「一年後に自分は死ぬ」と考えてみると、時間の過ごし方がかなり変わってくる。
○○は間に合わない。○○も間に合わない。
と、間に合わないことだらけなのである。
しかし、間に合うこともある筈だ。
というか間に合うことこそが、神と繋がっている事柄となってくるのである。
どうせ死ぬのだからと考えると、大胆にいらないものを捨てられる。
今やるべきことが絞られてくる。
まず、今触れ合っている人間が大切になってくる。
今やっている仕事が大切になってくる。
今触れ合っている人間に何をしてあげられるかを考える。
そして、死んだ時に困らない知識を学ぶことを優先させる。
これは、命のタイムリミットが少ない人間にしかできない行為といえる。
シュタイナーの霊学を学ぶことは、かなり有意義と言えるのかもしれない。
ブルース・ゴールドバーグもお勧めである。
瞑想とは、死ぬ練習として行うのなら意義が深まっていく。
つまらないことに時間を費やすことがなくなっていく。
今までに得た経験でできることで十分。その経験でできることを考えればよい。
死後、神の世界へ行けることが本当の人生の勝利とするなら、この世での成功はたいした意味はないと思えてくるだろう。
この世のヒーローにはなれなくても、天界でのヒーローにはなることができるのである。
ワクワクするような死後の世界。一年でそこに到達するために、価値なきものを見ぬき、ことごとく捨て去っていくのである。
1年リミットなので、1年生きられれば良いわけで、1年生きられるだけの借金をすればよい。
その程度なら、お金は借りられるし、食いぱぐれることは無い筈だ。
先のことを考えすぎるから、息苦しくなったり絶望するのである。
長期スパンで描く人生と違い、大きな夢は抱けないかもしれないが、ものすごく充実した時間は得られるのは間違いない。
もし、命日である筈の日に生きていたなら、また1年人生を更新すればよい。
無駄のない充実した時間が得られているので、少なくとも進化した魂で生きられる。もしかすれば、わずかながらも生活レベルも向上しているかもしれない。
本当は30歳を過ぎたら、一年更新の人生を歩むべきだった。実につまらないことに時間を浪費してきたように思う。
ただ私の場合、パソコンを始めたのが40歳だったので、パソコンを使いこなせるようになった今こそが、一年更新の人生に入る絶好のチャンスなのかもしれない。
パソコンがあれば、高額な書物を買うことなく、知りたい知識が得られるし、歌いたい曲のカラオケを作成して歌うこともできる。
私は、人前で歌う時が自分にとって最も清らかな時間なので、平常では得られない神との交流ができるし、その幸福感を聞き手に伝えることもできるのである。
パソコンを得て、そういった幸せを得れるようになった。貧乏ではあるが、会社を経営できるのは、ワープロソフトや会計ソフトを使いこなせるようになったからだし、そのことで自由な時間も多く得られるようになったと思う。
会社員だった頃は、休日以外は自分の意志に反した時間を強いられていたわけで、これでは、魂についての学びをしたり、瞑想する時間などどこにもなかったのである。
人生を一年と限定するなら、間違った価値観に騙されることなく、本当に大切なものだけが見えてくるように思う。
それって、素晴らしいことではないだろうか。
だからむずかしい話しも出来るんだね
オイラ、一日更新だからさあ
朝目覚めたら先ず命が与えられた事に感謝・・・夜には一日の反省と、次の日生きていたらこうしないとなって
だから、しろねこさんから観たら進歩が無い男だよ!
別の会員制サイトで、私が最も尊敬している友人も、一日更新だと言っておりました。不自由な体で毎日を全力で生きている…
そのことを思うと、一日更新の視点も大切かもしれないって考えさせられたんです。
来年のことはわからないけど、音楽活動続けていますんで、いつかご一緒できると信じております。よろしくお願いします (=^・^=)ノ