2014年04月22日

歌の本番

一昨日の20日(日) カトリック四ツ家教会のイースターミサとイースター祝賀会に出席しました。

ミサの後、地下ホールでイースター祝賀会がありましたが、私は余興で声楽を披露しました。

歌った曲は、ベッリーニ作曲の「優雅な月よ」と、ジョルダーニ作曲の「カロ・ミオ・ベン」です。

先週の土曜日に母が自宅の台所で転んで腰の骨を折ってから、入院と介護の件で妻と走り回っていました。さらに、父の認知症の件で、病院での精密検査があったため、歌の練習をする時間を全く作ることができませんでした。

「優雅な月よ」は、思ったように歌えたような気がします。「カロ・ミオ・ベン」は、声量をアップしたもののブレスの計算をミスって、変なところでブレスをしたり、ブレスを取り忘れたりとミスを連発しましたが、のびのびと歌うことができたので、結果はそんなに悪くないと感じられました。

半分以上の人は、私の歌を楽しんでくださっていた感じでしたが、おしゃべりに花が咲いている人も多く、うるさい物音の中で歌わなくてはなりませんでした。

今回は、ピアニストが手を怪我をしたとのことで、伴奏の簡単な曲と言うことで、ピアニストから優雅な月よの楽譜をいただきました。実は、私は一度も歌ったことのない曲で、もちろん人前で歌ったこともありません。学生時代、試験等でよく耳にした曲なので、すぐにニュアンスが掴めました。ただ、楽譜通りに歌っては、この切ない歌詞が生きてこないので、曲作りに少々こだわってみたのですが、完成できぬまま母の怪我の件となってしまいました。

なので、本番は、ほぼアドリブで、伴奏から感じられるニュアンスを大切に歌いました。多くの人から祝福のお声をいただくことができました。次回は、6月7日(土曜日)盛岡芸術祭の本番です。

20日の本番の音源をアップしましたので、興味のある人は聴いてみてください。








最近、シュタイナーの学習が楽しくなりました。最近の内容では、エーテル体とアストラル体の役割と、それぞれを良い方向性へと変化させる方法について学んでいます。秘儀参入という言葉が頻繁に出てくるようになりました。神秘学を極めることとは、スピリチュアリストになることなのかもしれません。スピリチュアリストになるということは、さらに高い次元の霊界へと参入できることであり、自然の法則が求めているものだと思うのです。

前回、

だから、「どうか私に恵みをください」と熱心に祈ったとしても意味がないのである。
自然の法則には、特別扱いということは一切ないからだ。
ただひたすら法則に従っているだけなのだ。

と、書いた部分なのですが、その後に「わからない」という方向性がとても強まってしまったので、「保留」にしたいと思うのです。

自然の法則とは、そんなに単純明快なものではなく、とても複雑で、霊界の存在者たちとの交流や、それを妨げようとする悪霊の力といった問題もあるからです。

シュタイナーの読書は、単なる読書ではなく、実験的な要素もあり、それゆえ解読にとても時間が掛かります。とはいえ、その作業に生き甲斐というか、使命を感じているのです。

posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 09:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月31日

あきらめないこと

長年声楽をやってきて学んだこととは、

「あきらめないこと」

に尽きるように思います。

私の場合、声帯のコンディションに恵まれている時とそうでない時とが半々ぐらいなので、

本番の半分は、声帯の不調と戦って歌っているわけです。

ところが不思議なもので、不調の時に限って、二度と歌えないような奇跡的な演奏ができたりするのです。

私は本番に強い方ですが、演奏の半分は苦しみながら、戦いながら歌っていたように思います。

そこで私が貫いてきたことは、

「あきらめないこと」

です。

今日はイースターだったので、ミサの後で、イースター祝賀会が催され、余興で私が歌うこととなりました。

それが、声帯が合わさらない感じで声がかすれて全く出ないのです。これまでで一番のスランプだったかもしれません。

人と話しても、声が小さくて聞こえないと言われる始末。でも、そんなに動揺はしませんでした。

とにかく本番は、あきらめずに200%の力で歌いました。

電気ピアノの鍵盤が不具合を起こしているとのことで、伴奏者の伴奏も、練習の時のテンポよりかなり遅かったため、カンニング・ブレスを多くしないと歌えない状態になりました。

伴奏者にとっても私にとっても、練習でのクオリティーに比べて、かなり不本意な演奏とはなりましたが、私はそんなに落ち込んではいません。

それは、

今日もあきらめずに歌えたからです。

今日の酷いコンディションを考えると、今後、今日より悪い演奏をすることはないと思いました。

今日のことを考えれば、どんな酷いコンディションでもキャンセルすることなくチャレンジできると思うからです。

それでも、今日の演奏で感動してくださったお客様が何人かいました。

これが本番演奏の魅力でもあります。


リヒャルト・シュトラウス 「万霊節」「献呈」



さて、「あきらめないこと」とは、私たちがこの世を生きるテーマともいえるのではないかと思うのです。

人が死んだ時、まずは恨み言を捨て去らなければなりません。でないと、浮遊霊や地縛霊になってしまうからです。

それだけでなく、神の世界へ到達するには、自分がこれまでに血を流すような思いをして得た知識や悟りをも捨て去らなければなりません。

そう話すと、「捨てる位なら頑張る必要などないのでは」と言う人がいます。

でも、それは違います。捨て去った後の魂の輝きが重要だからです。

あきらめないで頑張った人の魂は輝いていますが、あきらめてしまった人の魂は輝きません。

そして、最も大きなあきらめは自殺なのだと思います。

人は魂を磨くために、この世に存在するのだと思います。

野球やサッカーの試合を見ていても、諦めないプレーは、見る者に感動を与えてくれます。

諦めないプレーは、時に素晴らしい奇跡を起こすからです。先日行われたWBCの日本対台湾戦のように、勝ち負けを超えた素晴らしい試合に出会うと本当に興奮します。

選手たちは、奇跡の体験を重ねながら、たくましい精神が養われていくのだと思います。

私はスポーツ選手ではありませんが、スポーツ選手のように「あきらめないこと」を実践する者でありたいです。

そして、出会う人たちと、奇跡体験を分かち合いたいと思います。

posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 17:58| Comment(4) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月03日

スーちゃん、今年も復活

北日本大震災の被害者に心を向けたメッセージを最後に、2011年4月21日にがんで亡くなられてた、伝説のアイドルグループ、キャンディーズのスーちゃんこと田中好子さん。

2011年3月29日の映像では、呼吸困難の状態にも関わらず、被災地に心を寄せてくださり、「私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもそのときは、必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の勤めと思っています。」と話され、テレビ越しに多くの人に感動を与えてくれました。

私は、昨年の第40回盛岡芸術祭声楽部門演奏会に引き続き、今年も募金箱と当日の受付係が担当でした。

今年も、私の書道塾に通う、滝沢村立鵜飼小学校の児童たちと、盛岡市立高松小学校の児童たちに、募金箱にキャンディーズを描いてもらいました。また、復興をテーマとする絵を描いてもらいました。

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そして、昨日6月2日(土)、「東日本大震災復興支援 第41回盛岡芸術祭声楽部門演奏会 新しい息吹とともに(その22)」 場所:盛岡市民文化ホール小ホール 開演:13時30分 本番の日がやってきました。

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お客様の入りは174名と少なかったものの、募金の方は40,037円とたくさん集まりました。スーちゃんこと田中好子さんには、今年も、子どもたちによる募金箱を通して天国から活躍していただきました。これは、岩手日報社を通して、被災地に届けられます。

