「僕は何も高い次元になんか行かなくてもいいから、消えてなくなってしまいたいと思う」
と話していた。最近の若い子たちはこのように考えるようである。将来就きたい仕事はと聞くと、
「楽できて、そこそこの収入が得られる職種」
と答えるのである。人のために役に立つ仕事はしたくないのかと聞くと、
「別にそんな気持ちはない」
と答えるのだ。
古くから私たち先祖たちから、子どもたちに天国と地獄の話をして死後の世界をイメージさせようとしてきた知恵がなんとなくわかるような気がした。
地獄があると考えるから、安易に死ねない。頑張って生きなければならないのである。
しかし、地獄という概念は、あまりに宗教的で霊学的でも科学的でもないため、私としてはあまり使いたくないのが本音である。
それにしても、最近の子どもたちは、なぜ向上心に乏しくなったのだろう。
最近の子どもたちは、神を信じなくなっているので、平気で悪いことをするのかというと、そうでもない。
私が子どもの頃の記憶に比べ、かなりおとなしい印象なのである。悪いことをすると、罰を受けるので損だということは理解できるようである。彼らなりの秩序を大切に思う考え方はあるようなのだが、どこか違う感じがする。
悪いことをしても後が面倒だからしない。という考え方なのだ。誰かに憎しみをぶつけるということは良くないことだが、そういったエネルギーすら持っていないのである。
無理せずにそこそこにこなし、なんとかやっていければそれで十分といった感じさえする。決して頑張らないわけではないが、高い目標に向かって頑張るというのはダサいと考えているのだ。
数々の悔しさをばねに頑張ってきた私には、どうも理解できない。これは平和的な考え方というべきなのか?
だから霊学の話をして聞かせても、
「頑張らなければ、そこに到達できないとするなら、高い次元の霊界には、別に行きたいとは思わない」
と考えてしまうようなので、話して聞かせる意味がないのである。彼らの思考回路を変えるは容易ではないと思う。
まあ、7歳までに人格は固まり、型ができるのだと考えられているゆえ、型ができるまでの期間の教育。つまり、幼児教育が最も重要なのかもしれない。
では、どのように教育したら、子どもたちは自然と向上心が持てるようになるのだろう?
そういった点にアンテナを張り、学習活動を進めていきたいと考えている。特にシュタイナー教育の研究を進めていく意義がそこにあると私は感じている。
もし人類が地球外に乗り出したり海底や空中、地底等の現状の生存環境以外のエリアを切り開いたとしたら、
人類の活力が必要になると。
又は戦争や災害や飢饉等の外的圧呂で人口が減らされた時。
世界的にはどうでしょう?確かイスラエル人はとても活力があるとか
日本人は世界のモルモットとしての地位を謳歌し過ぎて腑抜けに成り下がったのですか?
もし、教育で人間形成にチャレンジするなら、
教育と生活の場を吟味しないと中途半端な事に 正ににっぽん的に
生ってしまいますね
しろねこさんの壮大なロマンに是非加担したいなあと今からワクワクです!
まあ、それには私も力を付けねばなりませんが・・・
仮にものすごく知能の発達した宇宙人がいたとして(私はいると考えていますが)地球のどこかに潜んで生き続けているとします。悪条件の中、個体数の極端に少ない彼らが、生命を維持するためにどのように考えているのか。何を秩序を保つ基盤に据えているのか…
これから、テクノロジーの分野はどんどん進化していくことでしょう。頭の柔らかい子どもたちは、すぐに使いこなし適応していくことでしょう。宇宙や海底に住むようにもなるでしょう。その際、同時進行で自然と触れ合う教育プログラムにより、自然の息吹を感じる学習がとても重要なのです。自然を感じれないと、スピリチュアルな能力が開けないからです。
21世紀中には、スピリチュアルな分野が科学的(物理学的に)に次々に真理を導き出し、宗教が役割を終える世紀となることでしょう(宗教を否定しているわけではありません。私はクリスチャンですし…)。同時に、世界から民族意識が薄れていき、ITの発達によりグローバルな交流が当たり前になっていくことでしょう。その、ものすごく発達した世界を生きる者となるために霊学的教育が重要になるものと私は信じています。
音楽はスピリチュアルなもの。特に声楽は全身のチャクラと連動しており、自分のみならず、聴き手にもスピリチュアルな体験を与えることが可能なのです。
共に、霊学を基盤とした教育研究をしていきませんか?