2007年06月15日

奇跡

これから私が伝えたいことは、失った腕が生えてくるような奇跡を言っているのではありません。

たとえ片腕を失ったとしても、メジャーリーグの投手になれる。たとえ両足を失っても、義足でフルマラソンを走れる。といった奇跡です。

あるいは、HIVに感染したとしても、明るく人を励ます生き方をすることで、免疫が賦活され、エイズが発病することなく、幸せな生涯を終える人もいるかもしれません。

このような奇跡は、テレビ等を通して、知っている方が多いのではないでしょうか。

奇跡といっても、科学に反するようなことではありません。

ここでいう奇跡とは、もちろん本人の猛烈な努力の賜物とはいえますが、それ以上に、その人を支えるサポータの存在が重要です。一人孤独の中での努力では、そういった奇跡を起こすことは困難といえるでしょう。励まし合う輪の中で起りうる「愛の奇跡」なのです。

私は、実際に重い障害を克服した経験があります。やはり、両親、学校の先生、クラスメート、そしてクラブの厳しい先輩に恵まれ、猛烈な努力をすることができました。障害を克服するって、ちょっとやそっとの努力ではダメなんです。だから、サポーターの励ましの力が必要なんです。

メジャーリーグが何だ。フルマラソンに何の価値がある。長生きすることに意味があるのか。

そう言われてしまうと返す言葉はありません。そう考える人に、自分の価値観を押し付けるわけにもいきません。

ただ、私は誰かを応援するサポーターでありたいし、そういうサポーターが増えていくなら、きっと素晴らしい社会になっていくのだという信念を持っています。

私は、夢に生きたい人、希望を持ちたい人を応援していきたいです。


posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 19:51| Comment(9) | TrackBack(0) | 心と体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。
素敵な記事ですね。
しろねこさんの書かれているのは、一例だと思います。主旨は、よくわかったつもりです。

そうですよね。「奇跡」というか、「可能性」というものは、計り知れないとおもいます。
今の私には、壮大な夢物語は描けません。しかし、ささやかでも、ほんのささやかではあるけれども、夢があります。

それは、「病気が治り、痛みやさまざまな不快な症状・障害から解放される」こと。当たり前すぎるほどで、陳腐だと言われそうです。しかし、そのあまりにもささやかなことが、叶えられず、何年も患っています。

人間が病気の本質をつかもうとする自体が、どだい無理なことなのかもしれません。病態の本質、治療法がよく解らない中でも、治る事への希望を捨てずに生きていきたいです。


Posted by TOM at 2007年06月15日 23:52
こんばんわ。会社の飲み会から、温かい気持ちで帰ってきたところです。今の会社のかたがたはとても優しく、暖かい人たちで、「大丈夫だよ、自信をもって」そんな言葉や、段差が見えない私に差し伸べてくれる暖かい手に支えられ、やっと元気になりました。今日は久々にニコニコしながら一日を終えられそうな気がします。
私の障害はなおりません、でも障害を持ったからこそ味わえるありがたみを、今日あらためて感じたような気がします。心の病気もきっと「此処」で治していくんだとおもいます。
Posted by ちゃこ at 2007年06月16日 00:37
人は、一人でできることは本当に限られていると思います。与えられた才能、賜物はあるでしょう。しかし、それも周りのサポートがあってこそ、活かされる。

この世の中を生きていくこと自体、誰かの助けなしにはできないことなのだから。

当たり前ではなく、周りの人たちに、そして神様に、感謝して歩んでいきたいし、また他の誰かを、助けていける存在でありたいものですよね。
とても、心が温かくなりました。ありがとうございます。
Posted by マナ at 2007年06月16日 06:12
TOMさん、コメントありがとうございます。
実は、昨日、末期癌の方のお宅に招かれて遊びに行きました。何と、旦那さんの癌が引いて、消えかかっているとのことでした。一度は、「手を引かせてください」と彼を見放したお医者様も、自信を持たれたようです。奥様も癌なのですが、病状が安定しているとのことでした。お二人は、夫婦宣教師です。

また、そこに集まったクリスチャンのお一人の方も奇跡的体験の持ち主でした。彼は、モーゼのように、人が誰もいないところで祈ろうと、導かれるがままに車を走らせ山に登り、そこで喉が壊れるばかりに神に叫び声をあげたのだそうです。「神よ、まことに勝手ながら、どうぞ私の願いを聞き入れてください…」

祈りとは、語源的に「呻く」とか「叫ぶ」という意味なのだそうです。

そういう者の声を神は、必ず聞き入れてくれます。まず、全身全霊を込めて神に向かって叫ぶことから始まるのだと思います。そして、どんなに状況が悪化しようとも神を疑わず、信じ切り、信仰ゆえに弱音を吐かない。

どんなに医者から見放されようと、神との関係を密にしていくのなら、必ず良くなるとしろねこは信じております (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2007年06月17日 14:35
TOMさん、科学を逸脱したコメントになったかもしれません m(__)m
でも、そこにしろねこの本音の部分があります。
Posted by 盛岡のしろねこ at 2007年06月17日 14:38
ちゃこさん、コメントありがとう
読んでとても安心しました。ちゃこさんは、きっと職場の人の優しさを引き出す役割があるのだと思います。そのことが、他の人にどんどん感染していって、さらに良い職場となっていくことでしょう。素晴らしいことだとは思いませんか?

障害は、神様と交流するための素晴らしい恵みです。

そのことに気がついた時、本当のキリスト者になれるのだと思います (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2007年06月17日 14:43
マナさん、コメントありがとう
しろねこは、介護のお仕事をされているマナさんを心より尊敬しております。
そのお仕事に、神様の大いなる祝福がありますことを祈らせてください。
そして、マナさんのご家庭にも神様の愛が豊かに満たされますように (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2007年06月17日 14:45
しろねこさん、こんばんは。
コメント拝見しました。
私は、今、体の表面が皮下出血(?)をしているのか、あざのようなものが時間とともに広がっているようで、ちょっとこわいのです。
もしかしたら、体の内部の組織にも、このような出血(例えば、脳出血など・・)がなければ良いと思っています。
もちろん。ぶつけた等の記憶はなく、もしかしたら、現在行っている血管拡張の治療のことがあるのではないか・・・と心配になっているんです。
「もし、急に出血が拡大して、突然命が消えたら、どうしようか」とひそかにおののいています。
すみません、暗くてm(_ _)m。
今度の診察日まで様子を見るしかないのかなぁ・・・。
Posted by TOM at 2007年06月17日 17:46
何が何でも頑張れ!
と、自分にも言い聞かせております (=^・^=)ノ
Posted by 盛岡のしろねこ at 2007年06月18日 08:01
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