盛岡市民文化ホール小ホールは、パイプオルガンが設置されている、クラシック専用ホールで、残響が長めなので頑張らなくても十分に声が響きます。前半の方々は、歌声もピアノ伴奏も音量が大きすぎてバランスに欠いていたのですが、第二部あたりから、落ち着いた演奏になってきたように思いました。このホールは、歌声もピアノ伴奏もセーブすることが重要なようです。

今年も会場の受付係だったので、会場で聴くことはできませんでしたが、会場と変わりないような音量でロビーのモニターから演奏が流れていたので十分楽しめました。

特に印象に残ったのは、まず1曲目は、第二部(一般の部)の先頭バッターの穂積佳穂子さん(メゾソプラノ)によるカッチーニ作曲「Amarilli」、スカルラッティ作曲「Sento nel core」でした。Sento nel coreは、イタリア歌曲の中でも入門者によって歌われることが多いので、下手な演奏のイメージしかなく、大人の雰囲気でしっかりと歌われると、今までのイメージが払拭される新鮮な演奏に感動しました。

もう一つの感動は、トリを歌われた千田敬之さん(バスバリトン)によるメンデルスゾーン作曲「オラトリオ〈エリア〉作品70より 主よ足れり」、ワーグナー作曲「歌劇〈タンホイザー〉より 夕星の歌」でした。なんとも男性的でカッコいいお声で、ものすごく二枚目なお声だと思いました。ピアノ伴奏は奥様なそうです。何で彼は盛岡にいるのだろうか。海外で活躍していてもおかしくない方だと思いました。帰りに募金箱に募金をしてくださった方も多かったので、彼の歌の効果はあったと思いました。

もし来年の盛岡芸術祭で私が歌うとすれば、第二部の2番手位がちょうどいいかな。千田敬之さんのような方に歌われてしまうと、トリなど、まだまだ全くもって無理だと思いました。歌いたい曲は、ラテン語の曲2曲。フランクの天使のパン、ビゼーの神の子羊と、高橋洋子先生の詩によるシューベルトのアヴェ・マリアの3曲はどうかなと考えているところです。

今年の秋、敬老の日のミサの後で、地下ホールにて(カトリック四ツ家教会)、美空ひばりの演目によるミニコンサートを行うオファーがあります。書道の臨書ではありませんが、こういった素晴らしい歌い手の演奏を真似て歌うことはとても勉強になるので、楽しみにしています。

書道の方では最近、王義之とチョ遂良の臨書にはまっています。石碑通りオリジナルに忠実に書くことで、こういった書聖たちの世界に引き込まれていくのです。そこでの発見が、創作活動になくてなならない材料となるのです。



簡単で還元率が高いポイントサイト / ポイントモンキー
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月09日

イースター

死んでも生きる。

私たちは、元気な時には、神を感じることが出来ない。

しかし、

苦しむ時、悲しむ時、悩む時、迷っている時、不安な時、

行き先のない、やる気の持てない、喜びの持てない、

そんな時こそ、「神に支えられている」体験が持てるのだ。

墓に落ち込んでいる状態の時、

「墓に留まっていてはいけない。生きるために、墓から出てきなさい。」

そう神から呼ばれているのだ。

神を信頼して歩き出そう。神と共に生きていこう。

洗礼を受ける時、キリスト者は、

「あらゆる罪を退けます」

と誓う。

「キリストの教えと愛を信じます」

と誓う。

しかし、いつの間にか、その誓いも色あせ、心の清さを保てなくなる。

イースターは、初心に戻り、求道者に戻り、

「誓いを更新する日」でもある。

キリストだけがパン種とするため、パン種の入らない、純粋な真実なパン(ご聖体)で、イースターを祝うのです。古いパン種(邪悪な心)を取り除く意味でもある。

イースターとは清めの日なのである。



イースターミサの後、地下ホールでイースター祝賀会が行われましたが、私は、頼まれていた独唱をしました。練習が不十分で、伴奏と歌がかみ合っていないのが残念でしたが、全力で歌ったので、感動してくださった方が多かったようでした。ろくに練習もしていないのに、本番では随分攻めた歌い方をしたものです。聴き手に専門家がいなかったのが救いでした。

Ave Maria  G.Caccini

http://shironeko-cafe.seesaa.net/article/263319015.html#comment

Panis Angelicus  C.Franck

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2011年06月05日

スーちゃん復活

昨日は、「東日本大震災復興支援 第40回盛岡芸術祭声楽部門演奏会」に裏方として参加しました。来年は独唱の方で参加する予定ですが、今年は裏方ゆえの幸せを味わうことができました。

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私の担当は、募金係で、募金箱を2つ作成しました。

私の経営している書道塾の滝沢教室の幼児と小学生、盛岡教室の小学生に描いてもらった絵を生かして作成した募金箱です。

正面のキャンディーズの絵は、滝沢教室の3年生の仲良し2人組に描いてもらったのですが、インターネットのYouTubeからダウンロードしたキャンディーズの動画と、スーちゃんの告別式でのスーちゃんの最後の肉声が流された動画を見てもらいました。

子どもたちにとってキャンディーズは、AKB48と似ているアイドルと捉えてくれたようで、すぐにいっしょに踊っていました。スーちゃんの最後の肉声を聴きながら涙を流していました。その後で、絵を描いてもらったわけです。

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表面と上部の小さな絵と、側面と裏面の絵は、集ってくれた幼児と小学生に描いてもらいました。友だちが友だちを呼んで集ってくれて、一生懸命描いてくれました。

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演奏会では190人のお客様が集ったのですが、8万円を超える募金が集りました。大人は千円札で入れてくださった方が多く、小さな子どもも、小さな手で小銭を入れてくれました。

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今回の演奏会では、小中学生も参加したことで、家族連れで来てくださったお客も目立ちました。高校生以上となると、家族より、お友だちとなるようです。家族ぐるみで応援するということは、素晴しいことなので、小中学生の参加も悪くないと思いました。演奏内容のクオリティーも大事かもしれませんが、お客様あってこその演奏会です。不来方高校の2名の高校生は、今こんなに上手くて、将来どうなるのだろうという思うような演奏でした(聴いていて、ちょっぴり凹みました)。

私が大ファンでもあり、大トリで歌われた丸岡千奈美先生の歌唱は、さすが岩手の歌姫というもので、無料のコンサートとは思えないような素晴しい感動で包まれました。帰りに「感動した。タダで申し訳ない。」と話してくださったご年配のお客様が何人かおりました。そう思うなら、募金して欲しかったのですが…

岩手声楽研究会の重鎮的な先生が、今年の音楽会でこの募金箱を使うのだと、子どもたちの作った募金箱を大事そうに持って帰りました。

ということは、スーちゃんの描かれた募金箱は、今年一年活躍するということでもあります。

彼女が、自分が病気に負けても東日本大震災で被災された方、これまで支えて下さった皆様に、社会に、少しでも恩返しできるように復活したいと話していたことは、盛岡では現実のものとなりました。宮城でも、福島でも、日本全国で復活して欲しいです。

