このままでは、日本人の全員が癌になるかもしれない。
また、認知症になる老人の数があまりに多くはないだろうか。
このままでは、日本人の全員が認知症に侵されて死ぬことになるかもしれない。
私が、20代の頃は、こんなではなかったと記憶している。そこまで癌に侵されてはいなかった筈である。
認知症についても、それほど騒がれてはいなかった筈である。
つまり、ここ20〜30年ほどで事態が大きく変わってしまったのである。
若い芸能人が次々に癌になっているニュースに、日本の現状を痛感している。
何が変わったのか、私はその一つにコンビニ依存が強くなったことが大きな変化だと感じている。
コンビニ食品は、見た目がきれいな食品だが、食品添加物が実に多い。
中国製の食品も気になるところだ。他の国の輸入食品も大丈夫だろうか。
スーパーの野菜があまりにきれいすぎる。自然の形ではないような気がする。
自然の失われた食品を摂取することで、生命力(エーテル体)が失われていく。
パソコンやスマートフォンから発せられる電磁波も気になる。
生命力が失われるということは、癌になりやすいということである。
そうなると、夜更かしとか無理をすることは、もはや美徳にはならなくなってくる。
以前は大丈夫であったことも、現在の人にはリスクが大きいといえるからである。
現代人は、自然を取り戻すことをしなくてはいけない。
周に数回、公園に行って木々と触れ合うとか、山の方に足を運んで小川の水に触れ合うとか、湧き水を飲むとか、そんなゆとりが必要なのかもしれない。
ペットに触れ合うことも良いのかもしれない。彼らの波動は自然そのものだからだ。家庭で花を育てるのでも良いのかもしれない。
今のままでは、日本人のすべてが癌になり、仮に長生きしたとしても全員が認知症で死ぬ日という日もそう遠くないのかもしれない。
見えない魔の手が、もうすでに自分の身にも降りかかっていることを、私たちは認識しなくてはならないのである。
私が小3の時、学研の科学の小学生雑誌を見て、何でも原子力に依存する未来に疑問を抱いた。きっと未来は、原子力の公害で大変なことになると予測した。高校生の時、使い捨てライターに疑問を抱き、ビン類がお店でリサイクルされなくなったことに疑問を抱いた。きっと未来は、ゴミの処理と資源の不足で大変なことになると予測した。
人生経験に不足した子供にも予測できたことを、何で大人は予測できなかったのか。多分、予測はできていた筈なのだが、どうしてその予測を無視してしまったのか。
どうやら「コスト主義」にあったように思えるのだ。原発も高出力で低コストだから採用されたと思うのだが、廃棄物の処理問題や廃炉のことを無視して開発が進んでいったのである。
一部の人たちのお金儲けと人類の幸福は、相反するものなのかもしれない。
とはいえ、
二手三手先を読むならば、こういった時代の意味が見えてくる。ただ私の抱いているイメージをここで紹介することはできない。とはいえ、このイメージがあるからこそ、子供たちの教育に熱中できているのかもしれない。
【関連する記事】