2006年09月10日

うめき声を上げること

マルコによる福音(マルコ7・31-37)
 〔そのとき、〕イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるように願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」


ティルス→シドン(北へ)→デカポリス(南へ)→ガリラヤ湖(北へ)という歩みに計画性は見られません。しかも、ものすごい距離を(歩いて)移動しています。いずれも異邦人(異教徒)の地域を回っていることになります。

さて、しろねこが最も注目した点は、「深く息をつき」の部分です。ミサのとき配布されるプリント『聖書と典礼』の解説によると、「うめく」と訳されるのだそうです。イエス様は、頭の上に手を置き、おまじないを唱えて瞬時に奇跡を起こされたのではなく、実に人間的に、うめき声を上げて、苦しみながら癒されたのだと解釈できます。

そういえば、邦訳で「祈り」と訳されている言葉を、ヘブライ語の本来の意味に近い訳し方をすると「うめき」になるそうです。

生きるとは、そんなに格好の良いことばかりではありません。無力さ、惨めさが付きまといます。まずは、自分のためにうめき声を上げる。そして、他者のためにうめき声を上げる(他者のために祈るには、自分がある程度の幸福の上に立っている必要があるのかもしれません⇒釈円融先生のブログの記事参照)。

いずれにしても、うめき苦しむことに変わりありません。自分の力だけではどうしようもない無力感と、惨めさとの葛藤がそこにはあります。

でも、良くなろうという思いがあるから、よくなって欲しいという思いがあるから、うめき声を上げるのです。

そういう「うめき声」を上げることこそが、最も神に喜ばれる信仰なのかもしれません。決して格好の良いものではありませんね。ですから、かなり謙虚な姿勢でなくては、できない信仰でもあります。

そこで、今日のもう一つの聖句です。

わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛するものに約束された国を、受け継ぐものとなさったではありませんか。(使徒ヤコブの手紙2・5)

貧しいことは幸いなり。無力なことは幸いなり。うめき声を上げる者は幸いなり。


今日は、妻と自転車でカトリック教会のミサに行ってきました。日曜日は何かと忙しいしろねこにとって、久々の主日ミサではあります。平日に(1日だけ)教会でのボランティアをしてますが、今日は声を掛けられたくないので逃げるように帰ってきました。

「しろねこカフェ」に来ると、教会に行くことなく、聖書に触れることができますよ。また、お寺に行くことなく、仏教の教えに触れることもできると思います。ここでなら、お金を失う心配もありませんし、安全に信仰について学ぶ事ができると思いますよ(また、皆さんのコメントを通して、学ばせていただきたいです)。安心して、遊びに来てくださいね。

同じ聖句で、しろねこが影響を受けている森一弘司教の説教をお聞きになりたい方は、「こちら」 
※音声で聞くためには、「しろねこカフェ」を一旦閉じる必用があります。または、[DL]ボタンを右クリック→[対象をファイルに保存]→保存先をデスクトップに指定し[保存]をクリックして、デスクトップに音声ファイルを保存して、後でじっくり聞くことも可能です。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 11:51| Comment(18) | TrackBack(1) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
最近、「明日のことを思いわずらうな」と、聖書に書いてあるのに、ずっと先のことまで「思いわずらって」しまい、ナンセンスな心配をしてしまっているようです(苦笑)。

これは、手の痛みが、ブロックと薬でかなりおさえられていることの裏返しなのかもしれません。
Posted by TOM at 2006年09月10日 19:31
TOMさん、聖書を読まれているのですね。素晴らしいことです。
TOMさんの痛み、しろねこには想像の絶するものなのだと認識しています。少しでも、痛みが和らいでほしいと願っているのですが、何もできない無力な自分に心がうめいております。でも、そこに信仰の原点があるのなら、TOMさんとのブログでの交流は素晴らしいものなのだと信じております (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月10日 20:10
しろねこさん、いつもありがとうございます♪