彼女の遺志にわずかながらでも協力できて、とても幸せに思います。


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2011年04月25日

聖なる都

昨日、私が通っているカトリック教会のイースター・ミサの後の祝賀会で、教会役員の方から依頼されていた歌のコーナーで歌う責任をどうにか果たすことができました。

その日は、とても体調が悪く、帯状疱疹の回復間もなく、練習もほとんどできない状態でしたが、神様の愛が強く感じられて不思議に頑張ることができました。録音を聴き返してみると、反省点ばかり目立つのですが、現場においてお客様を喜ばせたという意味では大成功だったと思います。歌声より、全身を使っての表現が功を奏した感じもします。

1曲目 「聖なる都」 作曲:S.アダムス 歌詞:宮川喬
2曲目 「アヴェ・マリア」 作曲:F.P.シューベルト 歌詞:高橋洋子
3曲目 「オンブラ・マイ・フ(ラルゴ)」 作曲:G.H.ヘンデル 歌詞:イタリア語
4曲目 「アヴェ・マリア」 作曲:F.P.シューベルト 歌詞:ラテン語

録音は、1曲目〜3曲目ですが、お客様からせがまれて、もう1曲歌いました。仙台教区から来ていたお客様に、この曲(ラテン語のアヴェ・マリア)と仙台教区の神父様との係わりをお話したところ感動が深めてくださったようでした。

2曲目で完全にエネルギーを使い切ってしまい、3曲目で、さらに絞り出してしまったことから、4曲目では、10曲分の頑張りが必要でした。多分、聴いている方には、そんなことなど分からないのでしょう。

とはいえ、感動的で思い出深いひと時でした。


4月24日の演奏

http://shironeko-cafe.seesaa.net/article/197636342.html#comment
※再生できない場合は、mp3ファイルをダウンロードすることで聴くことができます。


ラテン語のアヴェ・マリア
http://shironeko-cafe.seesaa.net/article/27049082.html#comment



posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 09:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月10日

やはり頑張れない

今日の午前中、突然、心臓に近い背中に激痛が走り、1時間ほど動けなくなる。

以前に車にはねられた時に、全身打撲で体が動かなくなったけど、その時の状態に近い。

苦しいけど、病院には行くお金が無い。頑張ることができないことも辛い。

posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月27日

神の意に反していない歌手〜心臓(心)を鍛えよう

前の記事でブログの記事をお休みする予定でしたが、今日の記事でお休みすることにします。

昨夜、母からの依頼があって、86歳になるおばあさんで、元盛岡白百合学園高等学校の体育の先生をしたという方のご自宅に遊びに行きました。

この先生は、86歳とは思えないほど、声が大きく元気な方で、母から見ても9歳年上で、共に人生の大先輩といえます。

しかも、表裏の全くない方で、愛情込めて叱ってくれるので、私たちを良い方向へとぐいぐい引っ張ってくださいます。

母には、そういった期待があったのかもしれません。

先生は、3時間以上にも渡り、私たち親子の問題に付き合ってくださいました。

そして、愛情を持って、容赦なく激を飛ばしてくださいました。

前回の記事の内容にも触れました。すると、先生は、

「あんた、思い上がるのもほどほどにしなさい。あんたの歌のくらい、多くの人に支えられてきた人はいないのだよ。胸に手を当てて考えてごらんなさい。そして、あんたの歌は確かに神様に守られていると感じるけど、あんたが言うように神の意ではないなんて考えるのは思い違いだと思うな。何でもわかった気になるのはどうかと思うよ。そして何より、病気になっているとは何ごとですか。しっかりしなさい。」

母も、そんな感じで激を飛ばされていました。

母も私も心臓に関する病気に苦しんでいます。

数日前、妻が興味深い冊子の論文を私に見せてくれました。それは、「人間は、脳ではなく、心臓で考える」というものでした。

これからの時代は、脳外科よりも、心臓外科が最先端の医学になっていくだろうという内容のものでした。そういえば、以前テレビで、心臓移植をしたら、人格が変わってしまったという衝撃の映像を見たことがありました。移植後に、食べ物の好みも、そして趣味までも変わってしまったからです。

確かに、心にダメージを受けたりすると、胸が痛くなったりしますし、心臓で物を考えるというのは、自分にでも思い当たる節はあります。

そのことについても、先生と話し合いました。すると、先生は、

「そうだ、あんたたち、毎日運動して心臓を鍛えなさい。そういう面を怠けているから、お互いに理解し合えない、悪い考え方に陥りやすくなっているんだよ。」

そういって、先生は、効果的な室内運動についてご指導してくださいました。

ということで、私たち親子は、今日から、心臓を鍛え、心を良い方向へと進化させる生き方をすることを誓わせられました。

そのことを何より優先して実践しなくてはいけません。

しばらくは、頭で考えて?自滅的な方向に向かうのではなく、体を鍛え、真に心を鍛えることをしなくてはなりません。

これまで私がブログで自論を公開してきた内容についても、心臓が強くなることで、さらなる進化発展に繋がるように思えてきました。

ですから、そのことを実践することで効果が見えてきたなら、記事に書いて皆さんにご報告したいと思います。





実際に心臓移植をしている人や、これから心臓移植を受ける人に誤解を与えてはいけないので、一言、付け加えておきたいと思います。
私は、10歳の時に大手術を3度しており、その際、自分の血がすべて入れ替わるほどの輸血をしました。
それまで、引っ込みじあんで内気な性格だったのが、術後は積極的な性格へと変わり、そのこともあって障害を乗り越えることができました。それは、術前の自分の性格では、乗り越えられなかったかもしれないほど厳しいものでした。
決して手術の前の自分がいなくなったわけではなく、術前から際立っていた芸術的なセンスは、そのまま生き続けているように思います。新しい能力が加わったという感じがしてなりません。
きっとこのことも神の導きであり祝福なのだと信じています。 [2010.1.8]






しろねこの演奏録音 「千の風になって」
2008.10.12 滝沢村ふるさと交流館 大ホール Piano Mini Concert より




しろねこのお勧めCD

それは時にあなたを励まし、時に支えとなるもの

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  • 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
  • 発売日: 2005/12/07
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あうん

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  • 出版社/メーカー: プライザー
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残酷な天使のテーゼ 2009 VERSION

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  • 出版社/メーカー: キングレコード
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高橋洋子 - 残酷な天使のテーゼ Live






Tamashii no Rufuran Live - Subs. Español






久保田利伸 夏の子午線 FUNKIN' ON NEPTUNE TOURA
(もしかして、ファンキー・ジャム・オールスターズ?)

posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 07:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月25日

神の意に反する歌手?

どうやら私は、神の意に反する歌手なようです。

どういうことなのかと言うと、

私が歌を歌うことは、神が望んでいることとはちょっと違っているようなのです。

なのに、ここ数年、私の歌手活動は、不思議とすべて成功しています。

そして、その演奏のすべてが神頼みであったことも事実です。本番は、堂々と歌っているように見えるかもしれませんが、いつも本番直前まで、自信が持てずに苦しんできました。

もしかすると、神が助けてくれる演奏ゆえに、私の演奏に神の光が感じらる人がいるのかもしれません。

私の歌は、神の意ではないゆえ、私は歌を歌うことで生活はできません。ありがたいことに、私の実力を超えるような額のおひねりをくださる方がいらっしゃるも事実です。だからといって、歌うことで生活することなどとうてい無理な話です。どうして、生活に繋がらないかというと、私の営業力に問題があるのではなく、神の意ではないからなのです。

