2013年03月24日

太陽よりも大宇宙の方が先に終わるかもしれない

大宇宙を風船に例えて、現在、パンパンに限界まで張りつめた状態だと仮定する。

ちょっと膨張したら、パーンと弾け散ってしまう。

太陽が寿命を迎える前に、それどころか地球の寿命を迎える前に、大宇宙が終わりとなってしまうかもしれないのだ。

イエス・キリストが輪廻転生を問題視しなかったのは、そういう視点があったからかもしれない。

もしかすれば、明日にでも大宇宙が終わりとなってしまうかもしれない。

今度生まれ変わったら… なんて呑気なことを言っていられないのだ。

私たちに与えられている修行の場は、今がラストチャンスかもしれないからだ。

そう書くと、もう頑張る意味がないなんて考えて無気力になる人がいるようである。

しかし、それは見当違いなことと言える。

大宇宙が終わったとしても、3次元世界が役目を終えただけであり、上の次元に到達できた者は命が続くのだ。

この世の修行のメインテーマとは、上の次元に到達できる者となるための修行をすることにある。

しかし、人類は自然を忘れ、神と遠い存在となってしまった。

多分、ギリシャ時代の人々は、私たちより神と親しく交流していたことだろう。

私たちは、金の価値観にまみれ、自然を失っていき、魂がどんどん退化しているのである。

幸い人間は知性が発達している存在なので、気付けた者は、魂の進化にシフトすることができるのである。

平安と調和の次元にアクセスできる魂へと成長できるのである。

posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 15:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「神々の指紋」という本だったと思いますが仮説として今の南極大陸が失われたアトランティスで、突然の自転異常?が元で地球全体の太陽との向きが変わった。と云う考え方を知りました。
それから不変と思っていても実は長い間に様々な事象が変化し続けているという事を意識する様になり、パンドラの箱の{希望}を取り出してしまった私ですが・・・

もっと壮大な起こる話しを気付かせてもらい、一層喜びが増しました!

ちょっと怖い話しなのですが・・最近夢を見て、実は人間の魂は人智の及ばない何ものかによって育てられ{死}を機会に採り上げられてしまう大変貴重な存在だった。という発想を得ました。
それが醜い魂程ご馳走の{悪}と清らかな魂程大切にされる{全}とが待っている場所へ昇って行くんです。

私は最近日々の仕事で疲れまくっていますが、
幸い後悔しないで居られる流れの中で魂が磨かれている気がします。
未来の事は計り知れませんが私はそれで良いんだと思います。
欲が勝つ人はどうぞお先にと言う感じでしょうか

それにこの、人間に与えられた人生は自分にとってはとても奥が深い有意義なものに感じるのです。

そして、先行く人が最後には私の後から着いて来る{道}も、
有るんじゃないかと感じる昨今です。

お互いにそんな存在に成れると良いですね!ヨブ。
Posted by 西川周平 at 2013年03月25日 17:44
西川先輩、コメントさすがです。

今回の記事は、誰も理解できないのでは? と思っていました。
人類滅亡という大げさなものはともかく、人間は死ぬ存在であり、死の意味を考えるというところが重要なのだと思います。

私は、占星術のWヨッド、つまりはヨブに生きているゆえ、苦しい日々が続いています。これまで何度も死に損なっていますし、医師に見放されても回復することもできました。霊界に足を踏み入れたこともあります。私は運命を受け入れているので大丈夫ですが、妻が未来を信じることができずに、かなり苦しんでいます。自分の魂のコントロールができても、家族の魂を救うことのできない歯がゆさを感じています。

真理とは、伝えたい人になかなか伝えられないものですが、苦しみの中、孤独の中で真理とアクセスしている時に幸福感が得られるのです。それゆえ前向きに生きられるのかもしれません。

盛岡の声楽界のボスの助言通りに営業したら、新しいお弟子さんがやってくるようになりました。助言とは、本当にありがたいものです。数年後、きっと大きなプロジェクトに発展していくことでしょう。出会いに感謝!

そして、西川先輩との出会いにも
Posted by 盛岡のしろねこ at 2013年03月26日 09:11
この記事とレコメに対応してきゅ〜ぴ〜qpのブログに記事upしときました。

それと、酷な言い方で申し訳無いのですが・・相手に伝えるには、相手の事を知ろうとするだけでなく周りの人の事も知ろうと耳を傾け、更に人に隠してしている素晴らしい行いを見つけてあげないといけないんじゃないでしょうか

つまり、相手の言葉で話してあげないと、心には入って行きづらいのでは?
Posted by 西川周平 at 2013年03月27日 19:51
西川修平様、コメントありがとうございます。
つまり、言葉のエコーでしょうか。相手の言葉を聞き、相手の言葉のままで返すという…
私は、そこに自分の考え方を入れてしまう癖があり、それが、時々誤解を起こす原因になるようです。
人に隠している素晴らしい行いを見つけるというのは、妻が得意なようです。相手にリラックスさせて、うまくキーワードで質問できるからです。私は、研究心と教育的才能があってもセラピストとしての才能となると大したことありません。妻は、教育的な方面は、現在埋め合わせる努力をしていますが、セラピストとしての才能と芸術的センスには、いつも驚かされます。ただ、不幸な幼少時代の傷があまりに深く、それが弱者の気持ちとアクセスできる武器であり、マイナス思考に陥りやすいという諸刃の剣となっているようです。
長所は短所であり、短所は長所ということでしょうか。
ただ、私はというと、表向きは元気そうに見えますが、ストレスの処理がうまくできずに精神的にかなりまいっていて、体調のすぐれない日々が続いています。
Posted by 盛岡のしろねこ at 2013年03月27日 20:43
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