人間が、好きに生きていられるのも、守られているからだと思います。
でも、今の日本には、何に守られているのかを、知る機会が皆無に近いのも事実。

それを知ることが出来れば、もっと謙虚に、もっとやさしくなれると思うのですが・・・

しろねこさんのブログは、それを求めている人への、灯りになっていると思います♪
Posted by 釈円融 at 2006年09月11日 09:32
釈先生、コメントありがとうございます♪
ブログを再開してからは、ほぼ毎日、先生のブログに勉強させていただいております。
先生のメッセージは、時間を経て心に響いてくるものが多いように感じます。ですから、よく味わってからコメントを書こうと思って、書きそびれてしまうことも少なくありません。
先生のブログには、しろねこのブログの友人にもファンがいるんですよ。
しろねこも、先生のような「人生冒険家」になりたいです。日本中に「人生冒険家」が増えていったなら素晴らしいですよね。
障害や逆境に負けない、むしろ強さへと変えていく証を築いていきたいと思います。
どうぞ、よろしくお願いします (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月11日 18:52
しろねこさん、あたたかいコメントありがとうございます。

神様は、「その人が乗り越えられない苦痛は与えない」とのこと。

「自分の子供が欲しいものはわかっていると」のこと。

神様は私を生かしているわけですから、何か、私にも「使命」があるのではないかとおもわずにはいられません。
Posted by TOM at 2006年09月11日 23:46
しろねこさん、あたたかいコメントありがとうございます。

神様は、「その人が乗り越えられない苦痛は与えない」とのこと。

「自分の子供が欲しいものはわかっていると」のこと。

神様は私を生かしているわけですから、何か、私にも「使命」があるのではないかとおもわずにはいられません。
Posted by TOM at 2006年09月11日 23:47
TOMさん、こちらこそ、ありがとうございます。
コリントの信徒の手紙一10:13とマタイによる福音書7:7-12ですね。しろねこも大好きな聖句です。
TOMさんは、まさに神様に選ばれた方、素晴らしき使命を感じられます。そして、激しい痛みの中に使命を見出されたことに深い感動を覚えます。心より応援しております (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月12日 08:48

。。。うめき声。。。

私は最近、大切な人とお別れをしました。
『このまま一緒にいては お互いのために良くない』
ということを思い知らされたからです。。。

この『別れ』の前に 私は何度もうめき声をあげたように思います
『自分』のために、『相手』のために。。。

次に会う時は お互いもっと成長して、
本当に心から笑って会いたい
そう思います☆
Posted by yokosmile at 2006年09月12日 17:15
yokosmileさん、コメントありがとう♪
ずーと心配しておりましたよ。
『自分』のために、『相手』のために、うめき声をあげられたんですね。
神様の祝福がきっとありますよ。社交辞令的なうすっぺらな愛情の多い中、yokosmileさん、素晴らしいですもの。
それに、神様ご自身が、常にうめいておられる方なのですから… うめきの声を上げている限り、神様とは同志のようなものですよ。
お互いに理解し合える日がきますよ。きっとね (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月12日 18:33
コメント拝見しました。ありがとうございます。
Posted by TOM at 2006年09月12日 21:19
しろねこさん、こんばんは♪
今日はちょっと気持ちが凹んでいました。
私は、すぐに気持ちがぐらぐらします。
ちょっと気になる言葉を言われただけで、あっけなく凹んでしまいます。
もっと、気持ちを強く持たなければ・・・と思うのですが。
今夜ここへ来て、かっこ悪く凹んでも、自分の為にうめき声を上げてみよう、と思いました。