それに私は、ファンの方々が思っているほどの実力がありません。練習ではまるでダメなのに、なぜか本番では上手くいっている感じがします。

楽譜を読むのはかなりの苦手なのですが、伴奏が流れていれば、たいていの曲は霊感だけで歌うことができます。実は、そこにも神頼みが働いているのです。なので、楽譜だけ渡されて歌えと言われると、小学生でも歌えるような簡単な楽譜でも歌えないのが、私の本当の実力です。最近は、パソコンに楽譜を入力すると自動演奏してくれるソフトを使用しているので、いかなる新曲でも歌うことは可能になってきています。私の場合、練習にピアノではなくてパソコンを使うことの方が多い感じがします。

音楽はスピリチュアルなものですから、実力があるからといって、多くの人に好まれるというものでもないようです。なので、私のような実力の無い者でも、スピリチュアルなセンスさえあれば、人前でそれなりに演奏できるというのも、音楽の魅力といえるのかもしれません。

では、どうして、演奏が成功してしまうのかというと、どうやら、神様が、私の意に合わせて応援してくれているからということに、ふと気が付くことができました。


「こんなに応援しているのだから、私の望み(神の意)の方も忘れずに頑張ってくれ。」


そんな期待が込められているように感じられてなりません。

今年は、一昨年、去年に比べると、ほとんど演奏をしなかったことになります。それは、2月に母が心臓の手術のために入院し、母の書道塾の代役をしなくてはならならなかったこと、私のアイディア教育が良い結果を出すようになったものの、母と確執がどんどん深まっていき、そのストレスから、今度は私が過呼吸症候群と狭心症となり、歌うことができないような状態になっていきました。

その母との確執の問題も、ようやく終わりが見えてきました。お互いに死ぬほどに苦しまないと気づき合えない深い根の存在に、お互いに気づくことができたからです。今年は、とても苦しい一年だったけれど、人生において最も成長できた一年であったようにも思います。

昨日のクリスマス祝賀会での演奏は、奇跡的に成功できたものの、その前日の老人ホームでのクリスマスキャロルの方は、過呼吸症候群の発作が起ったためにキャンセルしなくてはなりませんでした。その約一週間前は、心臓発作が起り、病院でニトロールを処方され、薬を常に携帯するようになりました。年が明けたら、何より健康回復に全力を尽くさなくてはなりません。何事も、健康あってこそなのだと痛切に感じています。

私の意とは、子どもたちに教える教師です。上からの指示に従う公務員的な教師ではなくて、研究テーマを持って取り組めるようなクリエイティブな教師になることが求められているように感じています。残念ながら音楽の先生は、そこにはあてはまりません。むしろ、才能に不足している子どもを引き上げるような先生になることが私の意であるように感じられるからです。

とはいえ、ファンの方々に求められる限りにおいて、歌手活動は今後も続けていこうと思います。

現在は、歌の練習が全くできないような状態ですし、これからもしばらく、その状態が続きそうです。ということは、これからも神頼みの姿勢で、奇跡的な演奏をするといったスタイルになりそうです。プロの演奏家の厳しい姿勢を考える時、本当に申し訳ない程に練習をしていませんが、スピリチュアルな感性だけは、さらに磨きをかけていこうと思います。

ここ数年、インターネットを用いて、楽曲のアナリーゼを楽しむようになりました。これは、妻の影響でもあります。例えば… 最近は、ベートーベンの伝統的な演奏解釈に疑問を感じるようになりました。「ベートーベンの音楽は、本当に骨太の音楽なのか?」「ベートーベンの弟子達は、本当にベートーベンの真意を理解し伝えてきたのだろうか?」「先人達の演奏は、本当にベートーベンの音楽を忠実に表現したものといえるのだろうか?」

伝統的な解釈を疑って、楽譜を見つめ直してみることも面白いことの一つです。時代を超えて作曲家の実像に触れることは、きっと感動に出会えるように思えてならないからです。

これは、音楽だけではなく、宗教にもいえることだと思います。伝統に従うだけの考え方ではなくて、伝統的な解釈が本当に正しいものか、疑ってみることで、思いもしない崇高な真理に出会えるというのも、自由な社会に生きる現代人ゆえの特権なのですから。

ちなみに、宗教研究についても神の意ではないように感じています。ただ、ここにも、神の応援が感じられてなりません。

私は、どうも頭が悪いので、行き詰ると、やはり神頼みになる傾向はあります。頭の悪さは、ある意味では恵みなのかもしれません。頭が良ければ、神に頼ることがなくなるので、奇跡も何もない、つまらぬ人生になるかもしれないからです。

私が、キリスト教のみならず、他の宗教を研究しているのは、いわゆる正しい宗教を求めているのではなく、宗教を超えた真理による感動を追及しているように思います。むしろ、「ふた通りのみつめかたをして、進んでいく♪(高橋洋子 音楽CD「それは時にあなたを励まし、時に支えとなるもの」より、「恋のライセンス」/作詞:高橋洋子/の一節)」といった方が、心のバランスには良いのではないかと思うのです。多分、こういった物の見方においても、私の音楽作りにかなり影響していることは間違いのない事実ではあります。


それは時にあなたを励まし、時に支えとなるもの

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  • 発売日: 2005/12/07
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しばらく、ブログの更新はお休みします(とはいえ、コメントは見つけ次第、できるだけお返事しますので、過去記事を読んでの感想等ありましたら、ぜひお寄せください)。

では、皆さん、良いお年を (=^・^=)ノ
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クリスマス祝賀会での独唱

昨日、カトリック四ツ家教会にて、午後6時半からのクリスマス・ミサの後でクリスマス祝賀会が行なわれました。

私は、独唱を依頼されていたので、シューベルトのアヴェ・マリア(ラテン語版)と、ヘンデルのオンブラ・マイ・フを歌いました。

実は、過呼吸症候群と狭心症による発作が度々起きており、その日も体調が最悪で、独唱をキャンセルしようと思っていました。

1曲目は、集中力全快で、自分でも良い歌が歌えた実感がありました。ただ、1曲目と2曲目の間に、盛岡白百合学園のコーラスの方々が入ってきて中断したことで、そのモチベーションが切れてしまい、歌う自信がまったくなくなってしまいました。

ところが、前奏の間、会場の後ろに聖なる二人の方が立ってほほ笑んでいらっしゃり、急に力がみなぎってきたのでした。一人はたいへん美しい女性の方、もう一人は、男っぽくは無く美しい顔立ちの男性の方、お二人とも三日月の上に乗って浮かんでおられました。

実は、そこから歌ったことをほとんど全く覚えていないのですが歌い終えてお辞儀をしたことだけは覚えています。聴いていた妻の話では、1曲目とは全く違う声で歌っていて、とても良かったとのことでした。

その日は、体調が悪い分、心が信仰的な方に向いていました。そのことで、奇跡的な体験ができたのかもしれません。

そうそう、その盛岡白百合学園のコーラスの素晴らしかったことも書いておきたいです。ミサ中と、ミサ後のコーラスは、混声で、祝賀会でのクリスマスキャロルでは、ユニゾン(全員が同じ旋律)で歌っていたのですが、不快な響きが全く無く、天使の声のような歌声に心が洗われる思いでした。特に、ユニゾンのコーラスで、あれほど感動させられるとは凄いなと思いました。大人のコーラスだと、どうしても不快な響きがどこかにあって残念なものが多いのだけど、それが全く感じられませんでした。

教会でいつも見かけるおばさん信者さんのマジックショーもプロっぽくて意外な感動に驚かされました。

今年は、静かなる感動のある聖夜でした。
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2009年06月19日

