしつつ、自分の意志も大事にしたいなー
あ。特に、恋愛に関してはちょっと他の人と違うとこもあるみたいで(笑)
あんまり人に恋愛話ができなくなってしまいました(*^_^*ゞ
のんびり、わが道をいってます(笑)
Posted by yun at 2006年09月04日 20:53
yokosmileさん、コメントありがとう
例のピアノマン、テレビで拝見させていただきました。心に染み入る素晴しいピアノですね。
そして、さすがに良いこと言いますね。「本当に好きな人とは結婚しないで、一生大切にしておくのがいい…」
死ぬほど好きだけど、結婚せずに、陰ながら好きな人の幸福を祈り続ける。こういう人は、一生涯、芸術的センスを失わずにいられるように思うなあ。結婚しちゃうと、現実しか見えなくなっちゃうし、新しい夢が見られなくなってしまうから。だから、心に秘めた恋があるなら大切にしたいもの… 実らぬ恋ほど素晴しい宝物は無いと思うのです。
結婚生活という現実的な歩みを選んでしまったしろねこですが、「真心の愛」によって、新しい幸せを見つけることができそうです (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月04日 21:32
yunさん、コメントありがとう
しろねこが後から下線を引いた部分をしっかり読み取ってくださいましたね。うれしいな。
「みんな」という価値観でばかり考えると、「自分の意思と責任で」物事を考えられなくなってしまいます。どんなに失敗しようとも、傷つこうとも、「私が」という考え方で行なうならば、その人を成長させると思います。人に話さないでいるのは辛いかもしれないけど、わが道をのんびり、しっかり、のっしのっしと歩んでください。しろねこも「のっしのっし」と猫道を歩みます。yunさんのこと、心から応援していますよ (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月04日 21:41
こちらが真心を持って接したからといって、相手も真心をもって答えてくれるとは限らない所が人間の難しい所でしょうか。
それこそ身体障害者になっても、貧乏のどん底でも助け合っていこうと思った人に裏切られたことがあります。
若い、むかーしの話ですけどね・・・♪
その時は神様が居るのなら、なぜこんなに努力している私に幸せを掴ませてくれないのか?と思いました。
でも今思うとあの時のおかげで今の幸せがあったりするのでした。
毎日を大切に過ごしていきたいです。
PS 私は無宗教ですが、教会の幼稚園のバザーに行ってきました。近日中にアップしますね
是非ご覧下さい〜(^o^)
Posted by かばみー♪ at 2006年09月04日 21:50
かばみー♪さん、コメントありがとう
しろねこが書き忘れた事を書いてくださいましたね。記事に追加しようかな?
しろねこも裏切られてばかりなんです。神様を何度呪った事でしょう。
『旧約聖書』に「詩篇」という詩集があります。その多くは、ダビデが書いたものですが、その詩の多くは、嘆きと愚痴なんです。「どうして、神はこんなに苦しい思いばかりさせるのですか…」 
でも、嘆きや愚痴を書いた後で、思いとどまって賛美で結んでいるんですね。
神様の導きって、なかなか同時進行で感じることが出来ないようです。過ぎ去って、振り返った時、「もし、あの人に合わなかったら」って考えた時、導きを感じられたりします。
バザーの記事、楽しみにしていますね (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月04日 22:19
しろねこさん、こんばんわ!