こんな私、本当はブログにもっともっと素直に自分の気持ちを綴りたいのです。
そして・・・前の記事にも書いたのですが、絵を通しての素敵な交流・・・(これが私の望んでいた気持ち)しろねこさんにも、知ってほしくて・・・・。
名前のところ・・・もう一人の私へのリンクになっています。
お時間がありましたら、覗いてみてください。。。。
Posted by めろん at 2006年09月12日 23:18
めろんさん、コメントありがとう
しろねこは、ちょっぴりネガティブな人間の方が自然なんだと考えています。だって、ポジティブな人間って、大切な何かに欠けているように思うんです。かっこ悪く凹んで、心がうめき声を上げるからこそ、私たちのために常にうめいておられる神様と心が一つになれるように思うんです。
しろねこは、めろんさんの絵が大好きです。しろねこは、子供の頃は絵ばかり描いていた少年でした。しかし、大人になったら全く描けなくなりました。今、一番取り戻したい事は絵が好きだった頃の感覚なんです。めろんさんの絵を見ていたら、しろねこの原点に戻れそうな気がしてきました。
これからも、素敵な絵を描き続けてください。いつも楽しみにしております (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月13日 05:30
しろねこさん、こんにちは(*^_^*)
うめき声をあげることは大切なことですよね!
いくら自分が思っていても、思っているだけでは、誰にも思いが伝わりません。
釈円融さんのHPにちょっと行ってきました。突然障害を負ったにもかかわらず、前向きに生きていらっしゃる方で、お手本のような方ですね!
釈円融さんも言っていましたが、声にしていかなければ、何も変わらないんです。
行政の方たちは、仕事として業務をこなしているだけで、障害者の方の立場になって考えていないように思います。
障害者の方たちが、うめき声をあげていかなければ、何も解決していかないように思います。
ひとりでは出来ない事も、多くの仲間が集まれば出来るかもしれない・・・
みんなで住みやすい日本になれるように、うめき声を上げて行ければ・・・と思っています。
Posted by やっぴーママ at 2006年09月13日 16:55
しろねこさん、こんばんは。
今日は、ちょっと疲れています。
何で、こんな病気になったのかなぁ・・・。
私が一体、何をしたのだろう・・・。

今日は大学病院の通院日でした。仕事の都合をつけていくのですが、正直大変です・・・。それ以上に、治るのかどうなのか・・・。

しかし、前向きに考えなくてはいけませんね。でも、ちょっと、疲れました。
Posted by TOM at 2006年09月13日 19:29
しろねこさん こんばんは!
ここにくると、普段自分が考えもしないような視点で考えることができますね。
「うめき声」ですか。そんな時もあるかなー。
何かの壁に当たった場合に、よーく立ち止まって考えるときってイメージかな。
自分自身のことでも、相手があることでも。
何にも感じないで素通りしちゃってると、うめき声って出ないですよね。
あれ?これだと、しろねこさんの言ううめき声とは違うかな(*^_^*ゞ
うめき声⇒祈り。何か真剣に祈ったりお願いしたりしてる時って
自然に「うめき声」っぽくなるかも。
Posted by yun at 2006年09月13日 21:48
やっぴーママさん、コメントありがとう
釈先生のブログに行かれたんですね。しろねこは、最近、ほぼ毎日行って勉強させていただいているんですよ。
しろねこは今日、とある署名に書いてきました。妻と娘を失った父親のうめき声にはじまる署名運動です。住みよい日本にしていくために、小さなうめき声を皆で支えながら、大きな声に変えて世の中を動かしていく必要があるのだと感じております (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月13日 22:37
TOMさん、コメントありがとう
実は、しろねこも今日は疲れているんです。何か一緒ですね。
朝に血圧を測ったら、新記録を更新していて、一日中、酷いめまいで倒れそうでした。
仕事している時、何度もTOMさんのことを頭に浮かべました。
無理して頑張る必要はないけど、与えられた責任だけはしっかり果たそう。TOMさんが激痛に耐えて頑張っておられるのだから…
でも、時には弱音を吐いていいように思うんです。ポジティブ過ぎる人って、社会では求められている人材なのかもしれないけど、多分大切な何かが欠落していると思うんです。ネガティブな面を隠し持っているゆえ、「人間らしさ」というのか、理解し合える、同調し合える優しさのセンスを持てるのではないかと思うんです (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月13日 23:03
yunさん、コメントありがとう
読んでくださったのですね。とても嬉しく思います。
うめき声とは、心の叫びでもあります。祈りの原点なんですね。
しろねこは、仕事が上手くいかないとき、家に帰ってついキレてしまい、うめき声を通り越して奇声を上げることがありますよ。スカッとして、自分を取り戻せるんだけど、家族にしてみりゃエライ迷惑なんだろなあ (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2006年09月13日 23:05
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

最近、気分転換していないなあ・・・。
Excerpt: どうも最近、うまく気分転換をしていないせいか、ちょっとお疲れ気味です。 2,3日
Weblog: RSD友の会
Tracked: 2006-09-10 14:12
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。