奇跡

昨夜は、歌の依頼があり、某スキーヤーの納会に出席しました。

「ル・コール・ダルジャン会歌」のお披露目ということとは聞いていました。

ところが、前日、医者が処方した合わない薬による薬負けで、私は寝込んでいました。上半身の皮膚の摩擦痛は和らいだものの、両足が万力で潰されるような痛みが出てきて、鎮痛剤を飲んでも良くならず、歌の練習はまったくできませんでした。

二日前に、たまたま歌える状態の時があって、そのときに録音した自分の歌唱をMP3プレーヤーに入れて、床で寝ながら聴くのが精一杯の練習でした。

当日、やはり体調が思わしくなく、依頼者から電話があったときは、「今日はコンディションが非常に悪いので、ノーギャラでやります」と言わざるを得ませんでした。そのときは、かなり心配を掛けてしまいました。

そして本番、プログラムを見ると「ル・コールダルジャンの歌練習」と書いてあります。どうやら、私がお手本を歌い、私が会場の方々に歌を教えるというものなようです。そんな話は打合せでぜんぜん聞いていないので、頭が真っ白になりました。

まず始めに、私が模範唱を歌いました。思うように声が出ません。マイク無しで歌ったことを後悔しました。苦しみながら、どうにか歌い、今度は、歌を4つに分けて、くり返す歌う指導を試みました。迷ってしまったらいけないと思い、ダメでもともとで自分のペースでやりました。完全なるアドリブです。

ところが皆さんの声を聞くと、不思議な勇気がもらえて、かなり無謀な発声ではありましたが、自分でも信じられないような大きな声が出ました。こんな無謀な歌い方はしたことがなかったのですが、気力だけで、最後までそのテンションで歌いきりました。

とても良かったよと会長さんから、今日のギャラを手渡されました。

懇親会に入ると、多くの人からねぎらいの声を掛けられました。以前、同じ曲を歌わされた時は、まったく歌えなかったけど、今日は、あなたの声に合わせて不思議と歌えたと言ってくださる方もいました。

名刺は持っていませんでしたが、書道塾のパンフレットを何分か持っていたので名刺代わりにしました。私に歌を習いたいという人もいました。塾に興味を示してくださった方もいて、バックミュージックで子どもたちに「集中力」や「注意力」を与えられることに大変興味を示してくださり、私の指導プログラムをお金を払っても習いたいと言ってくださる方もおりました。

カラオケ大会が始まり、嫌な予感がしました。私に歌って欲しいと会場の方々から声が掛かり、私は「千の風になって」を歌うことにしました。

ところが、声帯がほとんど死んでいて声が出ません。まずいと思ったのですが、マイクを握ると不思議な力が湧いてきて、今まで使ったことのない未知の領域が見えてきました。そこに声を当てると、面白いほど声が出るのに私自身も驚きました。特に高音がズバズバ出るのです。

ビートルズのメンバーの一人でロック歌手のポール・マッカートニーさんが、ライブで、はじめから超ハイテンションで歌い、声帯がボロボロなはずなのに、長時間ライブの終わりまでハイテンションで歌い切ったイメージを思い浮かべていました。声帯がボロボロでも、ある領域に声をぶつけると大きな声が出る。今までやったことは無いけど、当って砕けろ…

また、高橋洋子先生のレッスンも頭をよぎりました。歌声でメビウスの輪を作って会場を満たすのだと…

歌い終えると、アンコールの嵐となり、2曲目にはアンディ・ウィリアムスの「慕情」を歌いました。ラストは、オペラチックに高音で決めました。自分でも声が出たことが不思議でした。

ということで、私の歌で会場を大いに盛り上げることができました。自分としては、120パーセントといより、200パーセント以上の力を出したような気がしました。

短い時間の中、私はこんなことも思い浮かべていました。20年ほど前に、東京の教会のミサで聞いた説教です。

癌で余命半年の女性がいて、彼女は、クリスチャンゆえ、それを前向きに受け止め、残り少ない人生を神様に感謝を込めて笑顔で過ごそうと決めたのだそうです。

その方が、そのミサの前日に亡くなったとのこと。しかも7年も生きたとのことでした。半年でなくなる筈なのに7年も生きたということは、6年と半年は、神様に頂いたプレゼントのような時間ということになります。多くの人が、神様を感じることなく生きているのに、彼女は、まさに神と共に生き、彼女を支えた家族も、多くの恵が得られたのだそうです。

もう自分はダメだと思えるとき、神と共に生きられる。神に委ねてしまえば何とかなる。私はそう考えることにしました。

体調が最悪で、大失敗に終わる筈の歌の依頼が、まったく逆の大成功となったのは、神と共に作り出した奇跡だったように思います。自分が自分でないような感じがしました。

とにかく疲れました。今日は、仕事ができそうないので、書道塾の方は母に任せてゆっくり休むことにします。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 05:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月10日

アメージング・グレース

Amazing Grace

大いなる恩寵


Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.

アメージング グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる


'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.

神の恵みこそが 私の恐れる心を諭し
その恐れから私の心を解き放つ
信じる事を始めたその時の
神の恵みのなんと尊いことか


Through many dangers, toils and snares
I have already come.
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

これまで数多くの危機や苦しみ誘惑があったが
私を救い導きたもうたのは
他でもない神の恵みであった


 【参考】 世界の民謡・童謡 worldfolksong.com:http://www.worldfolksong.com/songbook/masterpiece/amazing.htm



今年一年、歌の応援ありがごうございました。
これは、「お歳暮」というわけではありませんが、
皆様への感謝の気持ちを込めての録音です。


♪Amazing Grace



♪Schubert Ave Maria (Latin)



♪千の風になって
http://shironeko-cafe.seesaa.net/article/40697733.html


♪U.Giordano "Nemico della Patria" Opera 《Andrea Chinier》
http://shironeko-cafe.seesaa.net/article/25944672.html


♪J.S.Bach BWV78 (5)Recitativo (6)Aria
http://shironeko-cafe.seesaa.net/article/107029020.html#comment
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 18:40| Comment(6) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月23日

大失敗?

今日は、バッハ・コンサートの本番でした。

私は、バスソロの歌い始めの部分で、音程を激しく外す大チョンボをしてしまいました。フィギュアースケートに例えれば、しりもちをつく転倒に等しいミスなのかもしれません。頭が真っ白になりましたが、あとは開き直って、ひたすら練習通りに歌いました。お客様には、ミスとは気づかれなかったようでした。

はっきりしたミスは、一旦ステージの袖に退場してからから、自分の定位置に戻る際、うっかりステージ中央に出てしまい、お客様の笑いを受けてしまったことです。一時、ボロボロ状態に陥りましたが、アンコール曲のコーラス「主よ人の望みの喜びよ」では立ち直って頑張ることができました。

2時間前のリハーサルの出来が良かっただけに、本番は納得がいかない演奏でした。とはいえ、今日は、とても大切なことを学んだ日でした。

私と同様、オケの人の中にも大チョンボをした人がいたのですが、皆さん、楽屋では「やっちゃった」と底抜けに明るいんです。特に、テノールの先生の明るさには、尊敬しちゃいました。彼も、絶対に悔しかった筈です。さすが大物と思いました。

私は、悔しさばかりに心が支配されて、涙が出てきてなりませんでしたが、彼らの笑顔に学ばされたように思います。私は、どうも負けず嫌いな性格が強すぎて、周りの人への気配りできる心のゆとりに欠けていました。こんなことでは、いけないのだと思いました。

今度は、さらに大きな失敗をしたとしても、自分の心にしっかり納め、顔には出さない心の強さを養いたいと思いました。先月、軽い脳梗塞となったのですが、こうしてステージに立つことができました。38度の熱を押して、前日までパートの就職活動を続けていたのだから、自分でも良く頑張ったと思います。そして、ふらふらの状態となりながらも、最後のアンコールまで歌えたことに感謝しなくてはと思います。

これからは、そういった言い訳も一切言わないような強い人間になりたいです。

応援に駆けつけてくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。




♪リハーサルの録音








posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 19:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月08日

初ディナーショー?

