2016年01月22日

意識を失った父

朝食時に病院から電話が掛かってきて、母と一緒に病院に駆け付けた。妻は夜勤明けから帰ってきていなかった。

少し待たされて婦長さんから説明があった。昨夜、父が急に意識を失い呼吸困難に陥ったので、酸素マスクを着用するようになる。CT撮影をしてみたが原因が見つからなかった。主治医の説明もあるとのことだったが、外来が終わった12時半にまた来てくださいとのことだった。

母が、腰が痛いということで、妻は夜勤明けで眠いということで、私一人で医者と面談することとなった。30分ほど待たされたが、隣のベッドの奥様と話をすることが出来、父は昨日の午前中までは人と話をすることが出来るほど元気だったことを知る。

13時頃、医師と面談をすることができた。どうやら広範囲の脳梗塞の疑いがあり、片側だけではなく全身にマヒが及んでいて、そのため呼吸も困難になっているのではないかとのことだった。障害が起きた直後のCT撮影には障害の状況が映りにくいが、数日経つとはっきり映り込む場合があるので再度CT撮影を行うという。もし、最悪の場合は、人工呼吸器を用いますか。用いないで自然死を選びますかという質問も出た。また、携帯電話は、常に携帯するようにして欲しいとのことだった。

今日は仕事が休みだったので、来月、父の転院先の病院への書類群をこなそうと思っていたが、そういう状況ではなくなってきた。父の死は思ったより早くやってくるかもしれない。


待ち時間を使って、子供たちへの教育内容の見直しを考えていた。長いことやってきた国語読解力のドリル、友人と一緒に展開してきているシュタイナー教育、クリシュナムルティ教育等… 私は自分の不安を基に新しい教育システムを導入しようとしていた。しかし、浅はかなことと知る。クリシュナムルティは、自己防衛的恐怖を教え込むことは、子供たちを不幸へと導くことになると書いている。

そうなると、明るく、楽しく、元気の良いファンタジーとイマジネーションに溢れた授業を展開するしかない。まず、私の中からネガティブな思いを消し去ることから始めなくてはならない。そうでなければ、そういった授業は展開できないからだ。

子供たちが、日常の中で感じさせられている「できない」という気持ちを忘れ去ってしまうほどに、明るく、楽しく、元気の良く、まるで夢の中にいるような「いい気分」で、「幸せ」な状態にさせてあげられるか。ネガティブな言葉は一切使わない。それだけ考えてやっていこうということで方針が固まった。


ほとんど動かなくなった父の横で、そんなことを考えていたが、方針が固まったと同時に主治医の先生が私を呼びに病室に入って来たのである。





posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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