2007年06月09日

気分次第の生き方?

信仰が無いと、気分が良いから親切にし、気に食わないから相手を責めるとなってしまいます。

人を愛するにしても、愛したい気分だから愛するとでもいうのでしょうか。

しかし、信仰者は愛が尊いから愛すると考えます。

このように、信仰の無いということは、気分に支配されやすく、その時の気分でぐらぐら揺れ動いてしまいます。

また、気分で生きていると、人によっては「殺してやりたい」という感情を抑えることができなくなるかもしれません。

信仰者は、どんなに「殺してやりたい」という感情に襲われても、信仰ゆえに決して人を殺すことを選びません。自分を律する(善悪を判断できる)心が形成されているからです。

ここでは、あくまで心理学的な意味で考えているので、全く宗教を問いません。道徳心も宗教と同じように働く可能性はあると考えています。また、上記の「信仰」を「信念」に、「信仰者」を「自分の哲学を持っている者」に変えても良いと思います。

大切な事は、そういった自分を律する(善悪を判断できる)基盤を持っているのか、いないのかということにあります。

欧米では、信仰を重要視していますが、わが国では軽視される傾向があります。

敗戦国だからなのでしょうか。天皇陛下が人間宣言されたからなのでしょうか。終戦後の悲惨な状態か ら立ち直るために必死過ぎて置き忘れてしまったものなのでしょうか。それとも、単に科学の進歩がもたらしたものなのでしょうか…

信仰という言葉を使うと議論が分かれてしまう点ではありますが、「気分次第の生き方」より、「善悪を判断できる生き方」の方が優れていると、誰もが思っているのではないでしょうか。

最近のわが国において、「気分次第の生き方」をしている人が増えてきているように思いませんか。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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