昨夜は、盛岡市内(神明町)のカフェレストラン CROSS ROAD’S(クロスローズ)さんで、お店の6周年記念として、しろねこのライブコンサートを行いました。

20名ほどのお客様がいらっしゃいました。美味しい食事を楽しみながらのコンサート。こういう形式は、初めての体験でした。

今日集まったお客様のほとんどは、カラオケの喉自慢の方々とのこと。評価が厳しいと思い緊張しました。

ところが、歌う3時間ほど前、のどスプレーが喉のおかしなところに塗られてしまったらしく、息を吸うたびに咳が出るという酷い状態に陥ってしまいました。そのことで、一時的に声が出なくなってしまいました。以前も、ピアノの伴奏合わせの際に、同様のことが起こったので、この薬はしろねこには合わないと思いました。これからは、お湯を飲むとか、吸入器を用いるなどの安全な方法で、喉のコンディションを整えるようにしたいと思います。

声が出なくなってしまい、とても焦りました。そこで、研究中の「ヴォイス・チューニング・セラピー」を行うことにしました。これは、シンギングボウルを奏でたものを録音し、そのサンプリングデータをもとに、全身の7つのチャクラに対応する音をパソコンで作成した音声を用います。その音声を聴きながら、そのチャクラに対応した色(波動)を見ながら、声を出していくことで、心身をチューニングしていく方法です。しばし、瞑想の時を持ちました。

約1時間行いました。すると、100%とまではいかないにしても、歌える状態を取り戻すことができました。思いもしないアクシデントで、研究中の「ヴォイス・チューニング・セラピー」の効力を知ることになりました。とはいえ、まだ書物を読みながらの自己流の部分が多く、今月から東京で専門の先生のレッスンを受けてマスターしていきたいと考えています。その先生は、しろねこが日本一歌の上手な方と尊敬している方でもあり、歌い手としてのノウハウも学んでこれると期待しています。先生の深い愛に満ちた不思議な魅力も身に付けられるものなら学び取りたいです。

コンサートの内容は、自分としては納得できないものでしたが、お客様の反応は悪くなかったのが救いでした。1曲目は、良かったものの、やはり喉のダメージが出てしまい、後半は気力で歌った感じです。でも、一番最後にお客様と共に歌った唱歌「ふるさと」では、良い声が出たように思います。3番では、お客様が大きな声で歌ってくだり、とても感動的でした。年配の素敵なレディから、おひねりもいただきました。初体験ゆえ、学ぶことが多く、とても勉強になりました。

これまで、ヒーリングとカウンセリングを融合したメソッドについて研究してきたのですが、やはりしろねこの場合、歌を生かしてやった方が良いと、お客様のお声から感じ取ることができました。もっと積極的に歌を取り入れたものにしていこうと思いました。とても良い方向性が得られたと、とても感謝でいっぱいのコンサートでした。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月11日

歌の本番

concert_080510.jpg

昨日は、第37回盛岡芸術祭声楽部門演奏会「新しい息吹とともに 〜その18〜」(13時30分開場 14時開演 盛岡市民文化ホール「マリオス」 小ホール)に出演しました。

12時35分から15分間のリハーサルがありました。あくまで入退場の練習を中心に、軽く歌うつもりでしたが、客席を見渡すと、岩手の声楽界の重鎮であられる、心より尊敬する松田 晃先生が見にいらしておりました。また、9月23日(秋分の日)にオーケストラ付きでバッハのカンタータの同じ曲を歌えるかもしれないのですが、その依頼者の奥様でピアニストでもあられる方も見に来ていました。そういうこともあり、かなり緊張感のあるリハーサルとなりました。

リハーサルの後で、妻と二人で松田先生と話をする機会を得ました。妻がうつ病で苦しんでいることをとても心配してくださいました。そして、松田先生は、妻の卒業した高校で14年も教鞭をとったこと、そして、その高校で3年連続、合唱部を岩手県1位にしたことを話してくださいました。妻は、卒業した高校がレベルが低いと思い込み劣等感を抱いておりました。先生と語り合ううちに母校に誇りを持てるようになったとのことです。私が先生に、妻が絵画で内閣総理大臣賞を取ったことを話したところ、それは大変誉めてくださいました。妻は、そのことで大変、上機嫌となったのですが、その際に脳内物質のバランスが良くなったのかもしれません。顔の輝きが以前と違っていると感じられました。また、私も、秋の岩手芸術祭で、ロ短調ミサのバスのアリアを歌いたい旨を話したところ、先生は以前に先生の率いる盛岡コメット混声合唱団でやったことがあるとのこと、レッスンを付けてくださると約束してくださいまいた。

本番には、多くの人が足を運んでくださいました。楽屋に花束やお花代が届き、大変励みとなりました。前回の盛岡芸術祭は、一般参加のみでしたが、今回はいろいろ事情があったようで、中高生も参加しました。第一部で歌った不来方高校3年工藤君は、第6回全国日本彩明ムジカコンコルソ声楽部門高校生の部で全国1位となった実力を持ち、力強いその歌唱には、世界の舞台で活躍できる器を感じられました。サインでも貰っておけば良かったかな。※上の写真は、楽屋のテレビモニターの画面です。


私はプロブラムの終わりから2番目に歌いました。J.S.バッハ カンタータ78番「イエスよ、汝はわが魂を」より、第5番レチタティーヴォ 第6番アリアと、E.di カプアのオー・ソレ・ミオ(わが太陽)を歌いました。

会場を見渡すと、知っているお顔を多く見つけることができました。そのことで、かなりパワーをもらえたと思います。特に、オー・ソレ・ミオは、笑顔で歌うことができました。終わりの決めの高音もいつもより長く出したのにもかかわらず息がしっかり続きました。大きな拍手に感動をしました。ピアノ伴奏の先生にも感謝の気持ちでいっぱいでした。

コンサートが終わってから、ロビーに出て、多くに人から祝福を受けることができました。その後、舞台上で出演者全員での記念写真を撮りました。

下の録音は、本番のものではなく、3日前の練習で録ったものです。本番では、この録音を元にさらに進化させることが出来ました。本番の演奏の様子はビデオで取ったとのこと、後日、DVDにしたものをプレゼントされるとのことです。



応援してくださった方々に、心より感謝でいっぱいです。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月23日

グノーのアヴェ・マリア

今日は、イースターミサに出席しました。

ミサ後の祝賀会で、グノーのアヴェ・マリアを独唱しました。

依頼を受けて歌ったつもりが、何かの手違いで飛び入り扱いとなりましたが、大成功ではありました。




私は、人の心に垣根を作るという意味では宗教は好きではありません。

ですから、我が家の宗教である仏教を大切にしていますし、日本人の心としての神道も大切にしています。宗教だけに限定せず、心についてのあらゆる書物に学ぼうとしています。

