とはいえ、今年の元日から教会に通い始めた母にとって、まだ友人が少なかったのだが、母を置いてきて、しかもミサが終わってから長いこと待たせてしまったのだが、一人私が車で迎えに来るのを待っていた母の周りに多くの信者さんが集まってくれて、そのことで母は多くの友人ができたようである。ある意味、母を一人で教会に行かせたことが、祝福になったように感じられた。
そこで今日の聖句は、今日の典礼ではなく、私が20代の頃には全く理解できなかったのだが、昨日、ふと理解できるようになったことについて紹介したいと思う。次の一節である。
その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして洪水が襲ってきて一人残らずさらうまで、何も気づかなかった。人が来る場合も、このようである。その時、畑に二人の男がいれば、一人は連れていかれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人が連れていかれ、もう一人は残される。だから目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰ってこられるのか、あなたがたには分からないからである。(マタイによる福音書 24章36節〜42節)
一昨日、ティアラン著「私は宇宙人」Kindle版(電子書籍)をアマゾンから購入した。ボーっとネットサーフィンしていたら、偶然出会った本である。だから、不思議な出会いだと思えた。
作者によると、地球はすでに5次元に上昇していると言う。しかし、人間は、5次元に対応できていない。そこで、人間たちが消滅してしまわないように、地球はシールド・保護膜のようなものに覆われている状態にあるのだと言う。
しかし、その状態にもタイムリミットがある。ある時点で、人類はアセンションしなくてはならなくなるのだ。聖書で言う「主の日」なのかもしれない。アセンションとは、今の肉体を維持しながら次元上昇することなのだという。
そして、アセンションの日まで時間も残り少ない(2016年にアセンションの時がやってくるという人もいるらしい)。そこで、やれることは一つ。「愛」の度数を高めることなのである。
アセンションするということは、愛の度数の高い者が地球に残り、5次元に対応できない愛の度数の低い者は、3次元惑星に瞬間移動する(地球上から消える)という意味らしい。
作者によると、アセンション後は無駄に死ななくなるので輪廻転生はなくなると言う。つまり輪廻転生があるということを書いてはいる。私は、特別な場合を除いては、輪廻転生とは無意味なものという印象を持っている。決して魂の進化でも何でもない。キリストの言う、過去に生きるのでもなく、先走って未来に生きるのでもなく。今に永遠を感じて生きることが最も大切なことなのではないだろうか。
そして、今に永遠を感じられる魂の方向性により、「愛」の度数を高めることに全力で取り組むことができ、アセンション(主の日)に備えることができるのである。
今年は、騙されたと思ってこのことに全力で取り組んでみたいと思う。もしアセンションが起こらなかったとしても、「愛」の度数を上げることで、より優れた人間になれることだけは確かなので損なことは何もないのである。