2013年02月27日

子どもの人格教育は、「放課後教育」にある

教師と子どもとの間に信頼関係が築かれ、子どもが教師と共にいる時間に、心地よさを感じられるようになったとする。
すると、その子どもは、無意識で、教師の行動を真似するようになるのである。

例えば、入門時には、わがままな感情をコントロールできず、お友達に意地悪をする傾向の子だった子が、教師といる時間に心地よさを感じられるようになると、その子は、無意識で教師の行動を真似して、感情をコントロールできるようになり、お友達を励ます傾向を示すようになっていくのである。

もし、教師が、その子を激しく叱り、強引に行動を改めさせようとするなら、その子は、教師になつかなくなるため、プラスの行動変容は望めないといえる。仮に、なつくようになったとしても、教師の厳しい言動は、その子が無意識で模倣する言動となるため、他者に厳しいことを言う子になるのである。

そう考えると、教師は、まずは、ひたすら子どもとの信頼関係を築くことが重要となってくる。子どもの行動を変えるという発想ではなく、教師が、ひたすら手本となる行動を示し続けることが教育なのである。このことからも、体罰はもっての外であり、どんなに問題行動を起こす子がいたとしても、辛く当たってはいけないのである。

しかし、そのやり方では、できない子がその現状を克服しにくいため、勉強ができないまま成長するのではないかと指摘されるかもしれない。しかし、間違いなく無意識で教師の行動形態を模倣するため、教師が良い手本を示しているなら、彼らが社会に出たときに、周りから愛され、援助されやすい性質を示すと考えられ、勉強のできない部分を見事に克服できるのである。このことは、小学校における大人数での教育では手が届きにくい部分といえる。

できない子をできる子に変えようと、子どもに無理な重荷を与えないことが重要である。現在の、その子の状況を見極め、ふさわしい努力目標を見つけてあげることが教師の使命の一つといえるのである。

つまり、学習成果にばかり目を向けていると、子どもの人格教育が疎かになってしまうのである。当塾では、才能のある子には、より高い目標を与えて努力させているが、(7歳頃までに固まり、型となっている)人格修正の方に主眼を置いている子に対しては、教師と子どもとの信頼関係を重視した教育を展開している。

子どもには、学ぶ環境の他に、遊ぶ環境を用意する必要がある。子どもは、遊ぶスペースとちょっとした小道具を与えると、自分たちのイメージを膨らませて、「ごっこ遊び」を始めるようになる。これが、人間関係を養うために非常に有効なものとなるのである。遊びの中で、自然に、できる子は先生や社長の役を演じているようであるが、できない子は、妬んだり僻んだりするのでなく、そういった形で、できる子を認め励ますことができるのである。また、できる子も、できない子と一緒に遊ぶことで、差別的な感情に走ることなく、できない子の良い面を見つけて励ますなどの健全な精神が育まれていくのである。この部分も、小学校の教育現場では展開しにくい、まさに「放課後教育」なのである。

ある日、私が疲れた状態で授業をしていた。それまで「アクセサリー屋さんごっこ」をやっていた子供たちが、「温泉ごっこ」に変更してやっていた。私は、子供から「無料サービス券」をもらい、癒しの施設に案内された。うかつに子供に苦しい姿を見せられないと反省することとなったが、同時に、子供たちが健全に育っていると感じることができた。

学校でいじめを受けている子も、当塾で、他のクラスの子や、他の学校の子との間に良い人間関係を築くことで、自信を失わずに済むため、登校拒否を食い止める効果となっている。

さて、私が母から書道塾を受け継ぎ営業活動をするようになって、それまでの子どもたちに比べ、放課後にだらだら遊んでいる子供が目立つことに気づくようになった。これは、親御さんの問題、つまりはリストラや労働者派遣法など、労働形態が激変し、収入減で苦しむご家庭が多くなっていることを示しているようである。国の未来を支える子供たちの学力の低下が目立ち、わが国はますますその地位を失っている。家計に負担のかからない「放課後教育」の重要性が問われてきているのではないだろうか。






posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 21:21| Comment(3) | TrackBack(0) | 書道教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
在る意味、塾の広報の講師紹介欄に載せたい文章ですね!

私の場合、公私共に子供達の教育に関わる機会を得ませんでしたが、こと大人に関しては様々な環境におられた方の指導や教育をする機会を得ています。

そんな中で何時も感じるのが、教えることのとうとさです。
全く今になっても人間として未熟な私は仕事を通した教育の場等では、立場とは反対に短所を指摘されることもしばしば・・
そうでなくても人を教える内に自分が教わる事も数多く、
それは対子供達でも同じなのでは、いや相手が純粋である分より大きな収穫を得ていらっしゃるのではないかと、
しろねこさんを思います。

そこで私からの音楽的指導?なんですが・・・
リゴレットは勉強された事がありますか?
ヴェルディがハイバリトンの為に書いたと解釈している私ですが、しろねこさんにとっては光り輝くテノールへの道に為る練習曲だと思いました。
高音の魅力を更に引き出せたら。
高音にしろねこさん御自身が自信を持てたら。
幸いです
Posted by 西川周平 at 2013年03月19日 17:23
西川周平さま
お返事遅くなりました。
営業活動といっても、ポステインングなんだけど、歩きすぎて寝込んでしまいました。情けない限りです。頑張った割に、今のところ興味を示してくれたのは1件のみ。今年は、一気に7名やめちゃうもので、かなり厳しいです。

私は、コーラスでは、バスもテノールもやっちゃう方ですが、独唱ではどちらでもないという感じです。バリトンでもないって感じ。前身のチャクラが開く声域が一番なのかもしれません。私にとって歌っているときは、一番清らかな状態なので、神様と繋がっている感じがします。

オペラは役によって声が決まっちゃっていますから面白くないのですが、歌曲なら、かなり自由度があります。でも、見る側なら、ヴェルディは最高! しかもヴェルディのテノールは、私の中では最高のヒーローなんです。

3月31日には、教会のイースター祝賀会でR.シュトラウスの「万霊節」と「献呈」を歌う予定です。
Posted by 盛岡のしろねこ at 2013年03月22日 22:29
ポスティング、5年前は毎日自転車でやってました。そのうち一件だけ直渡しの方から引き合いが有り、会社が新聞折り込み広告の募集欄に経費を割く事に繋がりました。
因みに私が中学の時、塾に入ったきっかけは親達の口コミでしたけど・・

そうでしたか!それは在る意味話が早い。
私はしろねこさんのオテロが、いつか聴けたらイイなと思ってま〜す
歌曲ではベッリーニです。
正反対の声質ですいません
Posted by きゅ〜ぴ〜qp at 2013年03月23日 03:04
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。