とはいえ、苦しい現実を生き抜いていくためには、やはり宗教は大きな力になると感じております。

幅広く宗教を学んでいても、復活祭(イースター)には特別な思いがあります。

イエス・キリストは、「罪人」である私たちを救われるために十字架に付けられて、私たちの罪の身代わり(購い)という形で亡くなられた。

さらに、3日目に「復活」され、人々の前に現れて、命が永遠であることを自ら証されたのでした。

私は、最近、天文学に関するテレビ番組をいくつか見る機会がありました。宇宙は、膨張しているだそうですが、時間を逆回しして考えると、137億年前に宇宙が誕生したことになるのだそうです。しかも、小さな小さな原子から始まったのだとか。

宇宙は、風船のように膨張していつかはパンクするように滅びてしまうのだそうです。宇宙というと永遠の存在かと思っていたのですが、あくまで3次元の世界であり、始めがあり終わりのある存在なようです。

私は、臨死体験や、ポルターガイストを目の当たりにした体験を持ち、別の次元の存在を感じるようになりました。

宇宙を含め、目に見えるものが全てではないということです。

聖書には、私たちの肉体は「仮の宿」であり、この世での修行の姿なのだとあります。どんなに美しい容姿に恵まれようと、美しさは限りあるもの。年老いていき、いずれ死ぬべき存在なのです。

愛に生き抜いた者。つまりは永遠の命を授かった死者は、神のもとで(別の次元の世界で)「仮の宿」ではない、永遠の美しい輝きに満ちた容姿を得て生きられるのだそうです。

そう考えると、この世の容姿など、どうでもいいことにも思えます。生きている時間の長い短いすら関係ありません。

もし、それを信じるとするなら、キリスト者とは、絶世の美女、または絶世の美男子を目指していることになります。

肉体は、どんどん衰えていきますが、心は心がけ次第では、限りなく進化していくことができるのです。

クリスチャンの中には、聖句を多く知っていることを鼻にかけている人もいるようです。しかし、イースターで試されることは、知識の多さではなくて、本当に主の復活を心から信じ切っているかどうかということなのです。

これは、愛を信じ切るということとイコールなことでもあります。

主の復活を心より信じ切れる。その時点で、永遠の命が、永遠の美が、その人に備えられたということなのだと思います。もう、何も恐れることはないのです。

今日の記事は、クリスチャンではない人には、へんてこなことと思われたことでしょう。

もちろん反論されても結構です。

書いている私も、20代の時には、多いに批判をしていました。今思うと、不思議なほどに自信をもって批判をしていました。そのことでクリスチャンを何人も泣かせました。でも、キリスト教に無関心ではなかったことが幸いだったと思うのです。私の批判を受け止めてくれた人たちにも感謝しております。

批判するという行為も、心に留めるための一つの方法だったからです。

心に留めた思いが、いつの日が根ずいて実を結んでいくのですから。

「批判を受け止める」ということは、実は、相手のためになる素晴らしい関わりをしていることなのだと思います。

愛の反対とは、無関心なのだと思います。

その無関心と同じくらいに悪いこととは、暴力に対し暴力で返すこと。つまり、報復をすることです。戦争とは、その最も際立ったものなのだと思います。

始めに戻りますが、人の心に垣根を作るという意味では宗教は好きではありません。

多分、それは宗教本来の目的ではないような気がしてなりません。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 18:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月15日

未来の創り方

最近、江原啓之さんの著書にはまっています。

江原さんの著書、『未来の創り方』には、良いアファメーションするための言葉をたくさん見つけることができました。この本は、かなりお勧めです。

運命は自分の意思で変えられるもの。しかし宿命は、素材のようなもので変えられない。自分が与えられた素材をいかに生かして料理していくかが、素晴らしい未来を切り開いていく上で大切なことなのだと書いてありました。自分の素材とは全く異なる夢を<妄想力>。自分の素材に基づいた夢を<想像力>と分けて考えるのだそうです。「ノート内観法」によって、自分の素材が何なのかを見出していきます。

アファメーションは、<妄想力>によるものではいけません。自分が与えられている素材に基づいた<想像力>によって、明るい未来を心に描いていくのです。

私は読んでいて、ある思いにふけってしまいました。

私は、学生時代は東京で自炊生活をしておりまたが、近所の喫茶店のママさんが、第二の母として、しろねこを支えてくれました。特に心の面においては、実の親よりも、彼女に育てられたといって過言でないのかもしれません。そのママさんは、癌に侵され生まれ故郷の神戸へ帰っていきました。

彼女は、毎日、越路吹雪のカセットテープを聴いていました。私は、現在、ウェディングソング歌手として、盛岡市内のホテルと契約しようと準備を進めています。

今のところのレパートリーは、 シューベルト アヴェ・マリア、グノー アヴェマリア、カッチーニ アヴェ・マリア、ルッツィ アヴェ・マリア、カプア オー・ソレ・ミオ、シューマン 君にささぐ、シューマン 君は花のよう、慕情(アンディ・ウィリアムズ)、愛の賛歌(越路吹雪)、乾杯(長渕剛)、CAN YOU CELEBRATE?/キャン・ユー・セレブレイト? (安室奈美恵)、作曲者不肖 アメージング・グレイス、マイ・ウェイ(フランク・シナトラ)、マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン(セリーヌ・ディオン)、見上げてごらん夜の星を(坂本九)、君となら(TUBE)、十年先のラブストーリー(TUBE)、未来予想図U(ドリームズ・カム・トゥルー)、Precious/プレイシャス(伊藤由奈)、ハナミズキ(一青窈)、永遠とともに(コブクロ)
※あと、いい曲あったら教えてください m(__)m

この本に、エディット・ピアフのことが書いてありました。越路吹雪さんのレパートリーの中でも、最も有名な「愛の賛歌」は、もともとはピアフによる曲でもあります。悲劇的な背景があるゆえ、結婚式に向いていないかというと、そうではないと思います。江原さんの言うとおり、人生がお芝居ならば、平穏なつまらないお芝居よりも、たとえ「血を吐くような思いをしても」輝いたドラマを生きる方が、幸せなのだと思うのです。

当時、絶望の日々を送っていた私にとって、まさに命をもらったと思えるほど、大きな恩を受けたのにもかかわらず、彼女には恩だけ受けて、何も返すことができませんでした。だからこそ、この曲を歌い続けることが、彼女への恩返しになるかと考えました。

昨年、ピーターの特別公演で、この曲を聴きましたが、涙の出るほど素晴らしい歌唱でした。まるで越路吹雪さんが乗り移ったかのような歌唱でした。私も、お世話になったママさんが喜んでくれるような歌唱を目指したいと思います。「愛の賛歌」は、特別な歌になりそうです。

「神の視点ノート」(=「ノート内観法」)も面白いと思いました。つまり、自分はどう考えるかということを紙に書き出してみたら、次に神はどう考えるかと考えて見るわけです。自分は、という、自己中心的な考え方を<小我>、神の視点を<大我>又は<真我>というそうです。完全に<大我>に生きるということは難しいのだと思いますが、<大我>の視点を持つなら、人生は意味のあるものになっていくのだそうです。

本当の意味の人助けとは、小我を満たしてあげることではなく、大我に目覚めさせてあげることなのだそうです。大我に生きようとすることは、真の自立にも繋がるとも書いてありました。