この前PC教室でBUNちゃん先生の話を授業で聞きました、いつもの解説の合間に素敵な話です。本当にいろんな辛い目にあっているからこんなに素晴らしいことが云えるのだなっておもいます。いつもお子さんに愛情を注ぐ姿にそして社員に寄せる思いを聞かせていただいて為になります。こんな人になるには相当な修行がいるのだと思うのです。しろねこさんもそれに似ていると思います。愛情をかけるのもちゃんといつもかけてあげるとか、すべての根底に愛情があるのです。BUNちゃん先生としろねこさんはすごいですね!見習うことばっかりです。
Posted by ちぐ at 2006年09月04日 23:09
ちぐちゃん、コメントありがとう
しろねこは、BUNちゃん先生を心から尊敬しています。実際お会いして話をしたこともありますし、ご著書にサインもしてもらい家宝としています。
しろねこも、辛い目にはあっている方ですが、BUNちゃん先生は、さらに上をいっているように思います。なのに、あの最高の笑顔を絶やさないんですよね。彼こそ、「真心の人」なのだと思います。「真心の愛は、もの凄くタフな愛」と書いたのは、実はBUNチャン先生からのイメージなんですよ。
わかるとできるの講師は、BUNちゃん先生に代わる人がいません。だって、あれほどの苦労話を話せる人がほかにいないから。後継者なき会社ですね。だから、お互い先生のご健康をお祈りしていきましょうね (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月05日 07:12
しろねこさん、こんにちは(^_-)-☆
神様がいたら・・・と思うときは、ひどいめに会ったとき、辛いとき、悲しいときなど、助けを求めたい時に感じるように思います。
子供に障害があると分かった時には、神様など居ない!!と思いました。神様がいたらこんな事にはならないはず・・・
でも、あるお話に「障害児をもったお母さんは、神様から選ばれた人なんですよ!」と言うお話があります。そのお話を読んだときに、私はやっぴーに出会えて幸せだと思ったことは、やっぱり神様のお陰なのかもしれない・・・と思う自分に気がつきました。
上手に思いを表せませんが、神様は心の中にいつもいてくださる気がします(*^_^*)
Posted by やっぴーママ at 2006年09月05日 13:50
自分の願ったとおりにしてくれると、「神様が自分を愛してくれている」と思ったり、自分の祈ったとおりならないと「神様は自分を見捨てた」と思ったり...。本当に人間というのは身勝手なものですよね。まさに私自身がそうですから。
でも、神様は私たちの想いをこえて、私たちに働きかけて下さる。私たちの小さな考えではその時は理解できなくても、ずっと後になったときに、わかるんですよね。本当にそうだと思います。
感謝の心を忘れない私たちでありたいですね。
Posted by マナ at 2006年09月05日 20:04
やっぴーママさん、コメントありがとう
とても、素敵な証に感動しています。
しろねこもやっぴー君を通して、神様の愛を感じているんですよ。聖書には、「障害とは、神の栄光が示されるために存在する」と書いてあります。しろねこも、やっぴーママさんのブログを通して、神様の栄光を感じながら人生を歩んでいけたら素敵です (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月05日 21:24
マナさん、コメントありがとう
しろねこの伝えたいことがしっかり伝わっていますね。うれしいです。
しろねこは、昨年のクリスマスから、長いことお休みしていた音楽活動を再開することができました。今月も17日に、おじいさん・おばあさんたちの前で日本歌曲を歌う予定です。夜遅いですが、明日、伴奏者との伴奏合わせをする予定なんで練習しなくては (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月05日 21:33
しろねこさぁぁぁぁああああん!!
待ってた!!待ってました よ!!
あぁぁあああぁ。
語りたいことは多々あれど…ちょっとまとまらないので、取り急ぎご挨拶ま で!!

また、しろねこさんとお話が出来ると思うと嬉しいです…!!!
Posted by hiyo at 2006年09月05日 23:34
hiyoさん、コメントありがとう
喜んでいただけて何よりです。それより、すっかりご無沙汰しておりました m(__)m
お陰様で、しろねこも音楽活動をやっております。PRは一切やっていませんが、ありがたいことに依頼が入るんです。今月、17日には、おじいさん・おばあさんたちの前で日本歌曲を歌う予定です。
いつか、hiyoさんのかっこいいライブ姿を見るのが楽しみです。しろねこも、また東京で歌えるようになりたいな。お互い、良い刺激を交換し合いながら、音楽活動に磨きをかけていけたら素敵ですね (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月06日 00:20
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