正義と悪が戦っているというより、多くの正義が存在し、正義が正義と戦っている感じがするのだ。
カオスを生き抜いていくには、その正義という名のカードを多く持たなくてはならない。つまりは多くの価値観を学ばなくてはならない。そういう時代なのだ。
もはや一枚だけの正義のカードだけで生きられる時代ではない。もはや世界は、そんな平和な時代ではなくなっているのだ。
そして、二手、三手先を読んで、その場にふさわしいカードを切っていかなくてはならない。
もちろん嫌なカードも切らなくてはならない。一時的に妥協しなくては、そこで終わってしまう。意味のない戦いは避けたいものだ。義を重んじるばかり死んでしまっては意味がない。
というのは、カオスの時代は激しく動くからだ。強い者が強いままではいられないのだ。だから、妥協は負けではない。次のチャンスを待つための時間稼ぎなのだ。
とはいえ、きっと最後に切るカードは、一番素晴らしいカードになるのだと思う。
時が流れ、数々の苦しみを乗り越えながら、すべての人が、その素晴らしいカードに願いを込めるようになっていくのである。そこが重要だと思う。
シュタイナー教育では、自力で解決できる力を身に付けさせていく。何事にも諦めない精神を身に着けさせていくのだ。
そうして築き上げられ、高められた応用力が、学び身に付いた知識と共に、冷静に先を読める力へと繋がっていくことだろう。
この子供たちが、立派にこのカオスを立派に生き抜き、カオスの時代を終わらせてくれることだろう。そして、平和な世界を築いてくれることだろう。
だから、この時代を憂いてはいけない。憂いている暇などない筈なのだ。自分中心のちっぽけなことに一喜一憂してなんていられない。学ぶべきことを学び、良く黙想し、天の声を聞きながら、冷静に判断をしながら生き抜いていかなくてはならない。世界に目を向けてみよう。日本のような平和な状態にあるだろうか。「もはや遊んでなんかいられない」という意味がきっと理解できることだろう。
私は、そんな賢くて強い子供を育てていきたい。もちろん、子供たちに上記のようなことなど直接教える機会は無いかもしれないが、私たちが基盤づくりの教えをしっかりできるのなら、子供たちは、自分の力で、自分の意志で学び、理解し、多くの課題を乗り越えてくれることだろう。
幕末に明治維新を実現するための優れた人材を多く輩出した吉田松陰の松下村塾ではないが、これは私塾だからこそできる方向性なのだと思う。
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