「いじめ」や「嫌な人との付き合い方」なども書いてありました。

ただ、ニコニコ動画でみた、「江原啓之 降霊会」は、酷いものがありました。若い頃の氏は、まるでインチキ霊能師のようでもありました。未熟さが目立ち見ていられません。でも、そういう時期を乗り越えて、現在のような素晴らしい人間へと進化していったのだと感じられました。

声楽家(スピリチュアル・ヴォイス)としての氏の活動にも興味があり、Sony Music Online Japanで視聴してみました。クラシカルな楽曲の歌唱は、本格的オペラ・ヴォイスで素晴らしいものがあるのですが、新しい曲の歌い方に関しては、地声が目立ち、あまり良いとは思えませんでした。進化し続ける氏のことなので、これからきっと素晴らしい演奏をしてくれることでしょう。とても期待しています。

長いこと風邪をひかずに来たのに、2月頃からカボチャが高いとメニューから外してしまいました。それまで、毎日食べていて、家族全員風邪をひかずに過ごしてきました。

忙しいので、食材を買うのを両親に任せてしまったことに問題がありました。風邪をひいてから、買いにいったのですが確かに高いと思いました。よりによって、最も大切な時期に風邪をひいてしまい少々凹んでいますが、だからこそ、風邪をひかない生活をしっかり心に刻むことができるようにも考えています。

私が歌を歌うことは大我なのか、それとも小我なのか、試される月になりそうです。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 17:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月23日

クリスマスキャロル

今日は、夕食時に、某老人ホームでクリスマスキャロルを歌うボランティアに参加しました。

カトリック教会の信徒の方々、ガールスカウトの子供たちと多くの人が集まりました。ただ、バスパートを歌うのは、しろねこただ一人ゆえ、とても重宝されました。

一つ一つの病室を回って歌いました。病院と一緒になった大きな老人ホームゆえ、途中5分ほどの休憩を挟み、約1時間、歌い続けました。

2年前に歌った時より、、高齢化が進んでいて、寝たきりで無表情のおじいちゃん、おばあちゃんが増えてしまったことは悲しい印象でした。もちろん、拍手をしてくれたり、幸せそうなお顔を見せてくれたおじいちゃん、おばあちゃんもおりました。

中には、耳をふさいで聞こうとしないおばあさんもおりました。きっと、クリスマスに嫌な思い出でもあったのでしょう。

今日歌った曲目は、@かみのみこは Aもろびとこぞりて Bあまのみつかいの Cきよしこのよる Dまきびとひつじを EO Holy Night です。

また来年もこのボランティアには参加したいと思います。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 20:08| Comment(4) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月11日

コンサートの構想

今はうつ病の治療中なので、穏やかに毎日を過ごすことを大切にしています。

でも、調子の良い時は歌を歌っています。

来年のクリスマスには、コンサートをやりたいなと考えています。

7曲のアヴェ・マリアのレパートリー(シューベルト、グノー、カッチーニ、ルッツィ、トスティ、ヴェルディ、マスカーニ)を発表したいのですが、曲の合間に、アファメーションのメッセージ(マイクを用いる)を組み込んだものにしようかと… 
後半は、ゴスペルソングやクリスマスキャロルを中心とした内容で、そこにもアファメーションのメッセージを組み込むようにしたいです。できれば照明も生かして癒し効果を高められるようにすると、さらに良いかな。

そのためにも、少しずつ健康体になっていきたいです。

今日から、血圧を下げるためのサプリメント、日本サプリメントの「ペプチドエース」を飲むようになりました。来年のクリスマス・コンサートまでに、血圧を治して、ダイエットも成功させてファッションをばっちり決められるといいな。その頃までに、うつ病も治したいです。

遠方からの皆さんもご招待できるような、素敵なコンサートを企画したいと思います。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月04日

幸せの光

昨夜の声楽コンサートは、おかげさまで大成功でした。

雨にもかかわらず、例年よりもお客様の入りが良かったとのこと、本当に感謝でいっぱいでした。

楽屋には、小学校の時の担任の先生とご一緒させていただき、他の歌い手さんも、児童・生徒さんたちを指導しているベテランの先生方ばかりで、恐縮のあまり、ガチガチに緊張してしまいました。しかも、暖房の影響だと思うのですが、ホールの空気が異常に乾燥していて、コンディションは最悪でした。

そういうことを考えると、本番では実力を出し切ることができたと思います。後で録音を聞いたのですが、1曲目のカッチーニのアヴェ・マリアは前半部は緊張のため声が上ずっている感じで、後半でどうにか持ち直せたようでした。失敗演奏と思っていたのに、大きな拍手をいただきました。2曲目のヴェルディのオペラ・アリアは、練習ではなかなかうまくいかなかった演ずる感覚が不思議に沸いくるので、オペラを演ずるモードのまま完全燃焼することができました。これは、スポットライトの魔法なのかもしれません。

とはいえ何より、最愛のお母様を亡くされて間も舞いのにもかかわらず、伴奏を引き受けてくださったピアニストの方の素晴らしいピアノ伴奏の支えなしに何も語ることはできません。また、6月に急死された、私をステージ活動へと導いてくださった恩人の方の優しさもステージの上で感じることができました。

歌う前は、フィギュアースケートの選手がリンクに滑り出していくようなイメージが頭に浮かびました。与えられた時間の中で、どれだけ自分を表現し切れるか。集中力がどんどん高まっていきます。多分、血圧は最高値になっていて気絶しそうでもありました。

歌った直後には、自分の責任を果たしたという安堵感はあっても満足感は得られませんでした。最高のコンディションで歌えなかったことへの悔しさの方が強かったです。

しかし、演奏会が終わってからのお客様とのふれ合いを通して、大きな感動へと変わっていきました。私の歌に元気をもらえたと言ってくださる方もいました。多くの方から、花束やおひねりまでいただきました。心より尊敬している修道院のマ・スール(修道女/シスター)方も来てくださいました。

ここ数週間は、本当に辛い毎日でした。風邪のため声が出せず、声を出さないで練習しなくてはなりませんでした。3日前から声を出せるようになったものの、いつもの発声法を取り戻せずに、不安ばかりが頭をよぎるようになっていました。

そんな中、mixiの友人が一人離れていってしまいました。毎日、元気の言葉を発信していたのに、その時の私は、酷い風邪に苦しみ、かつ深刻なパソコントラブルがあったので、ついつい暗い日記を書いておりました。無意識で、皆さんに助けを求めていたかもしれません。うつ病の薬を飲むようになってしまったことも、まったく想定外のことで、浮き沈みの激しい心の状態に、自分が自分でないような感覚に苦しみました。7月の車の事故以来、激しいストレスが健康を蝕んでいったのだと思います。

今回のことで、見えない神様のメッセージを感じることができました。

私は、私を求めている人にいつも与えられる者であるために、何より第一に健康を大切にしよう。そして、皆に元気を、そして幸せを与えられる人になろう。

私にとって大切なことは、パソコンのスキルでもなく、本の知識でもなく、神様から引き出した光を皆さんに届けることなんだと…

私は、尊敬するマ・スール方に倣い、規則正しい健康的な生活をしていくのだと心に誓いました。

今朝、教会のミサの帰りのことです。歩道を歩いていた時、マ・スールの一人が「いい香り」と声を上げられたので、私も立ち止まって息を吸い込んでみました。イチョウの木からとても良い香りが漂ってきました。

心の中いっぱいに幸せの光が満たされたたような気分となりました。

こういう幸せをもっともっと感じられるようになりたいなと思いました。
posted by 盛岡のしろねこ / 佐藤 潤 at 14:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 声楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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