2007年06月11日

アーティスト

妻は、時々、人を殺したい心境になると言います。

私は、その気持ちを直させようとは考えていません。

そういう気持ちを「芸術」に向ける時、素晴しい作品を生み出す力になると思うからです。妻は、私以上に芸術的センスを持っていると感じています。

私は、ベルディやプッチーニのオペラが好きです。そこで描かれている世界はどろどろした悲劇です。

悲劇でなければ、あのアクロバットなオペラ・アリアの表現など出てこないことでしょう。平和なドラマでは、あり得ません。

詩、小説、戯曲、美術、舞踊、ロック・ミュージック、恋愛?…

アートとは、苦悩の表現ではないでしょうか。

ベートーヴェンもショパンも深い苦悩が音楽として表現されていると感じます。

生まれた境遇への不満、社会への不満、怨み、呪い…

そういった抑圧された気持ちこそ芸術の種といえるように思います。

「苦悩とは、アートなのだ。」

私は、苦悩から逃れることを文章で書いてきました。より良い自分になろう。できた人間になろう…

しかし、苦悩を表現する術を得られるのなら、苦悩は否定どころか肯定されてしまうのです。より良い自分を目指す必要も、できた人間になる必要すらありません。

聖者のように美しい生き方をするも、芸術家のように変人的な生き方をするも、その人の本音から出るものなら否定できないことだと思います。いずれにせよ、「情熱」のある生き方って素敵だと思います。

自分のパーソナリティ(性格)に失望することをしないで、「情熱」を持って打ち込めるものを見つけてみませんか?

無理をして自分を変えるのではなく、今の自分を表現できる「情熱」を心に持ちたいものだと、私は思います。

さて、妻のことですが、危険を感じさせられることはありますが、「打ち込むものさえあればだいじょうぶ」だと考えています。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 11:34| Comment(4) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
きょうは、どろどろしたかも。
さてここで人間が苦悩するつもりだった。
Posted by BlogPetのコロ at 2007年06月11日 13:44
しろねこさんこんばんわ。この記事をみて心が救われました。ありがとうございます。自分の感情を絵の中の愛しい人に思い切りぶつけて、はては死にいたらしめるのが、自分で表現していて、罪悪感にかられることがあるんです。私には才能があるわけではありません。でも「痛み」をどこにぶつけたらいいかわからず、「腕」から絵のなかの人物となりました。昨日腕をきって、家族に見つかって、顔をあわせずらいのですが、しろねこさんの記事に本当に救われました。本当にありがとうございました。
Posted by ちゃこ at 2007年06月11日 21:18
ちゃこさん、一日遅れのこんにちは m(__)m
絵に心の痛みを投影するのは、良い方法なのだと思います。だから、最近、自分の好みだけで絵を見たり評価したりすることはなりました。少し、芸術の見方が大人になったような気がします。

ある人が、お母さんを心から憎み、一生憎んでやると思ったそうです。しかし、そのお母さんがある日突然亡くなりました。次に、交通事故で酷い大怪我を負わせられ、相手を一生憎んでやると思ったそうです。しかし、ある日突然、恋に恵まれ結婚をし、生まれてきた子供を見た時に、この子を一生愛そうと思った時、憎む気持ちが薄れていったとのことです。
お母さんを一生憎む筈が、いつの間に、どんどん変わっていったのでした。

仏教には、「無常」という言葉があります。平家の栄華も、いつかは滅びへと変わりました。時代の権力者もどんどん変わっていきました。どんなことも、いつまでも同じということはありえないのです。どんなことも通り過ぎてしまい、別のものに変わっていくのです。聖書には、その時、その時に意味があると書かれています。

ちゃこさんの苦しみもきっと変わっていくことでしょう。
今のままということはあり得ないのですから (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2007年06月12日 11:16
BlogPetのコロちゃん、こめんとありがとう
昨日は、その通りでしたね。
今日は、これから大忙しです (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2007年06月12日 11:17
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